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「全然タクシー停まらないですね」
通り過ぎるタクシーを横目に彼が言った。
「仕方ないよ、だって今日はクリスマスだもん。佐々木くんて家どこだっけ?」
「俺はここから一駅のところです」
わざわざ人差し指を立てている。
「そっか。どうしよ、歩く?」
「先輩は?」
「私はマンガ喫茶とか、ファミレスとか、どっかで始発まで時間潰そうかな」
「だめです!」
声を荒げる彼に驚いた。
「な、なんで?」
「だから、俺んちで、良かったら……」
懲りずにまた、同じ事を言った。
「本当に大丈夫だってば」
「ここから歩けば三十分もかからないと思いますし、それに、寒い中空いてるか分からないマンガ喫茶を探すより早いと思います。俺がちゃんと時間を見てなかったからこんな事になって、本当すみません」
言ってから頭を下げるから、それを両手で制するようにした。
「謝らないでよ、それは私も一緒だから。ね?」
「……じゃあ」
渋々と言ったふうに話を切り出すと、ゆっくりと手を差し出してきた。
「え、何?」
答えるより先に、私の右手を取って指を絡ませてきた。その行為に驚いて、握られた手と彼に交互に見る。
「……だめ、ですか?」
か細い声が微かに震えているように聞こえた。
「だ、だめって言うか、どうして?」
「どうしてって、先輩って意外と鈍感なんですね」
「はい?」
「好きな相手じゃなきゃ、こんな事しませんよ」
あいた口が塞がらない。
信じられなくて、何も言葉が出てこなかった。
「俺、今の部署に移動してきてからずっと近藤先輩の事気になってました。けど、俺の方が年下だし、仕事以外で話す機会もないし、先輩に近付くきっかけが全然思い付かなくて。それで、先輩の友達の河口さんに、思いきって相談してみたんです」
「萌子に!?」
その名前を聞いてようやく声が出た。おまけに、酔いも覚めていく。
「河口さん、いい人ですね」
萌子から何を聞いたのか知らないけれど、彼がにっこり笑っているのとは反対に、なんだか嫌な予感がした。
「あのさ、萌子何か変な事言ってなかった?」
「変な事なんて何も。ただ──」
「ただ?」
聞き返しながら眉間に力が入る。
「あの、ちょっと言いにくいんですけど、近藤先輩の事泣かしたら、俺河口さんにとんでもない事をされるそうです」
「とんでも、ない事?」
「はい……」
彼の苦笑いが全てを物語っているように見えた。
「俺の口からは、とても言えないです」
「……うん。なんとなく、分かった」
萌子の事だから、きっととんでもない大人のいたずらをするとでも言ったのだろう。
「あの──」
空気を変えるように、彼の声色が変わった。
「俺は近藤先輩の事が好きです。でも、先輩は今いきなり告白されて戸惑ってると思います。だから、俺の事もう少し知った上でいいので、男として見てほしいです。先輩に、俺の事好きになってほしいから」
彼の真剣さに、黙ったまま小さく頷く。
こんな素敵な告白は、生まれて初めてだった。
強張っていた表情を緩めると、私の手を引いて歩き出した。
「先輩、誕生日おめでとうございます」
「え?」
告白の事で頭がいっぱいで、今日が誕生日だった事をすっかり忘れていた。
「今日が誕生日だって聞きました」
「ああ、うん、ありがと」
「誕生日プレゼント、どうしようか悩んでたら、河口さんが近藤先輩はケーキが好きだから家で一緒に食べたらって、言われて」
「萌子が!?」
彼女の名前を聞くたびに、いちいち反応してしまう。
「はい。それで、一応家の冷蔵庫に買ってあるんですけど、一緒に食べませんか?」
「……うん」
「良かった。それと、ケーキ食べ終わったら、近藤先輩にあげたプレゼント一緒に使ったら、って言ってましたけど、河口さんから何もらったんですか?」
その質問には固まってしまった。
不自然に彼から視線を逸らすと、首を傾げて誤魔化してみる。質問に答えないままでいると、もう一度彼が聞いてきた。
「近藤先輩? 河口さんからのプレゼントって、何だったんですか?」
「別に、一緒に使わなくても大丈夫だよ」
顔がひきつりそうになる。
「ええ? でも、近藤先輩がめちゃくちゃ喜ぶって。俺、すげぇ気になるんですけど、何もらったか教えて下さいよ」
「……教えない」
ぼそぼそと答える。
「いいじゃないですか」
「だめ、絶対教えない!」
今度は首を横に振りながら答える。
「もう、分かりましたよ。でも、ケーキは一緒に食べてくれますよね?」
「それは、食べる……」
萌子が今朝、「きっと素敵な夜になるから」と言っていた事を思い出した。全てが彼女の仕業に思えて心の中でため息が出た。けれど、嫌な意味ではなくて、彼女には敵わないという意味でだ。
結果、彼に好きだと言われた瞬間、あっけなくに恋に落ちた気がした。恋愛に関しては素人なだけに、自分の単純さに驚いた。
「先輩、ケーキを食べたあとの事なんですけど──」
意識を彼に戻す。
「それならタクシーで帰るから大丈夫だよ。もうちょっと遅くなれば、タクシーもつかまると思うし」
「いえ、そうじゃなくて……」
「ん?」
一瞬眉間をぐっと寄せたかと思うと、すぐにいつもの彼に戻った。
「朝まで俺のそばにいて下さい」
前を向いたまま彼が言った。
その横顔が、数時間前よりも男らしく見えた気がした。
こんな事を言われたのはもちろん初めてだけれど、それがどういう意味なのかくらい、経験がなくても分かる。
「……そばに、いるだけだよ」
自分に逃げ道を作ってから、遠慮がちに彼を見上げる。
優しく微笑むと、繋いだ手を自分の上着のポケットに入れた。
「家に着いたら、もらったプレゼント見せて下さいね」
空気を変えようとしてか、彼が明るく言った。
「だからだめだって!」
思わず声を張った。
「もう、いいじゃないですか」
「良くないよ!」
「それじゃあ、当てましょうか?」
「当てなくていいから……」
彼があからさまに面白がって言っているのが分かる。それが可笑しくて笑っていると、突然耳元に顔を寄せ、萌子にもらったプレゼントを本当に言い当ててしまった。
驚いて足が止まる。
さっきみたいに、ふざけて「正解っ!」、なんて言える余裕もなく、動揺を隠せなかった。
「先輩」
少しだけ顔を向けるけれど、真っ直ぐに目を見れなかった。
「もし先輩がそのプレゼントを開ける時、一緒にいるのが俺ならいいなって──」
彼の声が照れているように聞こえた。
「ていうか、返事すらもらってないのに、俺、気が早いですよね」
慌ててそう付け加えると、自嘲気味に笑っている。
「……うん。でも私、佐々木くんの事、たぶん好きになると思う」
二十九歳の誕生日は、初めての事だらけだった。
萌子のしてやったりな顔が、簡単に想像できる。
「萌子のバカー!」と心の中で叫んでから、一応はありがとうと思ってみる。
「近藤先輩」
柔らかく目を細める彼に、ぎこちなくではあるけれど、同じように微笑んでみせる。
ポケットの中の手を、そっと握り返した。
完
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