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1日目 昼
「やあ、隣人さん。目当ての本は見付かったかい」
謎の声が、やにわにカスミの思考を遮った。
反射的に振り向くが、誰もいない。代わりに、先ほどは固く閉じていたはずの窓ガラスが、いつの間にか大きく開放されているのが目に入った。
あまりにも驚いたので、カスミはうっかり足を滑らせてポシェットの中へ転がり込んだ。柔らかい革で出来ていたため、幸い衝撃は少なくて済んだ。
カスミはポシェットの中で息をひそめ、身動き一つとらずに耳を澄ませた。
誰? 見られた?
相手の姿は見えないが、声からして女性のようだ。窓が開く気配などしただろうか。そもそも、窓の位置からじゃこちらは死角になって見えないはずじゃ――。
暴れる心臓を片手で押さえ、速まる呼吸を必死に殺す。
どうすればいい? どこかに隠れた方がいい?
色々思考を巡らせながらも一向に動けないでいるカスミに、謎の声は嘘みたいに陽気な調子で喋り始めた。
「いやあ、急にお邪魔して悪いね。私としたことがうっかりしていたよ。前にターシャから借りた本を返そうと思ったのだけど、彼女はとっくに出勤している時間だったね。ベスが戻ってきたら、『隣の〈ブラウン〉が君のお母さんに本を返しにきた』と伝えてもらえるかな。それから……」
少し間を置いて、謎の声が続ける。
「『今度は〈何でも願いが叶う魔法薬〉の調合法が書かれたノートを貸してほしい』ともね」
〈何でも願いが叶う魔法薬〉! ポシェットの中でカスミは目を見張った。カスミが今一番知りたい薬の調合法が書かれたノートを、ベスのお母さんが持っているというのである。
カスミが静かなガッツポーズを作ると同時に、窓枠の上に何かを降ろすような、ドサリと重い音がした。
「それじゃ、頼むよ。お礼はここに置いておくからね」
用件は本当にそれだけらしく、謎の声はそれ以上聞こえなかった。
ガサガサと草をかき分ける音が徐々に遠ざかっていく。完全に音が聞こえなくなるのを待ってから、カスミはポシェットの口から顔を覗かせ、そっと窓の方を窺った。
窓枠の上には、辞書みたいに分厚い本が一冊置かれていた。焦げ茶色の、まさに〈外国の古い本〉といった感じのものだ。
その上に、何やら赤茶けた木の実のようなものが置かれていることに、カスミは少し遅れて気が付いた。
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