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本を片手に、ベスは早くも部屋を後にしようとしている。その背中に向かって、カスミは咄嗟に声をかけた。
「待って! ……その本、読んじゃ駄目かな」
「読む? この本を?」
カスミの言葉に、ベスは怪訝そうに振り向く。
「別にいいけど、難しいと思うわ」
「それでも構わないから。ちょっと試してみるだけ」
カスミとしては、とくに深い意味はなかった。
先ほど本棚を覗いた限りでは、ベスの部屋で魔法関連の資料は望めそうにない。その中で、この本は唯一魔法に関連した本だ。いくら〈高等魔法〉の本であっても、何らかの魔法事情は窺えるはずである。ベスが午後の鍛錬を終えるまでの間、目を通してみる価値はありそうだった。
しかし、必要以上にベスの好奇心をくすぐってしまったようである。
ベスはいそいそと机の傍まで戻ってきて、脇に抱えていた本を机の上に置いた。
「ねえねえ、どうして読む気になったの? ……あっ、もしかして、何か秘密のことが書いてあるとか? だからわざと難しそうな題名をつけているのかも。簡単には読まれないように」
ありそうな話だが、どうもカスミにはそういう風には思えない。際限なく繰り広げられる妄想に歯止めをかけるべく、カスミは真意を打ち明けた。
「いや、ちょっとは魔法の勉強もしておいた方がいいかと思って。ベスがいない間、他にすることもないからさ」
「なあんだ、そういうことね」
カスミの気のせいか、少し残念そうにベスが言う。が、ひとまず納得はしてくれたようだ。
かと思えば、本の表紙を見下ろし、「そういえば」と新たに湧き上がったであろう疑問を口にする。
「そういえば、カスミって字が読めるのね」
「どういうこと?」
カスミはムッとしてベスを見上げた。小学校はとっくに卒業したし、字くらい読める。いくら身体が小さいとはいえ、ベスよりいくつも年上なのだ。
けれども、ベスは悪びれる様子もなく「だって」と続けた。
「朝、そこの地図の字も読めていたじゃない。他の世界とこの世界の文字って、同じなの?」
「……たしかに」
言われてみればそうだ。この世界の字を、カスミは不自由なく読めている。それどころか、わずかな違和感すら覚えなかった。だが、日本語や英語を読んでいるという自覚もない。
言葉もそうだ。目が覚めてから、彼女はベスの言葉を聞き取り、理解することが出来ている。ベスだけではない。扉越しのルネットの声も、お隣のブラウンさんの声も、ちゃんと〈言葉〉としてカスミの耳に馴染んでいた。
にわかには信じがたいが、それを言ってはきりがない。目が覚めてから、信じがたい出来事の連続なのだ。
それに、文字や言葉が理解できるのは不幸中の幸いとも言える。もしもこの状況において、相手の言っていることすら理解できなかったとしたら――。
そこまで考えが至ったカスミは、自らの肩を抱いて小さく身震いした。
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