1日目 朝

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「あ、起きた!」  少女が、小さな唇を動かして短く叫んだ。その拍子に、癖のない髪の束が耳から滑り落ちる。毛先に鼻頭をくすぐられ、カスミは仰向けのままくしゃみをした。 「あっごめんなさい。ずっとその恰好じゃ寒いわよね」  どうやら、寒さ故のくしゃみと解釈したらしい。少女はどこからか小さなワンピースを指で摘まみ上げると、カスミの目の前へ差し出した。ドールハウスの人形に着せるような、ミニチュアサイズのワンピースだ。布地は白く、裾の方には繊細な花の刺繍が施されている。 「それ、私がハンカチを縫い合わせて作ったのよ。細かい作業が苦手だから、あまり綺麗にはできなかったんだけど……」  恥ずかしそうに告げるベスの言葉に、カスミは胸の内で納得した。道理で、刺繍が精緻なのにも関わらず縫い目がチグハグなわけだ。  うっかり破いてしまわないよう、慎重に袖を通す。一見小さ過ぎるように思えたが、身に纏ってみると案外余裕があった。 「思った通り、〈隣人さん〉にぴったりね」  カスミが着替え終わるのを見届けて、少女は満足そうにブルーの瞳を細めた。 「隣人さん?」  ――隣人? 隣の家の人だと思われてる?  怪訝な顔で尋ねるカスミに向かって、少女は何食わぬ顔で「ええ」と頷いた。正体不明の少女と初めて会話が成立した、記念すべき瞬間である。 「だって、そのまま〈妖精〉と呼んだらいけないんでしょう? あなたがいつ来てもいいように、こうして服と寝床を用意していたのよ」  ――妖精!  カスミは面食らった。人違いも良いところだ。いや、〈種族違い〉と表現した方が正しいかもしれない。愛らしいイメージのある妖精だが、自分が間違われるとなると、どうにも素直に喜べなかった。 「いや、わたし人間……」 「隠さなくたっていいのに。私は誰にも言ったりしないわ」  間髪入れずに少女が言う。 「人間はあなたたちみたいに、ティーカップで眠ったりしないのよ。人間はそれでお茶を飲むんだから」 「そんなこと言われても……」  カスミはほとほと困り果てた。この少女、何が何でもわたしを〈隣人さん〉と決めつけなければ気が済まないらしい。  とはいえ、少女の態度も全く理不尽というわけではなかった。立場が逆であれば、カスミも「少女が妖精である」と信じるより他なかっただろう。  けれども、実際そうではない。彼女は偶然〈隣人さん〉と見なされる条件を満たしてしまっただけの、列記とした人間なのである。
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