第5話 二度目の春

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第5話 二度目の春

 三月上旬。葉南東中学校、卒業式の日がやってきた。式は体育館でつつがなく終了し、今は各教室でクラスメイトとの最後の語らいをしている頃だ。やがて卒業生は校庭に出て、友人や後輩、教師達と写真を撮り始める事になるのだろう。  園芸部も、その例外ではない。速水をはじめとした三年生たちと、残される一年、二年生で集まり、写真撮影会をする事になっている。  丁度良い頃合いで時間は十時半となり、涼汰の携帯電話が鳴った。見た事の無い番号だ。 「もしもし?」 『あ、涼汰くん? フェンネルの間島だけど、ご注文の花束、届けに来たよ。今南門の前にいるんだけど、どこから入れば良いかな?』 「あ、じゃあ……そのまま南門から入ってよ。俺や山下先輩、北東のすみっこにいるからさ」  冬から春に変わるこの季節だ。園芸部の集合場所は、冬の花壇と春の花壇の境目であるこの場所と、毎年決まっているらしい。そう説明すると、電話の向こうから『なるほど!』と声が返ってきた。 『そこにこれから、園芸部のメンバーが集合するんだね? 丁度良かった』  たしかに丁度良いタイミングだったのだが、和樹の声からは別の意味がにおってくる。何が丁度良いのか訊こうとしたが、その前に電話は切れてしまった。 「……まぁ、いっか。どうせここに来てくれるんだし」  呟きながら、南門の方を見る。花を抱えた大人が一人、こちらに向かってくるのが見えた。その姿を、山下が目ざとく見つける。 「お、花が届いたか。ジャストタイミングだな」 「はい。……先輩達は?」 「校舎の方がざわざわしてるからな。そろそろ降りてくるだろ」  言葉通り、和樹が涼汰たちの元へ辿り着く前に、南校舎から三年生たちがぞろぞろと出てきた。皆、胸に花を飾り、手には卒業証書を持っている。一年前、自分も小学校をこんな風に卒業したなぁと、涼汰は少し懐かしくなった。小学校の先生たちは、元気だろうか。今でもまだ、涼汰の事を覚えていてくれるだろうか。 「先輩がた! 卒業、おめでとうございます!」  山下が叫び、涼汰はハッと我に返った。他の園芸部員たちも、口々に「おめでとうございます」と祝いの言葉を発している。  涼汰も言おうと口を開きかけたところで、和樹が到着した。このタイミングは、ちょっといただけない。 「わ、何あの人! カッコイイ!」 「大人って感じ! 大学生?」 「花屋さんだって。カッコよくて優しそうなんて、最高じゃない?」  和樹の存在に気付いた女子の一部が、騒ぎ始めた。やはり、顔は良いのだ、和樹は。こう見えてこの人は残念なイケメンですよ、という言葉がのど元まで出かかって、涼汰はそれをなんとかこらえた。  大勢に注目されて少しだけ居心地悪そうな顔をしながら、和樹は涼汰をはじめとする在校生三人に素早く花束を手渡した。他にもまだ注文されたのか、和樹の手にはまだ一つ、花束が残っている。 「それじゃあ、改めて……先輩がた、ご卒業、おめでとうございます! 高校生になっても、いつでも園芸部に遊びに来てください!」  三年生に花束が手渡され、拍手が湧き起こる。拍手をしながら、涼汰は「ん?」と首をかしげた。  涼汰の横で、和樹も拍手をしている。残り一つの花束を持ったまま、動こうとしない。その花束は、今涼汰たちが渡した物と使われている花も違っていて、数を間違えて一つ多く持ってきてしまった、というわけでもなさそうだ。 「……間島さん。ずいぶんゆっくりしてるけどさ……配達の続き、行かなくて良いの? その花束も、配達の品でしょ?」 「あぁ、大丈夫だよ。この花束の届け先も、ここだからさ」 「は?」  涼汰は思わず、顔をしかめた。その頃には、いつまで経っても立ち去らない花屋の青年に、他の園芸部員たちも疑問を持ち始めたのだろう。ざわざわと、視線が再び和樹に集まり始めた。 「あの……ちょっとだけ話が聞こえちゃったんですけど、その花束……園芸部員が注文したんですか? 一体誰が……」  怪しむような顔をしながら、速水が間島の事を見る。