夏よ共に逝け

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 傾いでいるという棚を避けて店内に足を踏み入れる。棚にしまいきれずに堆く積み上げた蔵書。ずらりと並ぶ装丁の豪華な全集の数々。番台に散らばる和綴本。チェーン展開の古本屋しか訪れたことのなかったわたしは、知らない国に迷い込んだ気分だった。  番台までわたしを案内し、やはり本置きと化していた椅子をすすめ、古書店の店主は暖簾の奥にいったん引っ込むとよく冷えた麦茶をお盆に載せて戻ってきた。今日は飲み物をもらってばかりだ、と苦笑する。結局、カフェーでも、サービスだからと勘定を断られてしまった。あの調子で経営はうまくいっているのだろうか。 「さあて、だいたいのことは聞いとるがね」  そう促され、わたしはカフェーのマスターに話したことを繰り返した。古書店の店主は鼻からずり落ちかけた丸眼鏡を押し上げ、しばらく押し黙る。わたしは麦茶を飲んだ。こめかみや首筋を汗が伝う。 「そんな話は知らん」  腕を組み、ふんぞりかえって店主は言う。わたしは悲鳴に似た声を上げて椅子から立ち上がった。 「そんなはずありません。わたしはこの目で見たんです、あの海を――」 「知らんといったら知らん」  一貫して首を振る店主に、わたしは鼻白む。目の前の傲岸不遜なこの人は、本のことならなんでも知っていると自負しているかもしれないが、えてして取りこぼしはあるものだ。わたしは調べてくれと言い募ろうとした。
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