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分かってない【パパ編】 その5-3
突然の訃報が飛び込んで来たのは、姉の結婚から五年が経とうという頃だった。
多重事故に巻き込まれたって、旦那さんの方は即死、奥さんを庇う形だったって、でも奥さんも病院に搬送される前に、可哀想に、まだ若かったのに、娘さんもまだ小さいんでしょう、本当に気の毒な――――――――
耳に入って来る情報が何一つ現実味を帯びない。
けれど時間は容赦なく進み、通夜、葬儀と淡々と儀式をこなすことを要求してくる。
安置された棺には間違いなく姉夫婦が物言わぬ亡骸として横たわっているし、一様に絶望を宿した親族の顔も演技などではない。きちんと、現実なのだ。
通夜が終わり、翌日の葬儀が始まるまでの時間。控え室に集まった近しい親族には、暗い顔で話合うべきことがあった。
香凛の、行く先だ。
オレはまたいつぞやのように、"香凛ちゃんを宜しくね"と母親に言われ、小さな肩を押しながら別室へと移動した。
部屋の中には沈黙が重苦しく横たわる。いつぞやもオレと香凛の間には気まずげな沈黙があったが、今度のこれはあの時のものとは全く違う。どんな言葉や行動を見せても払拭できやしない、負の空気。
今度はどれだけ二人で待っていても、"かーりん"と姉が呼びに来ることはない。
香凛のこれからについての話し合いは難航しているだろうな、と出て来た部屋の空気を思い出す。
誰も香凛を邪険に扱いたい訳ではない。愛情がない訳ではない。だが、父方の祖父母には介護問題、叔父は未婚で海外在住、血の繋がりのないウチがこの少女を引き取るところまで思い切るかと言うとそれは怪しい。
誰も引き取れなければ――――――――行く先は決まってくる。
香凛は泣かない。無表情に押し黙って椅子に座っている。
座ってしまえば、香凛の足は地面に届きすらしない。床から浮いた靴が、香凛の幼さをこちらに突きつけるようでオレは目を逸らした。
朝、会ったときにはその瞳は真っ赤だった。夜、きっと沢山泣いたのだろう。
だが、沢山の人の前では、香凛はその瞳を決壊させない。何かにまんじりと耐えるように、心を押し殺しているように見える。
我慢をする必要なんか何一つないと言うのに。
だが、泣いても良いんだと、そう言葉をかけるのも無神経な気がしてできなかった。
"香凛"
ただ香凛をそこに座らせているだけの状況がいたたまれなくて、声をかける。
"喉渇かないか。オレも飲むから、香凛の分も買ってくる。何がいい"
香凛はへの字に唇を引き結んだまま、視線だけをこちらに向けた。
"りんごかももか、炭酸か。どれがいい"
通りがかった自販機のラインナップを思い出しながら言う。
いらないと言われる前に明確な選択肢を与えてしまうと、
"――――りんご"
聞き落としてしまいそうな小さな声が返ってきた。
"すぐ戻るからここで待ってろ"
そう言って、本当に手早く済ませて戻って来たのに、次に覗いた時そこに小さな姿はなかった。
"香凛?"
手洗いか、とも思ったが、男の身では確認する術がない。それにそれは楽観的な予測に思えた。
あまりにショックな出来事に、香凛の中で何かが切れてしまったのではないかと思った。式場を抜け出してどこぞへふらふら宛てもなくさ迷っているのではないか。
――――いや、取り敢えずまず館内からだ。時間はそう経っていないのだから、子どもの足ではまだ外まで出ていないかもしれない。
嫌なリズムで拍動する胸を抑えて、部屋を飛び出す。
おかしな真似をしてくれるなよ、と祈りながら。
だが、香凛は割合あっさり見つかった。館内にいたのだ。
その姿を見つけてホッと胸を撫で下ろす。
良かった、ちゃんといる。
だが、声をかけようとして、失敗した。言葉が喉でつっかえたのだ。
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