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分かってない【パパ編】 その5-2
そう思ったのに、食事が済んだ後、"ちょっと話があるから、征哉、香凛ちゃん退屈しちゃうだろうから一緒にお庭でも回って来なさい"という非情な命令が母親から下され、オレは絶望しながらも細心の注意を払って香凛の小さな手を握る羽目になった。
"えーっと、池でも見るか?"
香凛はぐずらず見知らぬお兄さんであるオレの手を素直に取り大人しく連れ出されてくれたはいいが、如何せん大人し過ぎた。
人見知り発動中なのか、まずもって会話が成り立たない。問いかけにはコクリと頷きだけが返されて、オレ達は沈黙の中ひたすらに庭を歩き回るという苦行に晒されていた。
一体どれくらい時間を潰せば良いのだろう。
呼び戻されるまで、ずっとこうしていなくちゃいけないんだろうか。
今は大人しくてもいつ泣き出したりするか分からない。泣かれたら、もうこっちは打つ手なしだ。
オレは下の子だから、誰か小さな子をあやした経験など絶無なのだ。
池に掛けられた小さな橋に差し掛かる。
あぁ気詰まりだと内心嘆いていたオレは、小さな呟きに意識を現実に引き戻された。
"…………きんぎょ"
香凛が興味深そうに池を覗き込んで、すいすいと泳ぐその姿を追っていた。
"金魚じゃなくて、あれは鯉"
随分前のめりで覗き込むのでこのままでは危ないと、反射的にその身体を抱き上げる。一瞬後に"しまった、嫌がられるか"と慌てたが、池の中に夢中な香凛は頓着しなかった。
"こい? きんぎょ?"
興奮を伝えるように肩の辺りのシャツ地を掴まれる。まん丸に開かれた瞳は面白いくらい輝いていて、苦手意識が少しだけ引っ込んで純粋に可愛いと思えた。
"鯉。えーっと、金魚の仲間、友達だよ"
"いっしょじゃない?"
"似てるけど、一緒じゃない。ほら、金魚よりずっと大きいだろ?"
池の中は結構な数の鯉が泳いでいた。色とりどりで、子どもの目にも楽しいだろう。
"ほら、向こうに金ぴかのヤツいるぞ"
そう言えば腕の中で幼い少女は背を伸ばし、足元でばしゃりと鯉が跳ねると逆に小さく丸こまった。
ちょっと年齢差があり過ぎるが、妹がいるのはこういう感じなのかもしれない。
ただ冷静に考えて、自分はこの子の"お兄さん"ではなく"叔父さん"なんだな、と気付いたら随分複雑な気分になった。この年でオジサン呼ばわりされるのは、ちょっと頂けない。
まぁでも大学進学と一緒に実家も出ていたし、この小さな生き物と会うこともそうそうないだろうと思っていた。
"かーりん"
話が終わったらしい姉が、義娘の名前を呼ぶ。
呼ばれた少女は血の繋がりがないなんて全く感じさせない、屈託ない笑顔でこっちの腕から飛び出して、姉の元へ駆けて行った。
二人はどう見ても親子にしか見えなくて、姉はもちろん、少女も幸せそうな様子にホッとしたのを覚えている。
大丈夫、この家族は幸せな家族になる。姉さんは、良い結婚をするのだと。
予想通り、その後も香凛と顔を合わすことは滅多になかった。
稀に実家で会うことがあってもオジサン呼ばわりされることもなく、香凛はオレとの接し方を図りかねているようだった。たまに困ったように"お兄さん"と呼び掛けられることがあるくらい。
香凛は、オレにとってそれほど重きを置く存在ではなかった。
でもそれは、お互い様の話だったろう。
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