王弟の訪問

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 夜のとばりが降りると、待っていたかのように雨が降り始めた。 「リンハン嬢」  一日の仕事を終えて自室に戻ったところで、リィシアを訪ねる者があった。  リィシアは深く息を吐き、吸い、また吐き、戸越しに返事をする。 「はい、殿下」  声色から、相手は王弟だと判断できた。しばらく養老院(ここ)に泊まるという。  王族に失礼があってはならない。かといって、警戒を緩めることもできない。  リィシアは最悪の展開を予想し、最大限の自衛をする。 「リンハン嬢、昼間は、すまなかった。皆の前で供の者と諍いをしただけでなく、軽率に、憶測で、そなたの素性を話してしまって」 「憶測だったんですか?」  リィシアは、思わず訊いてしまった。  あ、いや、と戸惑う声が戸の向こうから聞こえる。 「確証がないわけではない。不泣姫(なかずのひめ)、リンハン氏の娘であろう」  不泣姫(なかずのひめ)。リィシアのあだ名は、王弟の耳にも届いていたのだ。 「開けてくれ。面と向かって話したいことがある。今、他の者はいない」  リィシアが丁重にお断りする前に、戸が開いた。廊下は真っ暗だ。部屋の蝋燭の灯で、王弟の顔がわかる。  王弟は手を伸ばし、リィシアの肩に触れた。 「今すぐでなくていい。もしも、きみに、まだ将来の話がなかったら」  王弟の低い声と手のひらの感触に、リィシアは、ぞわっと震えてしまう。 「いつか、僕と結婚してほしい」  リィシアは言葉を発することができなかった。  脳裏に浮かぶのは、実家にいた頃の記憶。不泣姫(なかずのひめ)とあだ名されるようになった、思い出したくもない出来事。  気づいたら、リィシアは格闘技で王弟を締め上げていた。
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