希望の翼

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希望の翼

 夢の空陸両用車が解禁された。まずは一般にではなく法人限定。つまり、やり手ビジネスマンが車移動から空の移動へスマートに移行しながら、まさに「飛び回れる」ようになったというわけだ。  車両の値段も、高級乗用車とプライベートジェットを合わせて買うより遙かに高いし、操縦免許も普通より取得難度が高く、この免許は今のところ持っていれば引く手あまた、高給優遇され、ちょっとした企業の経営者くらいの報酬が支払われた。そだけに今、この空陸両用車を使っているビジネスマンはステータスシンボルとしていた。  空陸両用車の免許取得に掛かる費用は相当なものだったので、免許取得者の養成自体を企業が行い、有名企業などへパイロットを派遣するのがふつうだったのだが、そこへとある会社が「価格破壊」を標榜して参画してきた。この会社が云うには、免許取得期間を半分にするという触れ込みだった。  ある男性がこの会社から誘いを受けた。彼の名は井坂育夫。今年35才になる。  彼は今までも高級リムジンなどのドライバーをしており、いろいろな企業の重要人物などを乗せて車を走らせ、評判がよかった。そう云う人間に、空陸両用車の免許を取らせて、有名企業向けパイロットとして事業を拡大しようという計画だった。 「確かに魅力的な誘いだけど、ホントに短期間で免許が取れるのかい?」それが井坂の本音だった。  車の免許と航空機の免許を比較することは、彼には全く出来なかった。先方の会社の担当者は彼に、 「心配はいりません。独自の教習システムで、必ず短期間に免許が取れます。その上、取れたときには、通常の方法で取るよりも遙かに上達した状態になっているでしょう」と豪語した。 「へえ。自信満々に画期的な方法と云えるんだ。そう言われると確かに、やってみたい気持ちはあるけれど」 「ええ、ぜひやってみてください。将来、うちの会社で働いてもらえれば、教習料金はもちろん無料です」 「わかりました。やってみますよ」  井坂は空陸両用車の教習を受けることになった。だが、その教習方法はかなりユニークだった。車の運転はいいとして、問題は空を飛ぶほうだ。飛ぶ前には、離陸のための場所の確保、車の状態変更など、いろいろやることがあった。それにもまして、飛び上がってからの操縦も難しさは車の比ではなかった。だが会社側は、「その部分を簡単にする」という。 「今夜から、睡眠教習をしていただきます。まずこの装置を頭に取り付けて、さらにこの薬を飲んで眠ってください。そうすると、眠っている間に教習を受けることが出来ます」  担当者は井坂に机の上に並べられたノートパソコンとヘルメット型の機械、それに小さな薬瓶を示めした。 「え、これで?」  井坂は疑問を感じたけれど、やったこともないことだから、それ以上の質問はなかった。とにかく、やってみるだけだ。  井坂は家に帰り、夜寝る時間になったら持たされたノートパソコンで教習用ソフトウェアを起動し、ヘッドギアのような機械を頭に付ける、そして薬を飲んだ。  彼はしばらくしてすぐに眠りに落ちた。すると、 「あれ。目が覚めたのか?ここはどこだ?あれれ?」  彼は見渡す限りアスファルトの、広い何もない広場に立っていた。そばに例の空陸両用車が一台止まっている。 「あはは、驚いたでしょう?」  突然背後から現れて話しかけてきたのは教習の機械を渡してくれた担当者の男だった。 「お気づきかも知れませんが今あなたがいるのは夢の中なんです。ここは夢の世界ですよ。今もあなたは眠っているのです。わたしは今、頭部の機器を介してあなたに話しかけています」 「そうなんですか?そんな風に感じないナァ。たしかに、さっき家で眠ったはずなのに、こんな広いところにいるし、この場所はまだ昼間だし……」 「夢の中。実にリアルな夢の中なんですよ」 「ううん。信じますよ。ほかに理解する方法が無い」 「あたなはやはり頭がスマートですね。だから白羽の矢を立てて、この教習に誘ったのですが。私の目に狂いはなかったという気がします」 「ハハハ。それはお褒めいただいてうれしいのですが。これから一体どうすればいいんです?」 「簡単なことです。まず、きょうは昼間、実際に始めの教習を行いましたね?そのときの教習に使ったテキストなどは、後ろのあの車に載っています。