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「そういえば」
潤いを取り戻した口に再び密度の粗いパンを含みながら、カスミはベスに向かって言った。バスケットにはストローが入っていたため、彼女は難なく水を飲むことが出来たのだ。
「魔法の練習って、どこでしてるの? 音とか声とか、全然聞こえてこなかったから……」
口の中のものを飲み込んでから、ベスは当然とでもいう風に頷いた。
「一階のキッチンなんだけど、練習の時にはいつも、ルネットがドアに防音魔法をかけるのよ。大きな音が響いたら、ご近所さんにも迷惑でしょう?」
ご近所さん。
その言葉に、カスミは先ほどの訪問を思い出した。
「そういえば、さっきお隣さんが来たよ。確か、ブ……」
「えっブラウンさんが?」
カスミが言い終える前に、ベスが上ずった声を上げた。
しかし、彼女の瞳は焦心によってではなく、思いがけない歓喜によって見開かれているようだった。
「何の用事かしら。何か言ってた? もしかして、お茶会のことかしら」
グイグイと顔を寄せてくるベスに、カスミは思わず身を引いた。予想外の反応に躊躇いながらも、彼女は辛うじて口を開く。
「い、いや。用件はただ、ベスのお母さんに借りた本を返しに来たとしか聞いてないけど……」
ベスは心底残念そうに「そっかあ」と口を尖らせると、呆然としているカスミを怪訝そうに見つめた。そして、何か言おうと口を開きかけたところで、急に合点がいったように手を打った。
「あ、もしかして、ブラウンさんに見られたかもって心配してる?」
そりゃもちろん、聞かれるまでもない。
一も二もなく大きく頷いたカスミに、何がおかしいのか、ベスは愉快そうに「大丈夫よ」と笑った。
「ブラウンさんはいい人よ。他のオトナと違って、妖精とか精霊とかの存在をちゃんと理解している人だから。昔は冒険者だったらしいんだけど、その時の話もたまに内緒で話してくれるのよ。……あ、これ内緒ね」
人差し指を口に当てて言うベスに、カスミは苦笑しつつも頷いた。ベスの話には秘密事項が多い。心配しなくても、カスミには秘密を打ち明けられる相手などいるはずもなかった。
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