訪問販売、はじめました

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「早い話が、モニター契約なんです。入会金はもちろん無料。入会期間は9日間。奥様には郵送されてきた『ヨゴレトレイル』を開封後、8日間使用して頂きます。その翌日、女性テレフォン・スタッフから奥様の元へ連絡があります」 「ふむふむ、それで?」 「使用した感想をできるだけ詳しく彼女に伝えてください。とは言ってもアンケート形式なので、簡単な質問にいくつか答えるだけですのでご心配なく。もちろん積極的に語って頂いても結構です」 「それから?」 「その電話を切ると同時に退会となります。以上です。簡単でしょ」 「ええ、それならわたしにもできそう」 「以上の条件で『ヨゴレトレイル』正規購入代金の半額10万円をキャッシュバックさせて致きます。ささやかですがクリーン・スタッフの報酬としてお受け取りください」 「まあ、たったそれだけで10万円も?!」 「消費者様の生の声がとても貴重なんですよ。奥様の感想はわが社のホームページに掲載させて頂きます」 「こんなおばあちゃんの意見でも、世間様のお役にたてるのかねえ?」 「もちろんですとも、世界中の主婦が奥様のご意見を待ってます」 「んまあ、大げさだわぁ」  まんざらでもない様子の老婆。顔を赤らめながら両方の掌を頬にあてる。 「もし期間中に退会したり商品を手放したりすると、50万円の違約金が発生してしまいます。そこだけご注意ください」 「おやまあ、じゃあ10万円頂いたとしても、残り半分の現金10万円は必要なんでしょ? 年金暮らしの身でそれは正直痛いわぁ」 「もちろん月払いも可能です。今なら税別2980円の36回払いを、月々の振り込み手数料込み2500円の特別キャンペーン価格でご奉仕させて頂きます。現金購入よりも更にお安くなる、わが社自慢のスペシャル・システムです」 「どうしようかしらぁ」  頬に右手を当てて首を傾げながらも、のんびりとした口調の老婆。それを尻目に、はやる気持ちでショルダーバッグの別ポケットをまさぐり始める男。油汚れと汗でぐっしょりと濡れた手で、小刻みにふるえながら一枚の誓約書を引き出した。 「このチャンスを逃すと次はないですよ。さあ奥様、急いでこちらの書類にハンコを」  マニュアル通りの機械的な会話。毎朝、朝礼前の時間に1時間かけてみっちりと復唱させられるせいか、流石に一字一句覚えている。  強制だが時間外手当は当然出ない。それを入社以来、毎日欠かさず繰り返し続けた。そろそろ一件ぐらい契約が取れてもよさそうなものだが。  彼の仕事は訪問販売員。一昔前で言う「押し売り」だ。  一人暮らしの高齢者世帯の闇リストを元に、女性テレフォンアポインターが片っ端から電話を掛けまくる。「清掃局の方からお電話させて頂いております。この度、あなた様は幸運なことに無料サービスのキャンペーンに当選しました」と。 「~の方から」が「方角」であるのは言うまでもない。当選もキャンペーンもまるでデタラメ。話に乗ってきた高齢者宅をサービス・スタッフと称した男性が訪れ、コンロの油汚れをスチームクリーナーで清掃するデモンストレーションを行う。  その後、半額値引きセールの条件として「ご自宅でできる簡単なお仕事です」とクリーン・スタッフという提案を持ちかける。  9日間の入会期間はクーリング・オフ封じ。クリーンなスタッフという言葉の響きが警戒心を解きほぐす。  平たい話しが悪徳商法。こうしてホームセンターで税別2980円の商品を、月額2500円の3年ローンすなわち総額9万円を組ませて購入させるという算段なのである。 「さあ、急いでこちらにハンコを」  平静を装いながらも内心バクバクの男。誓約書を握る掌にとめどなく汗が噴き出す。のどはカラカラ、ネバつく口の中。全身が水分を欲している。  ああ暑い。冷たい麦茶の一杯でも出してくれてもよさそうなものなのに。まあいいさ、これが終われば好きなだけ飲める。栄えある初契約を燦然と称える、勝利の祝杯を。男は胸の中で自分にそう言い聞かせた。  それまでの愛想のよい態度とは打って変わり、じっと目を閉じて押し黙る老婆。 「さあ、ハンコを」  老眼鏡の奥の重そうなまぶたが開いた。 「ねえ、あなた」  まるでつかめない表情で男を見据える。 「はい?」 「本当は最初からすべて分かっていたわ」 「と、いいますと?」  上目使いに伺う男。だらだらと全身から汗が噴霧する。暑い、いや寒い? 狼狽する男に向かって軽く会釈をしながら、老婆は物憂げに囁いた。 「お暑い中、お仕事ご苦労様です押し売りさん」
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