2 最悪の契約

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2 最悪の契約

 一年下の、高校一年の男と眞樹がセックスすることになったのは、ひとえに眞樹の事情からだった。  眞樹には好きな男がいる。  だけど彼には好きな人がいる。  眞樹の兄の春希(はるき)だ。ふたりは中学校からの付き合いで、今年同じ大学の三年生になった。仲のいい友人同士で、当時からよくつるんでいた。自分は彼らの後ろを追いかけるようにして育った。  彼は彼自身の気持ちを言ったことはなかったが、彼らを見てきた自分はわかっていた。  彼は長い間兄のことが好きで、そして自分もずっと彼のことが好きだった。  だけど優しい彼を困らせたくなかったから、想いは伝えず封じることにした。  ただ見ているだけで良かったのに、そこに駿介が割り込んできた。彼は大学生である兄の家庭教師をしていた子で、今年眞樹の高校に入学してきた。  桜は散ったがまだ上着を手放せないくらいの時期で、その日は空模様が怪しい帰り際だった。傘をどうしようかとりあえず全力で走るか考えていたとき、彼は二年の教室にやってきて、丁寧な挨拶をしてから、おもむろに言ったのだ。 (先輩、春希先生といつも一緒にいるあの人のこと、好きなんでしょう?)  クラスメイトが背後を通り過ぎるような教室で、とんでもない爆弾を落とした。 (――は? んなわけねえだろ)  初対面の年下相手だというのに、思わず口調が乱れた。  同じ学校に入ることになったから、と春希から言われていたのを思い出していたときだ。いい子だからよく面倒をみてやってくれと頼まれたのに、一瞬にして印象が覆った。  軽くカールをした柔らかい髪と、穏やかな丸い目と、ふんわりとした唇の、ひょろりと背の高い可愛らしい感じの一年生だったが、微笑する彼はまるで羊の群れに混ざった狼のような眼差しをしていた。 (隠さなくてもいいじゃないですか。この前三人で歩いていたのを見たんですよ。先輩、すごく切なそうに謙二郎(けんじろう)さんって人のこと見つめてたでしょ) (名前まで知ってんのかよ……) (先生が雑談してたとき、親友のことを教えてくれたので)  机に寄り掛かりながら、彼は人懐っこい様子でにっこりと笑った。 (――告白しないんですか? 手伝いますよ)  言われたとたん、ぴりっと胸が痛んだ。  でも決して彼が応えてくれないのはわかっている。兄は自分と違って華やかで人を惹きつける魅力があった。自分とは違いすぎる。  それならいっそちゃんとフラれたほうが新しい人を想うことができるかもしれない。何百回も考えた。  だけど影のように側にいる謙二郎は、自分を弟として可愛がってくれている。だからきっと、困惑し、遠慮するだろう。  彼の重荷になりたいわけではない。だけどずっと見守っているだけなのはつらかった。 (――余計なお世話だっての)  ため息とともに痛みを逃す。彼との会話もどうでもよくなってきた。  早く帰りたくてカバンを持とうとすると、ぐっと押さえられた。 (何すんだやめろ) (諦めるんですか?) (うるせえ) (まあ、先生が相手だと勝てる気しませんよね)  いとも簡単に腹立たしいことを言い、彼は軽く屈んできた。 (僕があなたの恋心を消してあげましょうか)  耳元に、ささやく。  世界中の音が消えてしまったかのように、小さな声だけが眞樹の耳に入ってきた。 (セックスしてナカイキしたら、させた人を好きになってしまうんですって。内臓に触れられて気持ちよくなったら、そこまで許したのならこの人は大事な人なんだって誤解するんだそうです。人間の体って不思議ですよね)  あまりにあまりなことを言われ、理解できずに眞樹は押し黙った。  何度か反芻して、よくやく言葉を絞り出す。 (――おまえとヤって、忘れろってことかよ) (試してみる価値はあると思いませんか?) (何だそれ)  鼻で笑って一歩下がる。力づくでカバンを取り返し、肩に引っかけた。  ふざけんな。  人の弱みに付け込むような提案を受け入れられるわけがないだろう。それにそんなこと、特に気持ちがないような相手とできるわけが。  言って、気がつく。 (おまえ俺のこと好きなのかよ? だったら諦めろ。おまえみたいな生意気なやつ、好きになんてならねえから) (違います)  軽く嘲笑って駿介は視線を逸らせた。さわっと雨の匂いのする風が彼の前髪を揺らした。 (あの先生の弟っていうのに興味があるだけです」) (……、どこまでも失礼なやつだな) (せっかく提案したのに受け入れてくれないんですか? 僕は別に、あなたの恋心のことを謙二郎さんや先生に告げ口して、兄弟関係が気まずくなってしまっても全くかまわないんですけど) (はああ? っざけんな。脅してんのか) (ふふ。一回ノンケを開発してみたかったんですよ。僕と遊んでください)  あまりに可愛らしく微笑むから何の話をしているのか忘れそうだ。  だけど結局は秘密を知っているから口封じに身体を差し出すよう言われたのだった。
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