頭のてっぺんからつま先までをじろじろと見られて、間島は「あ」と呟いた。顔が苦笑いになっている。 「そう言えば、涼汰くんと楓哉くん以外の人たちとは、初めて会うんだったね。……はじめまして。俺は間島和樹。仁志山駅前の花屋、フラワーショップ・フェンネルのアルバイト店員です。今日は俺の注文で、園芸部OGの水谷茜さんと、そのお友達の佐原香澄さんに花束をお届けに参りました」  一瞬、場の空気が凍り付いた。三年生と二年生は息をのみ、水谷と佐原を知らない一年生は戸惑っている。 「……どういう、事ですか? 水谷先輩と佐原先輩に花束って……。しかも、あなたの注文って。……ちょっと、悪趣味なんじゃありませんか?」  速水が和樹に詰め寄り、その顔を睨み付けた。しかし、そんな険しい視線はさらりと受け流して、和樹はにこりと笑って見せる。 「……ごめんね。言い方がちょっとまずかったかな? 佐原香澄さんの遺した最後の暗号を読んだら、こうした方が良いと思ったんだけど……」 「えっ……!?」  ざわりと、空気が揺れたように感じた。 「それって、間島さん……あの最後の暗号が、解けたって事!?」  目を見開く涼汰に、和樹は笑顔のまま頷いた。山下も、速水も、その他の部員たちも、言葉が出ないという顔をしている。 「暗号が解けたって……それじゃあ、山下や浅海が、佐原先輩の暗号をずっと持ちこんでたっていう花屋って……」  やっと言葉を絞り出した速水に、和樹は笑顔を向けた。この場面だけ見れば、本当にイケメンだ。 「最後の暗号は、今までとは毛色の違うものだったよね」  笑顔のまま、速水の言葉には応えないで。和樹は本題を切り出した。 「ホタルブクロ、ダブルシャイン、ハオルチア、スノードロップ、エゾムラサキ……今回の暗号に書かれているのは、これだけだ。……多分これ、今までの暗号の中でも一番わかりやすいものなんじゃないかな?」 「え!?」  暗号文だけは、園芸部員全員に知れ渡っていたのだろう。全員が、間抜けな声を発した。一文字だけの合唱に、和樹は面白そうに笑って見せる。 「ホタルブクロ、スノードロップ、エゾムラサキが花の名前だって事は、雰囲気でわかるね? あとの二つも、花……と言うか植物の名前だよ。ダブルシャインはヒマワリの品種で、ハオルチアは南アフリカ原産の多肉植物。ハオルチアは一部の種類では葉の先に『窓』と呼ばれる半透明な部分があって、光の透過具合を楽しむ事ができる植物で。窓植物と呼ばれているんだよ」  そう言いながらスマートフォンで検索し、ダブルシャインとハオルチアの画像を見せてくれた。全員が画像を見たのを確認してから、和樹は再び口を開く。 「……で、今の窓植物って言葉をしっかり頭に刻み込んだ上で、考えてみてくれるかな? 最初の四つの花の名前を聞いて、それぞれ連想できる漢字を一文字ずつ挙げるとしたら、どうする?」  園芸部員たちは、顔を見合わせる。少しざわめきながらも、めいめいに己が思い浮かべた漢字を口にした。  大体を聞き終ってから、和樹は「うん」と頷く。 「今聞いた感じだと、大体の人が俺と同じ連想をしたみたいだね。ホタルブクロは『蛍』で、ダブルシャインはシャインという言葉を抜き出して、和訳して『光』。ハオルチアは窓植物だから、『窓』になり、スノードロップは迷う事無く『雪』だ」  ざわめきが少しだけ大きくなった。今の和樹の話で、答がわかった者が少なからずいるのだろう。涼汰も、わかった。速水もわかったようだ。……山下は、少々怪しい。 「まだわからないって人は、『蛍』と『窓』の後に、『の』って文字を入れてみてくれるかな? それで、続けて読むと、どうなる?」  全員がわかったのだと、空気でわかった。「そう」と和樹が呟く。 「蛍の光、窓の雪……卒業式で必ずと言って良いほど歌う、あの歌の冒頭部分だね。そして、最後のエゾムラサキ……この花の別名は、忘れな草。花言葉は、『私を忘れないで』」  ハッと、二、三年生が息をのんだのがわかった。ここで涼汰も、理解する。  何故、佐原香澄は、このような暗号を作ったのか。 「佐原香澄さんは、とても体の弱い人だったと聞いているよ。