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なんで、という言葉を中島は熱くなった喉の奥で飲み込んだ。
彼が無理だとか嫌だとかはっきり言ったときは、本当にダメなときだと分かっている。分かっていても反射的に思うことは止められない。
──なんで、どうして。
ただ好きなだけなのに、一緒にいたいだけなのに、なんでこんなにうまくいかないのだろう。
「おお、中島。おまえも今から飯? ついていっていい?」
「……青木」
講義棟を出たところで横合いから同級生に声をかけられて、中島は足を止めた。
デートの翌日だった。今日は後期の授業最終日で、大学構内はいつもより人気が少なく、二月の寒さと合わせてどこか寒々しかった。けれど親しい友人のひとりである青木(あおき)耀史(ようじ)は、それをものともしない陽気さで、中島に笑いかけてきた。
彼はいつ見ても余裕があって、安定している。そしていつもちょっと強引だ。中島がいいよ、と言う前に、すでに青木は中島を促して、学食を目指して歩き始めていた。
「中島は今日の打ち上げ来るよな?」
「うん、行くよ。今日は結構集まるの?」
「今日はすごいよ。ほぼ全員だ」
自慢げに、というより、もっと純粋に嬉しそうに青木がそう返してきて、え? と訝しく中島は彼を振り返った。
「全員来るの? 田村や城崎も?」
大学の初年度が終わるという名目でクラスでの打ち上げを企画したのが、青木だということは知っていた。前期の終わりにも年末にも同じようなことをしていたし、年末は実家の事情で参加しなかったが、中島はそういうイベントが嫌いじゃなかったから、乗っかるだけでいいし楽だなあ、ぐらいに思っていた。
けれど、目下自分の恋人であるはずの城崎は違う。こういうイベントはとても苦手だし、極力参加しないようにしているはずで、だから今日は会えないなと寂しく思っていたのだ。
「あれ、聞いてない? ま、今回は教授を誘ったからなあ。あの人、酒好きだろ。だから〝来た方がいいよ〟って言ったの、二人に。──俺ってちょっと強引?」
「……かなり強引。青木って結構めげないよね。二人ともドン引きしてなかった?」
「してたしてた。でも俺はめげないし、しつこいよ。そうだな、相手を口説き落とすためなら手を変え品を変え、あらゆる手段を尽くすタイプだな」
「そういうの、合コンとかで発揮した方が良いと思うけど」
つくづく呆れて中島はそう言ったけれど、青木はただ可笑しそうに笑っただけだった。
そうか、今日の打ち上げは城崎も参加するのか。参加するって言ってもきっと気乗りしてないんだろうな。……それにしても、どうして言ってくれなかったのだろう。
そんなことをぼんやり考えながら、辿りついた学生食堂でまるで生産工場のレーンに乗るように、トレイを持って学食のセルフサービスの列に並ぶ。
どうして、とどれだけ考えても、その答えは分からない。
考え方が違う。感じ方が違う。──なにもかも違う。
「お、なんだ。噂をすれば。田村と城崎発見!」
先にレジを出た青木がそう言って、え? と顔をあげたときには、すでに彼はそっちの方向へ歩き出していた。見やれば、いつものエリアに向かい合って二人が座っていて、まっすぐ青木はそのテーブルに近づき、二人に笑いかけた。
「隣いいか?」
そして返事もまたずに、田村の隣の席にトレイを置いてしまう。それに続いて中島が姿を見せれば、不意を突かれたように城崎が目を瞬かせた。だけどすぐになにも言わず、中島のためにテーブルの上の荷物を除けたので、ほっとして中島は城崎の隣に腰を下ろす。
「そこで青木と一緒になってさ」
どこか言い訳じみたことをつい言ってしまうのは、城崎も田村も〝いつも〟と違うシチュエーションを歓迎しないタイプだからだ。案の定、隣に座った青木に対してあからさまに田村が顔をしかめた。が、青木はそれをまったく気にした様子なく、楽しげに話しかける。
「お、田村はA定食? いいな、その唐揚げくれよ、俺のコロッケ半分やるから」
「ふざけんな。やめろ、箸出すなッ」
青木の傍若無人ぶりだけでなく、日頃は聞かない田村の乱暴な言葉遣いに、つい中島は食べ始めようとした箸を止めて目を丸くする。ちらりと隣に顔を向ければ、城崎が小さく肩をすくめた。
「田村は青木に容赦ない」
だが、田村にすげなくあしらわれても全く動じないのだから、青木の方が一枚上手と言えるのかもしれなかった。拒絶されてもなお青木が田村にちょっかいをかけ続け、その騒ぎの隙にこっそり中島は城崎に囁いた。
「今日、打ち上げ来るって?」
「……ああ、」
「俺、聞いてない」
「……聞かれてない」
「ッ、」
そういう言い方ってない。
反射的に言いかけた言葉を中島は飲み込んだ。ちらりと見やれば、城崎がどこか気まずそうにしているから、なにも言えなくなる。なんだろう。なんでだろう。自分がなににショックを受けているのか分からないまま、中島は口を開いて言葉を続けていた。
「俺、明日と明後日バイト。あと前も言ったけど来週から短期のバイト始まる、」
「……俺も、来週からバイトする」
「え!? それも聞いてないよ!」
寝耳に水の情報に思わず声をあげれば、目の前の二人が会話を止めて城崎と中島の方に向き直し、慌てて中島は、「なんでもない!」と言い返した。もちろん、そんな〝なんでもない〟が通じるわけもなく、青木が首を傾げる。
「なんの話?」
「……俺が春休み中にバイトするって話。それだけ」
「へえ。俺も聞いてないな。なにやるんだ」
田村に問われて、しぶしぶといった体で城崎が「イベントスタッフ」と答える。それに対して、背が高いから重宝されるかもな、なんて青木がよく分からないことを言い、その隣で田村が顔を歪めて──それらのやりとりを中島はぼんやりと聞いていた。
なんで。なんで言ってくれないの。
ついそう思ってしまう自分の胸にぎゅっと拳を押しつける。……付き合っているからといって相手のすべてを知らなければならないわけじゃない。こんな思いは自分勝手だ。
「中島も短期でなんかするって言ってなかった?」
「……え? あ、うん。販売スタッフ。なに売るのかまだ分からないけど」
中島の返事に、俺もなんかしようかなあ、なんてのんきな感想を洩らし、それから青木はまたちょっかいの矛先を田村に向けて「そういやおまえバイトしてんの」とか尋ねていた。不愛想というよりはもっと不愉快そうに応対する田村とのやりとりを聞きながら、もそもそと中島は食事を続けた。
ふと城崎が箸を置いた。なにかを言い淀むような、僅かな間があって。
その声は学食の喧騒にまぎれるほど小さかった。
「……昨日、言いそびれた」
うん、と中島は頷く。城崎がわざわざ答えてくれたのは素直に嬉しいと思ったけれど、なぜか気持ちは晴れなくて、中島はそれ以上なにも言わなかった。
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