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リィシアは体幹がぶれて、後ろに倒れる。王弟がすかさず手を伸ばすが、共倒れして庭に転がった。
「怪我はないか!」
「それは、真っ先に私がお訊きしなくてはならないことです!」
リィシアに怪我はない。王弟も無傷のようだ。
王弟は寝転がったまま四肢を伸ばし、気持ちよさそうに息を吸う。全身を使い、雨を感じる。
「それでも僕は、きみを選びたい。すぐでなくて良い。殴られたって構わない。いや、むしろ殴ってくれ。目がしっかり見えない分、殴られてきみを感じたい。好きなだけ殴ってくれ!」
雨の中寝転がったまま芯のある声で自信満々に言い切る王弟は、真剣そのものだ。しかし、どこかおかしくて、リィシアは吹き出してしまった。誤るより早く、笑いがこみ上げる。自制が効かず、笑い続ける。
喋れないほど笑ったのは、いつ以来だろう。腹の底から笑って、鍛錬でもないのに腹筋が崩壊しそうだ。
「どうした、きみ」
王弟が慌てる。リィシアは首を横に振った。雨に濡れた頬を拭い、気づく。冷たい雨ではない、温かい自分の涙で頬が濡れていることに。彼のせいだ。彼があまりにも明るくて、真剣で、天然だから。
「えっと、リンハン嬢……いや、えっと」
王弟は、名を呼ぼうとして、名を知らぬことに気づいたらしい。
リィシアです、と口が滑りそうになり、我慢した。
もうじき、雨期が終わる。
互いの名を明かすのは、きっとまだ先のことだ。
【「不泣姫は絹雨に咲う」完】
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