それこそ、卒業式までもたないんじゃないかと言われていたってね。卒業生のみんなに水を差すようで悪いけど、普通は中学校を卒業したところで、二度と会えなくなるわけじゃない。会おうと思えば、いつでも会う事はできる。会う事ができれば、相手を忘れる事も無い。……けど、佐原さんは違った」  いつ死んでも、おかしくない。死ねば二度と、みんなとは会えなくなる。会えなくなれば、みんなは自分の事を忘れてしまうかもしれない。 「不安になった佐原さんは、親友の水谷さんに相談したんだろうね。そして、みんなを振り回す暗号ゲームを仕掛ける事にしたんだ。暗号を解いている間は、みんなは佐原さんの事を忘れない。そうなる事を願って……」  本当は、最初の暗号……涼汰が見付けたあの箱は、埋めるつもりはなかったのかもしれないと、和樹は言う。 「全てを知っている水谷さんが大事に保管して、同窓会とかで折を見て、クラスのみんなに見せるんだ。佐原さんが最後にくれた箱の中からこんな物が出てきたんだけど、これがどういう意味か、みんなはわかる? って具合にね。みんなで額を寄せ集めて、花壇を掘れる時期になるたびに集まって、暗号を一つずつ掘り出して。みんなで、佐原さんはなんでこんな暗号を遺したんだろうって考えてもらう。そういう作戦だったのかもしれない。そして最後の暗号で……みんなは、佐原さんが暗号を遺した意図に気付く」  卒業しても、私の事を忘れないで。 「時間をかけて付き合った暗号の行きつく先にこの言葉が待っていたら、結構なインパクトだよね。忘れたくても、簡単には忘れられないと思う」  どこからか、嗚咽が聞こえ始めた。泣いているのは速水か、それとも別の三年生か。 「けど、予想外の事が起こった。最後の暗号を保管しておくはずだった水谷さんが、事故で亡くなってしまったんだ。このままでは、計画がとん挫してしまう。……そう考えた佐原さんは、顔見知りだった園芸部に頼み込んで、春の花壇にあの最初の暗号を埋めさせてもらったんだ」  クラスのみんなに暗号を解いてもらうのは難しそうだ。なら、園芸部の誰かに。水谷茜と一緒に楽しいひと時を過ごした、園芸部の誰かに。その誰かが、この暗号を、自分の……いや、自分と水谷茜の生きた証を、追いかけ、ひも解き、そして記憶に残してくれたなら……。 「何が入っているのか、詳しい話はしないまま。佐原さんは暗号を埋め、そして卒業式の前に息を引き取った。そしてそれから三ヶ月……そこの浅海涼汰くんが、春の花壇で暗号を見付けた。それが今回の、この一連の暗号騒動の始まりだったというわけなんだ」 「……俺が見付けなきゃ……佐原先輩は、そのまま忘れられていた?」 「そうかもしれないね」  頷き、そして和樹は、最後の花束を持ち上げた。春の花壇に近寄り、花束を立てかける。 「間島さん……その花、何なんスか?」  山下の問いには答えず、和樹は花束を前に手を合わせた。そして、しばらく祈るように黙っていたかと思うと、花壇を見詰めたまま口を開く。 「この花束に使われている花は、三種類。まずは、カスミソウ。そして、アカネ。最後が……シオン。シオンの花言葉は……『君を忘れない』」  佐原香澄さん、水谷茜さん。あなたたちの事を、絶対に忘れない。  誰かが、号泣し始めた。ただこういう雰囲気に弱いのか、佐原や水谷と仲の良かった生徒なのかは、わからない。  園芸部員たちがすすり泣く中、和樹は立ち上がった。くるりと花壇に背を向けると、涼汰の方に向かって歩いてくる。 「俺の役目は、ここまでかな。あとは……涼汰くんたち、園芸部の話だよ」  立ち去りかけて、一度だけ足を止めた。涼汰に顔を近付けると、小さな声で囁く。 「フラワーショップ・フェンネルは、年中いつでも、どの季節の花でも揃えているよ。花だけじゃない。種や、苗も。欲しい花があったら、これからも、いつでも遊びに来ると良い。乾さんもきっと、喜ぶよ」  笑って、そう言って。そして、今度こそ本当に、和樹は去ってしまった。南門を通り、角を左に折れ。その姿は、塀の向こうに消えてしまう。 「なんだよ……残念なイケメンのくせに。