第5話 ──精霊

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第5話 ──精霊

 屋根から屋根へと跳び移る移動を何度か繰り返し、コートの少年は人気(ひとけ)のない路地裏へと降り立った。  月明かりの届かない、薄暗いその路地裏を見渡すと「よし……一旦ここに身を隠そうか」と言い、横抱きにしていた有利栖を下ろす。  有利栖は、灰髪の男から逃げ切れたことと地に足が付いたことによる安心感に襲われ、思わず「はあぁ……」と力の抜けた声を漏らしながら、その場にへたりこんでしまった。 「……大丈夫か?」  どうにか落ち着こうとため息を吐く有利栖。  そんな彼女に、バイザーで顔を隠し漆黒のコートを身に纏った少年は、建物の壁に寄りかかった姿勢でそう声を掛けてくる。  有利栖はお礼を言おうとして、ふと眼前の少年が何者か全く知らないことを思い出した。 「えーと、その。あなたは……?」 「俺? そうだな……まあ、いいか」  有栖川にそう聞かれた少年は暫く逡巡すると、おもむろにバイザーへと手を掛け、それを外す。  ──黒曜石のような黒い瞳が露になる。少し長めのウルフカットに整えられた黒髪も相まって、とても先程まで拳銃を構えていたとは思えない。  どこにでもいる普通の少年──といった感じの容姿だった。 「俺は詩央(しおう) 修也(しゅうや)。敬語もいらないし呼び捨てで良いよ、香美 有利栖」 「あ、わ、私も! 有利栖でいいから!」  名乗る少年──修也に慌ててそう返す。綺麗な黒い瞳に見つめられ、こんな状況だというのに有利栖の心臓は高鳴ってしまっていた。  女子高校に通っているせいで、同年代の男の子と会話する機会がまるでないのだから仕方ない──有利栖は自分にそう言い聞かせ、どうにか心を落ち着かせる。  「そう? じゃあ、遠慮無く」と言いながら、バイザーを被り直す修也。  普通の少年から、再び浮世離れした不気味な姿へと変わるその様子を見つめていた有利栖は、ハッとお礼を言おうとしていたことを思い出す。 「あ、そっその! ……助けてくれて、ありがとうっ!」 「ああ、礼には及ばない。それが俺の仕事だからね」  へたりこんだ姿勢のまま頭だけを下げてお礼を言う有利栖に、修也は何気無い口調でそう返す。バイザーで瞳が見えないことに加え声に抑揚がないせいで、その表情や感情は伺えない。  とりあえず「お礼を言う」という当初の目標を達成した有利栖は、どうにか落ち着いた脳内で次の目標を立てながら口を開いた。 「で、その……私がこんな目に……誘拐されそうになったのって、なんで?  キカン、とかアカハネ、とかエレメンター……とか? とにかく訳分かんないことばっかりで……」 「ああ……そうだよな。無理もない。  ──まだ時間は少しあるだろう。簡単にだけど……説明しようか。君には知る権利がある」  修也のその言葉に、有利栖はぐっと息を飲み背筋を伸ばした──へたりこんだ姿勢のままだが。 「まず、君が“血翼(アカハネ)”……奴らに狙われている理由。  ──それは、君に()いた“精霊”を奴らが欲しているからだ」 「せ……せいれい?」 「そう、精霊。  ──どこにでもいて、どこにもいない存在。選ばれた人間にのみ憑依し、超常の力を与えるモノ……そうだな。分かりやすく例えるなら、精霊に憑かれたら魔法使いになれる……って感じの認識で良いよ」 「まっ、魔法使いぃ……!?  そ、そんなファンタジーチックな……!」 「俺も、この目で実際に精霊を見るまではそう思っていたさ」  そう言う修也の口調はどこか諦めを含んでいるような、もう慣れたとでも言うべきか。そんな感情が含まれているような気がした。  そして修也の言葉通りなら、“精霊”が有利栖に憑いているということになる。だが──。 「で、でもっ! 私、魔法なんて使えないよ? なにかの間違いじゃ……」 「……ソレ、君の肩に停まっている蝶。普通の蝶じゃないことくらいは気付いてるよな?  ──それが、精霊だ」 「えっ──!?」  兎月(うづき)の死と同時期──春先に有利栖の元へやってきたモンシロチョウ。  修也の言う通り、普通の蝶では無いことくらいは薄々分かっていたが、“精霊”という想像を遥かに越えたその正体に、有利栖は言葉を失ってしまった。  有利栖は、恐る恐る左手の人差し指を右肩に停まる蝶へ差し出す。  退屈そうに羽根を広げていたモンシロチョウは、指に気付くとなんの躊躇いもなくよじ登ってきた。  ──手元に持ってきてよく見ると、月明かりに照らされ煌めくそのハネには、普通のモンシロチョウに存在する黒い模様が一切ない。  とても美しく、そして不気味なまでに白一色だった。 「このコが、精霊……? そ、そんな……」  うわ言のようにそう繰り返す有利栖を見下ろし、修也は再び口を開く──その言葉は、有利栖を更に驚愕させるものだった。 「有利栖……君は、ソレとどこで巡り会ったんだ? その精霊は──、  ──白綺(しらき) 兎月(うづき)に憑いていたモノのハズだ」  
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