夏よ共に逝け

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 マスターは一度こちらに背を向けて収納にコーヒーミルをしまった。収納はマスターの身長よりも大きくて、たくさんの、形状もさまざまなグラスが並んでいる。  わたしの視線に気づいたのか、マスターが茶色のベストを着た胸を少し得意げに反らしてみせた。 「お客さまの数だけ、グラスをしまっているんです」 「……これだけの人数が、ここを訪れたということですか?」 「そうです。そしてお客さま一人につき、グラスはひとつ。あなたのそれも、いわば特注品ですよ」  わたしはまじまじとグラスを見た。底のほうはレモネードの黄色を透かしてぼんやり緑色に見えるが、本来は水色に塗られているのだろう。飲み口に近づくほど色は薄くなって透明なガラスになる。素直に綺麗だと思った。わたしには勿体ないくらい。 「話が逸れましたね。あなたはどうして、その小説に拘るのです? わからないなら、諦めてしまえばいい」  わたしは考える。ストローに口をつけ啜ると、蜂蜜の甘さよりレモンの酸っぱさを強く感じた。 「……その一文に、海の青が、見えた気がしたんです。それと、潮騒の音」
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