これじゃあただの、カッコいいイケメンじゃんか……」  悔し紛れに呟いて、苦笑して。涼汰は振り向き、春の花壇に目を向けた。  花壇に立てかけられた三種の花が、風に吹かれてゆっくりと優しく揺れていた。   ◆  三月の下旬。春休みになり、涼汰はフェンネルへと足を向けた。カランコロンとドアベルが軽快な音を立て、店内で作業をしていた乾と和樹がこちらへ振り向く。 「いらっしゃい……あ、涼汰くん。なんだか久しぶりだねぇ。元気だった?」 「うん。乾のおっちゃんは?」 「僕も、元気だよ。それで、今日はどうしたの?」  問われて、涼汰はニッと笑って見せる。ニヤニヤとした笑いが顔中に広がりそうになるのをこらえながら、「実はさ……」と切り出した。 「園芸部で、会議をやったんだ。今後、花壇で何を育てるかって。……で、今日はその種とか、苗の買い出し」  言いながら、ごそごそとポケットの中を探る。取り出したメモを、「これだけちょうだい」と言いながら乾に手渡した。乾と和樹が、二人揃ってメモを覗き込む。そして。 「あっ!」  二人揃って、目を丸くした。涼汰は、「してやったり」と言わんばかりの満面の笑みを顔に浮かべる。 「アカネと、カスミソウと、シオン。それの種とか苗が欲しいんだ。部内会議で、今後夏の花壇ではずっとその三種類を育てていく事になったからさ。来年の今頃も、忘れずに仕入れといてよ」 「かしこまりました。絶対に忘れないよ。来年の今頃、必ず仕入れておくから」 「任せたよ、乾のおっちゃん」  在庫の種や苗を確認しに、乾が奥へと姿を消す。残された涼汰と和樹は顔を見合わせ、どちらからともなく笑顔を浮かべる。 「これから毎年育てるんだ、あの三種」 「うん。毎年、必ず育てる。でもって、種を蒔く時、苗を植える時……必ず話すんだ。自分の生きた証を遺すために、懸命になった先輩達の話。山下先輩が卒業しても、俺が卒業しても、次の代に受け継がれるように。佐原先輩と水谷先輩の事、園芸部の人間だけでも、忘れないようにするんだ」 「大変な仕事だね。責任重大だ」 「うん。……間島さん」  少しトーンの落ちた涼汰の声に、和樹は「ん?」と首をかしげた。そんな和樹の目を、涼汰はまっすぐに見詰める。 「ありがとう、花を届けてくれて。謎を、解いてくれて」 「……謎が全部解けて、すっきりした?」  くすりと笑った和樹に、涼汰は笑顔で返した。 「うん、もやっとしてたのが、すっげーすっきりした! ……でもって……敵わないなって思った」 「ん? 何が?」  少しだけ眉間に皺を寄せて、和樹は涼汰の顔を覗き込んだ。しかし、涼汰はぷいっとそっぽを向いてしまう。 「さぁね。名探偵なんだから、自分で考えてみれば?」  自分の口では言いたくない。目の前の大学生がとてもカッコよく見えて、自分は絶対ああはなれないだろうな、などと考えてしまった事など。 「お待たせ! 店にある在庫、ありったけ持ってきたよ。足りない分は発注しておくから、また今度で良いかな?」  乾が段ボール箱を抱えて戻ってきた。「よいしょ」と言いながら床に降ろせば、どさりと重そうな音がする。 「かなり重いけど、大丈夫? なんなら、また配達するけど?」 「……それもまた、俺ですか?」  重そうな段ボール箱を恨めし気に眺めながら和樹が恐る恐る問う。容赦なく「もちろん」という言葉が返った。 「最近、ちょっと腰が痛いんだよねぇ」 「乾さん……本格的にオジサン化してきてませんか?」  呆れた様子の和樹に、乾はあははと笑って見せる。 「和樹くんも、そのうちこうなるって。……大学出たら、あっという間だよ?」 「嫌な事言わないでください!」  相変わらずの漫才のような二人の会話にひとしきり笑ってから、涼汰は自分で段ボール箱を持ってみた。たしかに、重い。これを運ぶのは、大変そうだ。 「じゃあ、今回も配達をお願いしようかな。明日の午前中とかでも良い?」 「大丈夫だよ。今なら大学が春休みで、和樹くんもほとんど毎日朝から入ってるしね。九時から十時の間ぐらいで良いかな?」 「オッケー!」  手で丸を作って見せると、乾が「よしきた!」と応えて伝票を書き始めた。