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Ⅲ
会議室で、ミハイルと隆人が仕事の話をするという。その間、俺と遥はリビングルームで待機になった。
ミハイルが俺はの頬に指先で触れた。
「ミスター加賀谷のキティと歓談でもして、いい子にしていろ、パピィ」
「ミーシャ!いい加減、その言い方はやめろ!しかも、なんでわざわざ英語で言うんだよ?!」
ミハイルが笑いながら隆人と会議室に消えた。案の定、遥が俺を振り返った。
「パピィ...?」
「俺は仔犬じゃねえ!」
即座に俺は強く否定した。遥は噴き出しそうなのを懸命にこらえているようだった。まったく....勘弁してくれ!遥は俺をなんとか宥めようと目を白黒させながら言った。
「確かに小蓮は仔犬というよりネコ科だな。それも凶暴なやつ。豹とか」
「ありがとうよ。褒め言葉として受け取っておく」
遥が笑いながら、俺に椅子を勧めた。
タイミングよく、コーヒーがサーブされる。俺のリクエストしたモカブレンドだ。
しばらくコーヒーをゆっくり味わい、俺は高瀬諒....この身体の元の持ち主を思い出していた。
ーあんなことが無ければ、高瀬諒が高瀬諒のままで、彼のように笑っていられただろうに....。ー
少しばかりやるせない思いが胸を過る。
外見上、ほぼ同年齢ということがわかり、遥は完全にリラックスした口調になっていた。
俺は実質、三十過ぎのオッサンだぞ。礼儀とか言えるような男じゃないし、敢えて言わないが......。
俺はふと気になっていたことを尋ねた。
「ひとつ訊いてもいいか?」
「何?」
「加賀谷さんを俺たちが見ていたとき、何をした?」
遥が薄く笑んだ。
「祈った」
「祈り?」
「そう。俺は闘えないが、祈ることができる」
「だから、祭司か」
ーそういうことか....ー
「なぜ?」
「遥の発するオーラがのようなものが、いきなり変わったからな」
『気』を自由に操るというのは簡単なことではない。かなりの修練がいる。この青年が、そういう鍛練をしているとは思えなかった。
遥は肩をすくめた。
「自分じゃわからないな」
「だろうな」
遥が膝を進めてきた。
「俺からも訊いていい?」
「なんだ?」
遥がなんとも言えない表情で首を傾げた。
「レヴァントさんの奥さんと紹介されたが、いつも女の格好してるのか?」
俺は思わず眉間をひきつらせて、声を荒げた。
「冗談はやめろ!」
遥が驚いて目を瞬いた。それはそうだろう。俺は壁の向こうのミハイルを渾身の力を込めて睨み付けた。
「無理矢理着せられてんだ。いつもだけど....。加賀谷さんもパートナーを連れてくるからってな。遥がスーツなら、俺もスーツでよかったのに、まったく.....ミーシャめ」
遥が、俺を宥めるつもりか、しどろもどろで言った。
「すごく似合ってる」
遥、褒めたつもりだろうが、それは逆効果だ。
「うれしくない。むしろ女装なら遥の方が似合うぞ。特別に可愛いし、肌も綺麗だからな」
柔らかな光を透かす髪、色白のきめ細やかな肌、桃花のような唇...とても男とは思えない。
「そう言われることは、俺もうれしくないな。そのせいで隆人と――加賀谷と関わることになっちまったからな」
「遥様」
影のように立っていた青年が口を挟んだ。
諫めるような視線を向ける男に、遥が肩をすくめた。
「しゃべりすぎるなってさ。だが隆人とセックスしているのは言ってもいいだろう?」
俺はまじまじと遥を見て、それから青年を見た。青年は耳まで赤くして、だが、生まじめに立ち続けている。
ーまったく最近の若いモンは...ー
「近頃の若い者は羞じらいがないな。そこの護衛の兄さんが顔を赤くしているぞ」
「これはわざと。始めは無理矢理で、監禁されて酷い扱いされたのは根に持ってる。な、俊介?」
「無理矢理?! 監禁?!」
思わずと俺はあの薄暗い部屋を思い出した。つまり隆人もミハイルも似た者同士ということか.....遥が俺の顔を見てにやりとした。
「ああ、小蓮も始めは無理矢理だったわけだ」
ーまぁ、そんな可愛いもんじゃなかったがな...ー
「俺も最初は扱いが酷かったからな」
ーまったく、ヤツときたら....ー
「ほう?」
ミハイルの声が、ふいに後ろを突いた。俺と遥はふたりしてぎょっとして振り返った。
ミハイルと加賀谷隆人が立っていた。
「ミスター レヴァントは東大に留学されていたこともあって、日本語もわかるそうだ」
隆人の説明に、さすがの遥も頬に血が上っているのがわかる。
ー忘れてた.....ー
「自業自得だ。そうだろう?パピィ」
耳許でミハイルが囁く。ヤツの顔に悪い笑みが浮かんでいた。俺は顔をひきつらせた。
「お互いペットのしつけには、苦労しますな」
ミハイルの皮肉に、遥が胸を張って笑みを返した。
「俺はペットではありません。加賀谷隆人のパートナーです」
そう言いきると、ミハイルの目をじっと見た。ブルーグレーの瞳がわずかに揺れた。
お開きの時間が近づいていた。
ミハイルの方から隆人に握手を求め隆人は満足した様子だった。
「有意義な時間をすごせた。ありがとう」
「こちらこそ刺激的なご提案、感謝します」
俺も遥に手を差し出した。
「遥」
名を呼ばれると、遥が手を握りかえす。
俺とは違う、柔らかい繊細な手だった。
ミハイルが遥にも大きな手を差し出した。
遥が素直に握ろうとすると、手首を返し、甲にキスを落とした。
突然のことに硬直した遥は手を取られたまま、ミハイルのブルーグレーの瞳を見返していた。
「野良猫とミスター加賀谷は言っていたが、なかなか気骨のあるレディだ」
遥はにっこりと笑い、手を引いた。
「恐れ入ります、ミスター レヴァント」
隆人と俺は当たり前に握手を交わした。
ニコライと俺達は駐車場への直通エレベーターに乗った。
遥が小さく手を振ってから、深く頭を下げていた。
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