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俺はあの日に帰ります
ある居酒屋があった。この店の売りは「思い出と一緒に酒を飲める」こと。
店に入り席に座ると席のひとつひとつにヘルメット型の装置が置いてある。脳内ディスプレイだ。客はそれを被り、コントローラーで年代や場所、対象人物の性別、名前などのデータをインプットしていくと、合致した記憶が脳内に再生サンプルとして表示される。その中からさらに思い出したい部分を選ぶと、それにまつわる記憶が再生される仕組みだ。
「自分では忘れてしまっていた」
「どうしても思い出せなかった」
そんなところまで装置が脳内をくまなくサーチして記憶を再構成、再生してくれる。
多くの人は、初恋の相手や自身が学校の部活で活躍したシーンなどを見たがる。
年を取ると多くの人が、
「むかしはよかった」そんな風に思うことを実現したのがこの店の売りメニューなのだ。
そして一人一人が、それぞれ、
「バっかだなぁ。もっとうまく告白できないのかな、こいつ」とか、
「ここで決まってれば、勝てたのにナァ~、残念!」とか、
「やったぁ!」と絶叫したり、うれし涙、悔し涙を流しながら一杯やるのだ。
時間は確実に日々流れて行くけれど、この酒場の客は、1つの記憶を惜しみながら生きているようだ。
この店に飲み仲間はいらない。皆一人孤独であり、むしろ人知れず、むかしの記憶を楽しみに来る。
夜もそろそろ寒々とするころ、40がらみの男がうれしいのか悲しいのか、半べそをかいて立ち上がり、勘定を頼む。
「マスター。きょうもレイコちゃんに失恋しちまったよ!」
「ふ~ん。何度目だい」
「86回目!」
「あそ。100回になったら、一杯、ごちそうするよ」
「お、うれしいねぇ!」
半べその男は涙も拭わず出て行った。
男が、店の外で、
「チキショーーっ」
とかなんとか叫んでいるのが小さく聞こえて来る。
マスターは遠ざかる男の声を聞きながら煙たそうな顔で焼き鳥を返していく。
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