場が一気に盛り上がったところで、カランコロンとドアベルが軽快な音を立てる。 「いらっしゃいま……三宅さん」 「こんにちは、乾さん。それに、間島くんも……あ、今日は涼汰くんもいるんだ」  優しい笑顔を向けてくる三宅に、涼汰はぺこりと頭を下げた。そう言えば、三宅に会うのは乾以上に久しぶりだ。前に会ったのは、十二月だったか。 「実は、二月にもすれ違ってたんだけどね」 「えっ、そうなんですか!?」  三宅相手に言葉を敬語に切り替えた涼汰を見て、乾と和樹が複雑そうな顔をした。 「……涼汰くん、三宅さんには敬語を使うんですね……」 「僕達、ずいぶん気安く扱われてるよねぇ……。僕なんか、涼汰くんより一回り以上年上なのに……」 「乾さんはまだ良いですよ。俺なんか、途中まで敬語だったのが、ある日突然タメ口に切り替わったんですから」 「和樹くんのは自業自得だよ……」  ブツブツと不満をこぼす二人に、三宅が気が付いた。呆れた顔をして、腰に手を当てる。 「何をちっちゃな事で腐ってるんですか? いい大人が。大体、涼汰くんぐらいの年頃の子なら、タメ口で話してくれるのもそれはそれで親しみがあって良いじゃないですか。それだけ、二人に慣れ親しんでくれたって事でしょう?」  乾と和樹が、二人揃って「目からうろこが落ちた」という顔をした。「おぉー……」と小声で呟き、瞳を輝かせている。 「なるほど……そういう考え方もありますね」 「親しみを持ってくれているんなら……タメ口も結構嬉しい、かな?」  二人は頷き合い、嬉しそうな顔をする。三宅が、「どうだ」と言うように胸を張った。 「ただし、涼汰くん。今はこうして許されるけど、もう少し大人になったらちゃんと大人には敬語を使うようにならなきゃ駄目よ? タメ口を使うのは、本当に仲良くなってから!」 「はーい」  素直に返事をする涼汰に、乾も和樹も、声を立てて笑い出す。涙目で笑いを収めながら、乾は頼もしげに三宅を見た。 「注意すべきところはちゃんと注意するんだね、三宅さん。さすがだなぁ」 「本当、頼もしいですよね。三宅さん、厳しいけど優しい、良いお母さんになりそうだなぁ」  にこやかに言う和樹に、三宅が顔を一瞬で真っ赤に染めた。「犬も食わない」という言葉はこういう時に使うのかなぁと思いつつ、涼汰はそんな二人を眺めてみる。見れば、乾も妙に楽しげに二人を見詰めているではないか。  ここでもう一言、ダメ押し的に和樹が何か言えば、このまま二人はくっついてカップル成立するのではないだろうか?  ……と、そこでふと、涼汰は何かが引っ掛かったような感覚を覚えた。和樹が三宅を褒める。その様子に、何やら見覚えが……。 「あっ……間島さん、ちょっと待っ……」 「さすが、文学ゼミの頼れる姐御!」  一瞬で空気が凍り付く。三宅の顔が、先ほどまでとは違う意味で赤くなる。涼汰と乾は額に手をやった。空気を切る音が聞こえ、何かが破裂したような乾いた音が辺りに響く。 「台無し!」  一言だけ叫ぶと、三宅はツカツカと店の奥へと入っていく。本日の目的だったのであろうお彼岸用の花束を一束選ぶと、さっさと会計を済ませ、帰ってしまった。 「ああもう……本当にこの子は……」  レジに千円札をしまいながら、乾はため息をついた。本当に、このムードの読めなさと余計な事を言いがちな性格さえ無ければ、本人が望むとおりにモテそうであるというのに。本当に残念なイケメンである。 「けどさ、乾のおっちゃん。俺、この間島さんの方が見てて安心するかも」  笑いながら涼汰が言えば、乾も苦笑して頷いて見せる。その間もずっと、和樹は頬を赤く腫らしたまま、呆然とドアの方角を眺めていた。  時は三月、春真っ盛り。明日は快晴、園芸日和。桜の花びら舞う校庭で、夏に備えて種を蒔く。  忘れないでと願った人の、他人をも巻き込む暗号騒ぎ。その結末の、なんと穏やかな事だろう。  思わず頬が緩むのを感じ取り、気を引き締めるために、涼汰はそっと、心の中で呟いた。    忘れないよ、絶対に。 (了)
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