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眼裏に浮かぶのだ。同じ青でも、くっきり空と海を分かつ境界線。遠くの綿あめみたいな雲。白い砂浜に寄せては返す波。……人のいのちを奪っても、自然は変わらずこんなにも綺麗で、遣る瀬なくて。たった一文に、情景が、感情が、凝縮されていた。
こんな一文が書きたい、と強く願ったのだ。わたしは。
ふむ、とマスターは唸る。あごひげを撫でながら、伝票代わりに使うらしいメモ帳に何かを書きつけた。
「どうしても、というなら、ここに行くといいでしょう。出版物の知識においてこの人の右に出るものはいない。話は通しておいてあげますよ」
ことの成り行きに目を見張った。このカフェーはただ話を聞いてくれるだけで、解決策をもたらしてくれる場所ではないという触れ込みだったはずだ。マスターは共犯者めいた笑みを浮かべ、「特別サービスです」と破いたメモ用紙を差し出す。
そこには知らない住所と、古本屋らしい店の名前と、そこの店主の名前が走り書きされていた。どうします、とマスターは悪戯っぽく囁いて、店の黒電話の受話器を手に取った。
ストローに口をつけレモネードを飲み干す。底に溶けきらない蜂蜜が溜まっていたのか、最後のひと口は舌がべたつくくらい甘かった。
「行きます」
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