第9話 ──帽子屋

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第9話 ──帽子屋

 修也は真剣な口調でそう言いながら、裏路地の端へと視線を向ける。  ──そこには、鈍色のビジネススーツを着込んだ灰色の髪の男が、右手に黒いシルクハットを持って佇んでいた。  「あ! あの男……!」と声をあげる有利栖を余所に、男はおもむろにシルクハットを被ると両手の平を叩きパチパチと乾いた音を鳴らす。 「いやぁ……胸を打つような決意表面。  実に素晴らしい。お涙頂戴物ですよ。今すぐチップを投げ渡したいくらいだ」 「…… “領域”を張っている割には随分と遅かったじゃないか、“血翼(アカハネ)”。  に……しても。そのシルクハット……なるほど、お前が“帽子屋”か。迷わず高位の精霊奏者(エレメンター)をぶつけてくる辺り、彼女の精霊に対するお前らの執着が伺えるな」  自動拳銃を構え、冷静にそう言う修也。  “帽子屋”と呼ばれた男は、ニヤリと歪んだ笑みを浮かべ口を開いた。 「ほう……? 私を“帽子屋”と知って、なおその態度ですか……くっくっ、“最高位”の精霊を持つ少女を隣に置けば、私に勝てるとでもお思いで?」  “帽子屋”の言葉に、すぐ身体を動かせるように身構えつつ「最高位……?」と首を傾げる有利栖。  ──不意に、修也か“帽子屋”から視線を逸らさずに口を開いた。 「……本来、精霊ってのは1人につき1体。宿主たる人間が死ねば、精霊も自然へと還る運命(さだめ)にある。  ──だが。宿主と生死を共にしない、永遠を生きるこの世の(ことわり)から外れた最高位の精霊が、この世界に“2体”存在する。  白綺 兎月が君に託した精霊は、その内の1体だ」  有利栖は、修也のその言葉に驚き目を見開く──と、同時に“血翼(アカハネ)”がこのモンシロチョウに執着する理由がなんとなく理解できた──理解したくはないが。  呑気に羽根を揺らしていたモンシロチョウは、ふと頭部を有利栖の方にもたげると音も無くふわりと飛び立ち、有利栖を守るように周囲を舞う。    “帽子屋”は、修也と有栖川を前に歪んだ笑みを浮かべたままシルクハットに右手を掛け、ゆったりとした動作で脱ぐ──その漆黒のシルクハットが、ケタケタと不気味な笑い声を上げた。 「さぁて……最高位(たから)の持ち腐れのガキと、精霊を持たないニンゲン……。  どの程度、私を楽しませてくれるかなァッ!?」  “帽子屋”はそう声を荒げると、光の灯っていないドス黒い瞳を見開き、シルクハットを振るった。  ── “帽子屋”を取り囲むように、血が凝り固まってできたかのような赤黒い色の爪や牙、鎌に触手、蝙蝠の羽根──様々な形の怪物たちが、シルクハットの内部から大量に湧き出る。  その異形の獣たちは、べちゃりと音を立て周囲に広がると、脈打ちながら“帽子屋”の周囲を這い始めた。  たちの悪い悪夢か──そう思ってしまう程のそのグロテスクな光景に、有利栖は「ひっ!」と短い悲鳴を上げる。  そんな有利栖の隣に立つ修也は、拳銃を構えたまま「大丈夫だ、有利栖」と優しく声を掛ける。 「その精霊の力は“浄化”だ。  どんな精霊が相手だろうと、全てを無に帰す絶対の盾……願うんだ、“守れ”と。願いは、精霊の力になる」 「う、うん……やってみるっ!」  修也の言葉に、有利栖は両手をぐっと握り締め力強く頷く。  修也はちらと有利栖の方を向くと口元だけの笑みを浮かべて小さく頷き、再び“帽子屋”の方へと意識を向け直した。  
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