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まさに夢のような展開だ。格好いい所なんて何一つ見せられなかったのに、好きな人と想いを通わせ、今はごく自然に手を繋いでいる。 壱哉(いちや)はあまりにも幸せで、完全に浮かれていた。 だからつい、油断していた。瑞季(みずき)の首元で揺れ動く何者かの苛立ちを、この手に掴んだような気でいた。 そろそろ宿に戻ろうと、他愛の無い話をしながら赤い橋に差し掛かった時、壱哉はようやく、自分の目論見が外れていた事に気がついた。背後に聞こえた祭り囃子が、突然聞こえなくなった。かと思えば、急に耳元で聞こえたりする。近づけば遠退く祭り囃子、辺りには霧が立ち込め、まるで、二人を霧の中に閉じ込めようとしてしているかのようだ。 「…瑞季さん、早く行こう」 嫌な予感しかしない、壱哉は焦りから、瑞季の手を引いて足早に橋の上を駆け抜けようとした。だが、橋の中腹まで来た時、ふと、今まで聞こえていた祭り囃子が完全に止まった。続けて、く、と手を引かれ、壱哉は足を止めた。 そして、振り返った先で気がついた、町の空気が一変している事に。明るかった町は暗闇に呑まれ、灯りがあるのは、瑞季の背後だけ。 「瑞季さん!」 壱哉は瑞季を引き寄せ、その胸に抱き留める。瑞季はぐったりとしており、その背中からは、金色に輝く粉のようなものが舞っていた。 「瑞季さん、しっかり!」 その背に手をあて気づく、輝く粉は瑞季の背中から湧き出ている事に。この不可思議な現象を、壱哉はよく知っていた。だからこそ、自分の危機管理の無さに、壱哉は腹を立てていた。 恋に浮かれている場合ではない、瑞季はその命を狙われ続けていたのだ。 「誰だ!出てこい!」 瑞季を抱きしめ、壱哉は周囲を窺う。すると、欄干の上でカランと音が鳴った。見上げると、首に鈴をつけた狐が座っていた。 「お前か、取り憑いていたのは。三ヶ月前からこの人の元に居るよな」 狐の口元が緩む。鮮やかな黄金色の毛並みが、暗闇に眩しく揺らめいた。それもこれも、瑞季を犠牲にして出来たものかと思うと、壱哉はふつふつと怒りが込み上げてきた。 「さて、いつだったか忘れたよ。こいつの悲しみの味は極上だった、深くて暗い悲しみは味わい深い。何故、君は私の姿が見えている、君が来てからというもの満足に食事も出来やしない」 狐の周囲の霧が色濃くなり、壱哉は舌打ちした。このままでは、暗闇に呑み込まれてしまう。 「もうおしまいだ、お前は長く人に取り憑きすぎた、あちらの世界に帰ってもらう」 「言うことを聞くと思うか?私はまだ、こいつの暗闇を食い尽くしていない」 「暗闇なんてない、この人には俺がいる」 壱哉は瑞季の体を片腕で抱き留めたまま、懐から小瓶を取り出した。 「そんなもの、どうするつもりだ」 「今は色々と技術が発達してるんだよ。言っただろ、帰ってもらうよ。あんたはこの人に指一本触れられない」 「人間ごときに何が出来る!そいつを寄越せ!」 狐が牙をむき、壱哉に飛びかかってきた。その姿は一瞬で巨大な獣へと姿を変えた。大きな耳を生やした化け狐は、耳まで口が裂けており、男の一人や二人、簡単に飲み込んでしまいそうな大きさだ。剥き出した大きな牙からは唾液が滴り落ち、橋を酸で溶かしていく。 それでも、壱哉の表情は変わらなかった。 「悪いけど強制送還だ」 その伸ばした腕が、巨大な口へ呑み込まれた時、小瓶の蓋が開き、巨大な狐の牙が、その体が、面白いくらいみるみる内に小瓶の中へと吸い込まれていった。 それはあっという間の出来事で、断末魔の叫びと共に狐が瓶へと収まると、周囲に漂っていた霧が晴れ、その場の空気が一瞬で変わった。祭り囃子が耳に届き、振り返れば、賑やかな露店や子供達の笑い声が聞こえてくる。どうやら、元の世界に戻ってきたようだ。 「…さすが、技術の進歩に感謝だな」 手の平の小瓶に目を向けると、黄金色に満ちた瓶の中で、狐が爪を立て、牙を剥いているのが分かったが、出られそうな様子もない。 それを確認すると、壱哉は瑞季の肩を軽く揺すった。ゆっくりと瑞季の瞼が開くと、壱哉はようやく安堵の息を吐いた。 「…壱哉君?」 「大丈夫ですか?良かった気づいて。ちょっと動きますね」 「え、うわ!」 壱哉は瑞季を横抱きに抱えて歩き出す。瑞季は真っ赤になって抵抗しようとしたが、すぐに頭痛を訴え大人しくなった。 「そのままでいた方が良いですよ。…瑞季さん、急に倒れちゃったんですよ、大丈夫ですか?」 「…うん、大丈夫。ごめんね、せっかくのお祭りなのに」 「いいえ、俺は一緒にいられるだけで楽しいですから」 「…はは、なんだか口説かれてるみたいだ」 照れ笑う顔に、壱哉は思わず足を止めた。その様子に、違和感を感じたからだ。 「俺、夢見てたんだ」 「…夢、ですか?」 「うん、祭りに行った夢、あの人と…幸せだったな」 そう言って瞼を閉じた瑞季は、吸い込まれていくように眠りについてしまった。 「…え、夢?」 嫌な予感がする、とてもとても嫌な予感がする。先程とは全く性質の違う胸騒ぎだったが、壱哉にはこの感覚も、よく覚えがあるものだった。
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