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近藤ひなの場合
彼氏いない歴二十九年。だからどうって事はない。周りの女友達よりも、異性に対しての免疫がほんの少しばかり劣っているだけ。今の今まで、男の人とキスすらした事がない、たったそれだけのことだ。
それらが、私の人生になんら支障をきたしてきた訳でもない。そう思えるのは、昔よりも今の方が、一人でいる寂しさに慣れてきたからかもしれない。
そして今日も、朝から母は飽きずにこう言っている。
「ひなちゃんこんなに可愛いのに、なんでだろうねぇ」
何が言いたいのかはっきりと分かるのに、直接的な言い方をしないのは、一応は娘に気でも遣っているのだろうか。
いつもは気にしないその台詞も、女の子の日の前は、多少なりともかんに触る。それよりも、自分を女の子と言ってもいい歳なのかどうかも微妙なところというか、ギリギリアウトな気もするけれど。
母の言う通り、美人と言うにはおこがましいけれど、自分でも不細工だとは思わない。
母に似て、目元は切れ長の二重。これは自分でも気に入っている顔のパーツだ。背中の真ん中辺りまである髪の毛は、若い子みたいに明るい色ではないけれど、一応はトリートメントやなんかで手入れはしている。
身長は日本人女性の平均ほどで、別に太っている訳でもなければモデル体型でもない。ごくごく普通のOLだ。
出会いを求めて飲み会にだって行った事もあれば、友達に紹介してもらった人と何度かデートをした事もある。ただ、全てがうまくいかなかっただけだ。
その理由を、その時は結構必死に考えていたけれど、答えが分かるなら今も一人でいる事はないだろう。
二年前のクリスマス、自分に彼氏が出来ない事を悩むのをやめた。
あれは確か、仕事終わりに一人で買い物をしていて、偶然上司を見かけた時だった。隣にいる若い女の子と、これでもかというほどくっついて歩いていた。
見るからに不倫だったと思う。
なんだかよく分からないけれど、その瞬間に全てが馬鹿らしく思えた。
頭を切り換えた事で、意外にも気持ちが楽になったし、母の小言にもいちいち口を挟まなくなった。ただ、悩むのを止めただけであって、彼氏がほしくない訳ではない。
面倒くさい奴だと、自分でも思う。
十二月二十五日。気温は昨日より寒いけれど、低い空には青空が見える。予定のある皆さんにとっては、天候に恵まれて何よりだろう。関係ないの私には、なんら変わらない一日の始まりにすぎない。
ついでに言うならば、誕生日だってほとんど母と二人で過ごしている。別に友達がいない訳ではないけれど、私の誕生日が、たまたま今日なだけだからだ。
十二月二十五日、この日付を言われて最初にクリスマスを連想しない人なんて、そうはいないだろう。
母が買ってくれる誕生日ケーキはもちろんクリスマス仕様だし、プレゼント用の包装も、赤と緑のリボンで綺麗に飾られている。 ここまで言うと、ものすごくクリスマスが嫌いに聞こえるかもしれないけれど、決してそうではない。
季節ごとにあるイベントはウキウキするし、賑やかなイルミネーションはずっと見ていられるほど大好きだ。ただ、一緒に過ごす男の人がいないだけ。
毎年毎年、クリスマスの陰に隠れて私は歳を重ねていく。今年で二十九歳。誰も叶えてはくれない願いを、性懲りもなくこっそりとサンタクロースにお願いするのは、私だけの秘密だ。
「ひなっ」
呼ばれて振り返ると、同期の萌子がこちらに向かって手を振っていた。
いつもより多めに巻いたと思われる髪の毛を揺らしながら、いつもより短めでヒラヒラしているワンピースを着ている。
「おはよう、今日デート?」
萌子と顔を合わせるなりそう言った。
「うん。仕事が終わったら彼と食事に行くの」
一切の皮肉なしに、彼女の幸せオーラが私まで包み込んでくれる。
「萌子さん、今日は一段と髪の毛クルクルですものね」
わざと嫌みっぽく言うけれど、にっこり笑って返された。すると彼女が、小さい紙袋を私の目の前に差し出した。
「ひなちゃん、誕生日おめでとっ」
語尾が跳ねるのは彼女の癖だ。
「……あ、ありがとう」
「今年も気に入ってもらえると嬉しいなぁ」
そう言った顔が、毎年のことながら何かを企んでいるのは一目瞭然だった。
「……開けた方がいいのかなぁ?」
遠慮がちに聞く。
「当たり前じゃん! ひなちゃん何警戒してるの、酷くない?」
わざとらしく眉を下げると、胸の前で両手を組んでいる。
小さく深呼吸をしてから、紙袋の中身をそっと確認した。
「どう、気に入った?」
声を弾ませて聞いてくる萌子とは対照的に、言葉が出ないでいた。
紙袋の中から出てきたのは、可愛くラッピングされたコンド……いや、避妊用具。それをすぐに紙袋に戻して顔を上げると、とびきりの笑顔の彼女と目が合った。
「ひなちゃんも今年で二十九歳じゃない、だからもうそろそろかなぁと思って」
言いながら可愛く首を傾げている。
彼女のくれる誕生日プレゼントは、今年に限らず毎年今日みたいな素敵な物ばかりだ。去年は確か、口では言いにくいピンク色の物だったし、一昨年なんかはわざわざ彼氏と一緒に選んでくれた、これまた口では言いにくい半透明の物だった。だから今年は、口に出せるだけましかなと、思ってしまった。
「萌子姉さん……」
こんな時は決まって姉さんと呼ぶ。もちろん、ため息混じりでだ。
「ひなちゃん、今年は至って実用的な物にしてみたんだけど、どうかな?」
「えっと……」
私が話し出すよりも早く、胸の前で組んでいた手をぎゅっと握り直すと、今度は舞台女優のように、身ぶり手ぶりを付けて話し出した。
「なんで今まで思い付かなかったんだろう。もう、萌子のバカバカ!ひなちゃんごめんね」
「いいえ全然……」
二人の間の温度差があまりにも違いすぎる事にも、もう慣れた。
「これと一緒に、去年あげたのも使ってみてね」
フリフリのスカートを翻しながらそんな事を言った。
「いつ使うのよ……」
「きっと素敵な夜になるから」
そう言うと、片手を上げて先に行ってしまった。
私の誕生日を萌子が毎年楽しんでいる確信犯なのは間違いない。彼女がそういった大人の玩具を行為の最中に使うのが好きなのは知っているけれど、それを私にまで強要されては困る。それに、それを家に持って帰ってからどこに隠そうか非常に悩む。
こうして毎年誕生日プレゼントをくれるのはもちろんありがたいし、唯一と言っていいほど私の事を分かってくれている大切な友達だけれど、年に一度だけ、彼女の取り扱いに困る。
小さな紙袋に詰まったありがたい気持ちを、とりあえずはかばんの奥にし舞い込んだ。
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