これからまた、それらを読みながら自分で練習してみてください」 「あの車、今ここで運転できるんですか?」 「ええ、車として走れますし。空も飛べますよ」 「この現実のような夢の中で、自由に練習が出来ると、そういうことなんですね」 「そう、そのとおりです。わかりが早い……ただですね、現実とは違います。当然ですね」 「どう違うんです?」 「まずね、本当なら教官も同行できればいいのですが、長時間二人を一緒に夢の中に存在させるのはまだ難しいのです。特に操縦のような複雑な行為は無理です。ですから練習は一人でやって頂きます。  それから行ける場所が違います。走っても飛んでも、せいぜい半径数キロ程度の空間しかありません。それが夢の中で制御できる空間の広さの限界ということです。その先は、「頭の中の壁」とでも言いましょうか。見えない壁があって、そこから先は行けないのです」 「ふむ。すると、その壁にぶつかってしまったり」 「そう、ぶつかってしまいます。そうすると事故ということになるんですが、それは心配ないんです。夢の中なので、もしぶつかっても現実ならケガをしたり気を失うようなことになった場合、状態がリセットされて、すぐにまたこの場所から始まります。ここが起点なのです。そうしたらまた、練習してもらってけっこうです」 「痛みとかもないんでしょうね?」 「ええ、ありません。でも、「そうなる瞬間の感覚」は受けます。感じとしてわかりますよね?「想像しただけでも痛い」っていうことがあると思いますが。この夢の中でも、それは起きるんです。あまりひどい事故の場合、それで実際に眠りから覚醒してしまう場合もあります。そのときは、もう教習はやめて、装置類を外し、普通に寝てくださってけっこうです」 「わかりました。まず、やってみる。そういうことですね」 「そうそう。そういうことです。ではまた、あした、お目にかかります」  二人は夢の中で別れた。井坂は云われたとおり車に乗り込み座席に置いてあった空陸両用車の分厚い説明書を取り出し読み始めた。  翼やエンジン出力の切り替えを行い、セット完了。これで空を飛べるはずだ。だが、最初からうまくはいかない。 「ああ、スピードに乗ると飛び上がれそうだが、フワフワするだけでうまくいかないもんだな」  そんなことを繰り返しているウチにその夜は朝が来てしまったようだった。井坂の頭の中は突然暗くなり、少しすると目が覚めて、自分の家のいつもの寝室が目に入った。 「ああ、ホントに夢の中なんだな。しかも、夢の中では起きていて教習をしたという疲労感などは全くない。神経は眠っているのか。不思議だ」  彼は朝食をとり身支度をして会社に行った。例の教習担当者がすでに待っていた。 「おはようございます。目覚めはどうでしたか?体調に変化はありませんか?」担当の男は、にこやかに井坂に云った。 「ええ、なんともありません。よく眠れたという気がします。ずっと起きていたはずなのに」井坂は笑ってそう言った。 「それならけっこう。順調ですね。その息で、昼間は飛行機の操縦をインストラクターに習い、夜はその復習をしながら、出来るなら先に進めてもいいですよ」 「ええ、そうします。そうすればどんどん覚えられる、身につく、そういことですね」 「はい。それで昨日、ぶつかったりしましたか?車が大破してしまったとか」 「ああ、いえ、そう大きな事故はやりませんでした。行けそうにない「壁」のところは、白い靄のようになっていて、見ればわかりますね。あそこに行ったら危ないんだなってわかりましたから」 「そうですか。もし、ぶつかってしまっても現実ではありませんから平気ですが、精神的にはショックです。気をつけてくださいね」 「はい。わたかりまし。ありがとうございます」  その日も、昼間みっちりと井坂は教習を受けて家に帰った。家で復習するのが楽しみに思えた。自分のやりたいようにやって、ぶつけても何でも、何も問題ない。ただ自由にやっていればいいというのは、遊んでいるような気分でストレス解消になったからだ。 「きょうは絶対飛び上がるぞ」  彼は、夜寝る前に意気込んだ。そんな風に興奮していたら寝付けそうにないが、教習装置を頭に付けて薬を飲むと、あっという間に夢の中へ入れた。恐らくそんな作用も想定のうちなのだろう。  彼は、よくあるプライベートジェットの小型版くらいの大きさの空陸両用車をセッティグして乗り込む。