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「落ち着かれましたか」
ひとしきり怒鳴って疲れたのか、彼の父親が力なくその場に座り込んだ。
そして地面に額を擦り付けるほどの勢いで土下座をし、唸るように言い切った。
「この度は本当に……申し訳なかった。
そちらの条件は全て飲ませていただく、弁護士費用もこの馬鹿にしっかりと払わさせる。
本当に申し訳ないことをした」
そんな様子を見た彼は自分勝手にも「勝手に決めるな!」と憤慨した。
いまだに自分に決定権があると思っているのが笑える。
そんな権利、あるはずもないのに。
「色良いお返事をいただけるようで安心しました。
では詳しい内容はこちらの書類で……」
そう言って弁護士が鞄から書類を出そうとした時、黙り込んでいた彼の母親が突然立ち上がった。
「あ、あまりにも勝手すぎるわ! 貴女の都合で離婚だなんて、認められません!」
フー、フー、と息を荒げながら叫ぶ彼の母親を見たことがなかったのか、彼の父親は驚愕の瞳を向けて固まっている。
彼は自分を味方してくれる母親に尊敬するような視線を向けていた。
やっぱり予想通りのマザコンだったか、と心の中で悪態をつくがそれは表に出さないように笑みを浮かべておいた。
こういった相手をまともに相手していても疲れるだけだ。
当事者である彼にとどめを指してから一応は常識を持っている彼の父親に全部押し付けてしまおうと心に決めた。
「勝手……とおっしゃいますが、自分勝手な都合で他の女性と関係を持ち婚姻関係を破綻させたのは貴女の息子さんです。
そんな方とアタシは婚姻関係を続けていく気はありません」
「た、確かに息子は間違いを犯しました。
それでもこの通り、深く反省しているんです。
貴女も妻なのですから、多少の事くらい許してあげても……」
身勝手に好き放題言う彼の母親に盛大なため息をついてやれば、ギロリと睨み付けられた。
もう全てが一気にめんどくさくなってしまって、アタシは弁護士さんから興信所から受け取っていた“資料”を受け取って、テーブルの上に中身を全てぶちまけてやった。
弁護士さんは一瞬焦った様子ではあったが、後からどうとでもしてくれるだろう。
ここにあるのは全て複製したメールなどの文章の証拠品だ。
浮気相手の女性たち全員とのメールの写し、ここまでせっせと集めた集大成を食い入るように見つめる三人に、アタシはにこりと笑ってやった。
「彼の言う“愛している”が本当であれば、考える余地もあったかもしれません。
でも彼は他の女性たちに対して“早く別れたい”、“一緒にいても楽しくない”とアタシのことを言っていました。
何度も、何人にもです。そんな今更、彼の言葉を信用なんてできない。
ここにあるのは全て写し、原本は全て弁護士さんに管理してもらってます。
頷いてもらえないなら裁判という手もありますよ、どうされますか?」
ギリっと彼の母親が歯を食いしばっているのがわかった。
これ以上何も言う事はないだろう、そのまま黙っていてくれと願いながら視界から外して彼を見た。
顔色を青から白へ変えて証拠品を手に取りワナワナと震えながら見ている。
これ以上は話し合うことはできなさそうだなと判断して弁護士さんへと視線を向ける。
弁護士さんもコクリと頷くと懐から名刺を取り出して彼の父親へと差し出した。
「今日はもうお話ができる状態ではなさそうですので一度帰らせていただきます。
なお今後のやりとりは必ず当事務所を通してください。
直接奥様へ連絡をしたり、接触をしようとする場合は相応の対応をとらせていただきます。
あとこちらが離婚条件となる書類です。
書類に関してご質問がありましたら私の方へとご連絡ください」
それでは行きましょうか、という弁護士さんの声に腰を上げ彼と一緒に過ごした家を出る。
アタシの荷物と子供の物は全て実家に送ってあるから、もう二度とこの家の敷居を跨ぐことはないだろう。
合鍵を机の上に置くと、彼の父親がまた深く頭を下げていた。
発せられた言葉は震えている。
「本当……本当に申し訳ないことをした」
「……今更です、お義父さん」
彼の肩を持つかと思ったけど比較的常識のある人で助かったと思いつつ、アタシの息子を抱き上げて目尻を下げていた姿を思い出した。
いい人だったと思う、こんなことにならなければ息子にとっていいおじいちゃんになっただろうに。
「これまでありがとうございました」
そう言って、アタシは玄関の扉へと向かった。
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