この夏を破壊したい。

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ぼくの部屋に入ると、キリコは流れるような動作でひとつしかないクッションに腰掛ける。なんていうか、本当に遠慮がない。 「それで、聞きたいことがあるんですが」 キリコのいつも上がり気味の口角が、真一文字に結ばれる。そんな真面目な顔もできたんだね。 「今年、蝉鳴いてなくないですか?」 「あー……確かに。なんでだろ」 「おかしいですよ。抜け殻さえ見つからないですもん」 去年まではこれくらいの時期になると、炎天下でも外を歩けばセミが鳴いていて、この暑いのに頑張って生きてるんだなあと、変な形で勇気をもらったものだ。 なのに、今年はそれが一切ない。夜の住宅街にはコンクリートにしみ込んだ熱と、空気が飲みこんだ湿度があるだけで、ほとんど静寂に包まれている。 セミの気配のしない今年の夏は、なんだかすごく無機質だ。 キリコは深刻な表情で首をかしげる。 「なんでなんですかね。夏バテしちゃったとか?」 「うーん……」 こんなときはグーグルに頼る。文明の利器、万歳。 『セミの声 聞こえない』で検索。 すぐにネットニュースが出てくる。 『東京からセミ、消える――。暑さが原因か?』 『セミは三十二度を超えると行動が鈍くなると言われています』 『当然繁殖も難しくなります』 『ここ三、四年ほど夏の最低気温が三十度を切ることはほとんどありませんでした』 『そのためセミたちは異性と出会えないまま寿命を迎え――――』 「どうやら気温が高すぎて繁殖できなくなって、全滅したらしい」 「……えっ」 キリコは目を見開いたまま固まってしまう。 無念。温暖化という地球規模の潮流の中では、セミごとき昆虫に抗うすべはない。暑くて鳴くこともできないから、悲鳴をあげることもなく静かに滅んでいったのだろう。 残酷だなあ、と思う。さすがに他人事過ぎたかもしれない。 「大切な友達だったのに……」 他人事じゃないのが一名、わなわなと手を震わせて放心状態。 無理もない。小学生の頃、キリコはセミ捕りに夢中だった。それはもう、夏休みは捕まえた友達(セミ)の亡骸でピラミッドを築くぐらいには。頂点にカブトムシをのっけて「これぞ食物連鎖のトップ。甲虫王者ですよ」とか言っていたのが懐かしい。 身近な存在が消えるというのは、人間の精神に多かれ少なかれダメージを与えるものだ。 キリコは相当ショックなようで、フローリングに仰向けになって天井をぼーっと見つめるフェイズへと移行した。意外と繊細なやつなのだ、こいつは。 ……ここはフォローしてやった方がいいのだろうか。 「郊外ならまだ生き残ってるだろうし、涼しくなったらまたこのへんにも出てくるかも。ほら、この町って神奈川近いし――――」 「そうだ!!!!!!!!!!!」 細い首からどうやって出してるんだってぐらいの爆音を発しながら、キリコが起き上がった。耳がきーんとする。ご近所に響いていなければいいのだけど。主に、キリコのご家族。 キリコは鼻息荒く、ぼくの肩をがしりと掴む。 「わたしたちでセミの供養をしましょう。このままではセミたちも浮かばれません」 「そりゃまた殊勝な……」 セミに葬式が必要なのかは疑問だけれど、葬式には遺族の気持ちに整理をつけるという側面もある。キリコがセミとの思い出に決別するためには、必要な儀式なのかもしれない。 「それでどういうふうに行うの」 「人類に復讐します。自らが全滅に追いやったセミのことも忘れ、閑静な住宅街で眠りこけている人間どもに、我らの音楽を思い出せてやりましょう」 拳をぎゅっと握りしめ、気分はすっかりセミ残党兵。 ぼくも合わせて手を挙げる。こういうときは乗っかるに限る。 「必要なものはラジカセとCD、あと自転車です」 「外に出るなら水も忘れちゃダメだよ。セミの後追いになる」 「なるほど……ではそのように」 準備をするのはぼくだし、尻拭いをするのもぼくなんだけど。 それでもこの歳まで腰巾着をやってるのは、このバカを見るのが楽しいからに他ならない。 この歳まで、か。 ぼくもキリコも高校生で、相応に責任ある行動を求められる年齢だ。直接口に出して言われずとも、そういうふうに流れができている。 流れに抗うのは体力を使う。たとえ抗えたとして、摩耗していくものはある。 キリコだって例外ではないはずだ。さも例外であるかのように振る舞っているけれど、あいつはあれで繊細なやつなのだから。
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