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Ⅰ
「会食?」
久しぶりの日本の午後、俺は懐かしい町並みを彷徨いた後、大学での講演会を終えたミハイルと上野の某博物館で落ち合った。
パーティーをそこそこに抜け出してきたヤツは、ゆっくりと時間をかけて館内を巡り、東洋美術を存分に満喫し、俺は大好きな刀剣の展示に見惚れていた。
ひとしきり館内を堪能したところで、お気に入りの観音菩薩立像の前で切り出した。
「是非に...との誘いだ。精密機器の優れた技術をもった会社で、うちのIT 部門と業務提携させたいと思ってる」
「ニコライの得意分野だな。ニコライと行けよ。俺は一人で中華街にでも行くさ」
夕食は三ツ星のリストランテを予約されていてそれだけでも憂鬱だったのに、会食となれば、また肩の凝るフルコースを無理矢理笑顔でこなさなけりゃならない。
せっかく学生に紛れて聴講するから...とラフな学生っぽいスタイルを確保して、パーティーもパスして、学生気分を満喫して上がってたテンションが一気に落ちた。
「アルカイック-スマイルで乗り切れ。あちらもパートナーを連れてくるんだ。失礼はできない」
俺は心底、アジャンターの石窟にでも隠りたい気分だった。しぶしぶホテルに戻り、用意された衣装に着替える。番の鳥の刺繍のある黒のチャイナに、牡丹の刺繍をした絹の沓。もちろん刀子の仕込みをして、ガーターにワルサーのボブキャットを挟む。鏡越しにミハイルがじっと見ているので、適当にルージュを引いて立ち上がった。
それらしく腕を組んで相手方の待つホテルに赴く。ニコライが一足先にチェックのため、会場に向かった。
俺達は待機していたSP ....正確にはファミリーのボディーガードと共にインペリアルフロアへの直通のエレベーターに乗った。
「綺麗だ、ラウル。.....さすがは私の妻だ」
「止めとけ!」
埒もない男同士の痴話喧嘩を聞こえない振りをしてくれる、出来た部下達に囲まれて、高速で昇るエレベーターの磨かれた壁面に俺とは思いたくない色気虫な姿...何度見ても自分とは思えない。いや思いたくない。
「そう不貞腐れるな、これも仕事だ」
「仕事....ねぇ」
何とはなしに、ミハイルの口許が緩んでいるのが気にくわない。これはヤツが、なにか『悪いこと』を企んでいるときの顔だ。
そうこうしているうちにエレベーターが軽いチャイムの音を立て、目的の階に着いた。俺はしぶしぶ差し出されたミハイルの腕を取った。
分厚い絨毯を踏み、面前に待ち構えているホストに無理やり微笑みかける。
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