エンジンは車の時は前方の電動モーターだが、空を飛ぶときは後ろにある小型ガスタービンエンジンだ。  きのうと同じく、夢の中の広大なフィールドでエンジンを始動し長い直線に出ると、離陸速度まで加速してゆく。それだけでも車体がフワリと浮くような感覚になる。速度が規定に達したところで離陸操作に移る。ここから先は、昼間、まだ教官に習っていない領域だ。 「おおっ」  車体が浮き上がった。確実に地上から浮いている、それが実に心地よかった。だが彼は、それで少し気を抜いてしまった。そんなに悠長にしていられるほど直線が長くないのだ。 「しまった……」  そう思ったときは遅かった。目の前にあの「白い靄の掛かった壁」が迫っていた。乗用車で地上を走っているのと違い、そう簡単に急ハンドルも制動も効かない。壁を避けようと右方向へ急旋回を試みたが、「ガツンっ」と大きな衝撃を受け、左の羽根が砕けて後方へ吹き飛んでいくのが見えた、そこまでの記憶で目が覚めてしまった。「うぅ」っと頭を押さえた。「目が覚めたときは、そのまま寝てください」という教習担当の男のことばが思い出された。だが、事故を起こした衝撃と焦燥感、その他の気持ちが渦巻いて、すぐさま「きょうはこれで寝るか」という気にはなれなかった。実際の事故では無い、感覚だけの事故だったが、彼は、しばらく呆然として、頭を整理した。もう夜明け近かった。  井坂が出社するとやはり教習担当の彼がいた。彼は井坂の顔を見るなり、 「あ、何かありましたね?」ニヤリとして近づいて来た。 「ええ……大事故になってしまって、羽根がもげて墜落して。そこで目が覚めました」そう云って井坂は苦笑いして頭を掻いた。 「ははぁ。それは災難でしたね。でも、どうです、そのあとの気分は」 「ううん。なんとも云えない気分でした。「間違いなく命を落としたな」っていう。そういうことなんだろうなって思いましたね」 「でも、傷ひとつない。生きている。そうでしょう?慣れなんです。だいじょうぶですよ。 これからどんどん腕が上がりますし。そういうことはなくなります」そう云うと担当者の男は井坂の肩を力づけるように右手で軽く握った。 「そうですね。まだまだ初心者だなって実感しましたよ」 「それでなくても、小型ジェットを飛ばすより空陸両用車を飛ばすほうが難しいと云われてるんです。今後もがんばってくださいね」 「はい」  それからというもの井坂は毎日、空を飛ぶ練習に明け暮れて腕を上げた。もう大事故なんてこともなかったし、夢の中でなら自由気ままに空を飛び回れるようになった。その話を聞いた教習担当の男も、 「もうそろそろ現実の実地訓練でも空を飛び回れそうですね、井坂さん」うれしそうに云い、井坂の着実な成果を称えた。井坂の成長は教習担当者の業績でもあるから、満足なのだ。 「ええ。やっとここまできました。うれしいですよ」井坂はそう言って笑いを返した。  ところが意外な事が起きた。井坂育夫は、それっきり顔を見せなくなったのだ。  それからしばらくして教習担当だった男は、自社の本社の廊下で井坂にばったり出会った。 「あなた、井坂さんじゃないですか!こんなところで何しているんです。あれからどうしていたんです?」  少しの怒りと驚きの混じった顔で男は井坂に詰め寄った。井坂は軽い微笑み顔で頭を下げると、 「ああ、あのときはすみませんでした。急にいなくなって。あのとき、僕は毎日教習をしていて、思いついたことがあったもので。 それで今ね、自分の考えを持って、こちらの会社の上層部と話し合いまして。 例の教習用の装置と薬ね。アレを使って、飛行機や車を夢の中で運転できるアミューズメント施設の運営会社を作る提案をプレゼンして来たんです。 ジェット戦闘機とかF1マシン、新幹線、何でも夢の中で自由に実際の体験同様に運転できるとしたら、いいと思いませんか?そんなことを思いつきまして。 それを提案したら、みんな絶賛してくれました。 そしてその会社を作って、責任者を任されたんです。 そんなわけで、ぜひすぐに全国で展開しようということで。だから今突然忙しくなりまして。飛び回らないと行けないことになって。……それで、申し訳ないんですが、わたし専用の空陸両用車パイロット、早急に一人回してもらいたいのですが……」  呆気にとられた教習担当者に井坂はニッコリ笑った。
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