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3 帰ったらいる男
駿介の家は学校から自分の家までの、定期で途中下車ができる区間にある。
駅まで無言で歩き、むっつりしながら電車に乗った。強がってみても腰の奥の方には鈍い痺れが残っていて、定期的な振動が微妙に痺れを呼び起こすのが困る。それに眠くて仕方がなくなるのがつらい。
家の最寄り駅からは自転車だ。住宅地の中の坂道を一〇分程度登る。着くと家には明かりがついていた。
若い夫婦が中古物件を買ってリフォームした、どこにでもある二階建ての一軒家の、ガレージに自転車を停めた。
「ただいまー」
「おー、お帰り」
玄関に入ると歯ブラシをくわえたまま春希が洗面所から顔を出した。
なぜ今歯磨き?
疑問を浮かべたまま眞樹はそのままダイニングに行く。対面式キッチンのカウンターの前で、謙二郎が菜箸を持ったまま難しい顔をしていた。
体格の良い長身の、厳ついめの容姿の男が、そういう顔をすると迫力がある。
「うっ。――どしたの」
「いや……」
洗面所で水音がして、ばたばたと人の気配が動く。春希が二階に駆け上がっていったようだ。ちょっと天井まで見送ってから、眞樹は荷物を床に放り出した。
「腹減った! 見ていい?」
コンロに近づくと大鍋の蓋を開けた。ジャガイモが煮崩れているが肉じゃがのようだ。それからグリルから魚の焼ける匂いがする。
「うう、良い匂い……」
きゅうっと胃が縮まる感触がある。学校に行って、帰りにセックスして、くたくたに疲れている体に染みてきた。
謙二郎が不愛想に横目で見てきた。
「食うか?」
「もちろん」
「俺はいらない」
ダイニングに顔を出して、春希が言った。イケメンというよりは華やかで線が細い彼は、赤っぽい長めの髪をつややかに流し、首周りの開いた緩めの薄黄緑の薄手のニットと細身の焦げ茶のパンツを着ているせいで、若木の女神のようだった。
昔から彼は明るく朗らかだったが、最近はことさら派手になっている。
「……それで女に会うのかよ」
「え? どっか変?」
体を捻って背中をみせる。その仕草もモデルのようだ。
「変っていうか」
これから会う女より兄貴の方が美人じゃねえのか。眞樹は言葉を呑み込んだ。
春希は大学に入ってから半年ごとに彼女が替わっている。年上が好みらしく、最近では就職した先輩と付き合っているようだった。その彼女に会うのだからキメたいのはわかるが、だけどこれは……。
春希はポケットからスマホを出すとメッセージを確認した。そして慌ててしまう。
「今日は帰らないから! 明日は三コマからだし、ごめんねママ、明日の夕飯は食べられると思う。たぶん」
「誰がママだ」
「あっはっは。いってきまーす」
謙二郎のむっつりとした返答を軽やかに無視し、彼は手ぶらで出て行った。ぱたんと玄関のドアが閉まる音がしたとたん、彼は深いため息をついた。
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