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「近藤先輩おはようございます」
自分のデスクにかばんを置き、椅子に座ると同時に後ろから聞き慣れた声がした。
「おはよう」
振り向いて挨拶を返すと、昨日と変わらない笑顔の佐々木くんがいた。
「先輩ちょっといいですか?」
普段は挨拶をする程度なので、不思議に思いながら彼を見上げる。
彼は、目だけで周りの様子を伺うと、背中を丸めて顔を近付けてきた。
「今日の夜ってもう予定入ってますか?」
急な質問に、一瞬理解が遅れる。そして、その意味を理解すると、クリスマスの予定をわざわざ当日に聞いてくるなんて、なんとも嫌みな奴だと思ってしまった。
「特に予定はないけど、その質問は一人で過ごす私への嫌がらせ?」
冗談半分に返した。
「え、違いますよ!」
言いながら、顔の前でぶんぶん手を振っている。
「じゃあ、どういう事?」
「いや、あの、予定がないなら俺と食事にでも行きませんか?」
「えっ……」
驚いて彼を凝視していると、私からスッと視線を外した。
「佐々木くん?」
「……はい」
「いいよ、どうせ予定もないから」
勢いもあったけれど、軽い気持ちでそう答えた。
「本当ですか、ありがとうございます」
そう言うと、軽く頭を下げて自分のデスクの方へと戻って行った。見ることなく彼の背中を見送ったあと、椅子を回して冷静に考える。思い返せば、佐々木くんとまともに会話すらした事がない気がする。あるとすれば仕事の話くらいだし、会社を出れば会う事もなければ連絡を取る事もない。そんな私をどうして食事に誘ったりしたのだろうか。ましてや今日みたいなクリスマスに誘うのだから、よくよく考えると不思議で仕方ない。彼みたいな男前なら、他に誘う相手がいくらでもいるはずだ。なのにどうして私みたいな三十路女を、そう自分を見下してから、またいつもの悪い癖だとため息が出た。
朝のミーティングが終わると、急いで自分の席に戻った。周りにばれないように、今朝の事を萌子にメールするためだ。
「さっき佐々木くんに今日の夜食事に誘われたんだけど、なんでだろ? とりあえず行くって言ったけど」
とりあえず要点だけを伝えた。
「本当に!? それってデートの誘いじゃん。佐々木ってひなの事好きだったの?」
すぐに萌子から返事がきた。
「え!? なんでそうなるの? そもそも佐々木くんとまともに話したことなんてないんだけど。私、からかわれてる?」
声が出そうになるを我慢してキーボードを打つ。
「わざわざクリスマスにからかうなんていたずらが過ぎるでしょ。それに、佐々木って結構モテるって聞くしさ、こんな日に誘うなんて本当にひなの事気になってんじゃない?」
そう言われ、急に鼓動が早くなった。
萌子の言う事に、まさかとは思いつつも、確かに、と思う自分もいた。
「とりあえず、佐々木とご飯行ったあと、絶対の絶対に連絡ちょうだいね」
私が返事をするよりも先に萌子からメールがきた。それを読んでから、窓際の席の彼女に目配せをする。彼女も、私の方を見てニコッと笑っている。
仕事が手につかないとまではいかないけれど、朝からずっと佐々木くんの事が頭から離れなかった。今の今まで興味すらなかった自分が嘘みたいだ。
仕事が終わるまでの間に、いったい何度時計を見た事だろう。一分一秒進む時間を、どうにかして戻せないだろうかと思ったり、いったりいつぶりのデートなのだろうと、過去の記憶を思い返したり、仕事とは全く関係のない事ばかりを考えていた。
クリスマスの威力は相当なもので、今日に限っては全員仕事が早い。ほとんど毎年、残業をした事がないのだから、みんなの単純さに複雑な気持ちになる。
ただ、今日に限っては、私もその中の一人だった。
落ち着かない気持ちで振り返ると、佐々木くんがちょうど席を立ったところだった。なんとなく、目が合う前に視線を逸らし、萌子の方を向くと、彼女が無言で手招きをしている。立ち上がって彼女の方へ行くと、ニヤニヤとした顔を寄せてきた。
「ひなちゃん頑張ってね」
一応は気を使ってか小声で話している。
「私、デートなんて久しぶりすぎて緊張してきたんだけど」
萌子に習ってこそこそと話す。
「ひなちゃん可愛いっ」
「本気で言ってるんだからからかわないでよ!」
「ごめんごめん」
言いながらも、顔は笑っていた。
「それに私、そんな萌子みたいにヒラヒラのクルクルじゃないんだけど。何て言うか、こんな格好で申し訳ないっていうか……」
自分の今日の服を見ながら言った。
「大丈夫だって、佐々木はそんな事いちいち気にしてないってば」
「……うん」
「もしうまくいったらさ、今日あげた誕生日プレゼント、早速使ってもいいからね」
言われてすぐにもらったプレゼントを思い出した。
「なっ……」
「ひなちゃん楽しんでねぇ」
私の言葉を遮ってそう言うと、クルクルの髪の毛を揺らしながら小走りに部屋を出て行った。
萌子のデスクに両手を着き、その場で小さく深呼吸をする。そして、意を決して彼のところへ向かう。
「お疲れ様」
彼の背中にそう言った。
「お疲れ様です」
お互い至っていつも通りだ。
「それじゃあ行きましょうか」
萌子の言っていた通り、佐々木くんはモテるのかもしれない。彼の隣にいるだけで、周りからの視線がこんなにも痛く感じたのは初めての事だった。私の思い過ごしかもしれないけれど、なんだか悪い事をしている気分になり、恐縮しながら足早に会社を出た。
「どこに食べに行くの?」
隣の彼を見上げる。
「えっと、まだ決めてないんですけど、たぶんレストランは今日はどこもいっぱいだと思うので、俺がいつも行くバルとかでもいいですか?」
不安気にそう聞いてきた。
「うん。いいよ」
にっこり笑うと、少しは安心したような顔になった。
彼が連れてきてくれたお店は、広い店内にいくつも丸いテーブルがあり、その周りに足の長いスツールが二脚から四脚づつ程並べられていた。私好みの照明で、雰囲気もとても良かった。
「近藤先輩何飲まれますか?」
メニューを広げて私に見せてくれる。
「私普段あまりお酒飲まないから詳しくないんだけど、どれが飲みやすいかな?」
そう聞くと、メニューを自分の方に向け、選んでくれている。
「これとか飲みやすいと思いますよ」
彼が指を差したそれを見ると、ピンク色の綺麗なカクテルだった。
「じゃあ、それにする」
彼が店員を呼び、先程選んでくれたカクテルと、生ビールを注文していた。あとは適当に料理も頼んだ。
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