人生レコーダー

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人生レコーダー

 その30才後半の男はマンションの一室でソファに座り、ぼんやりとテレビ放送を見ていた。見ていたと云うより、ただテレビをつけていたというほうが正しいだろう。流れている番組が何の番組かすらよく理解していなかった。 「つまらんナァ」男は口にした。  彼は仕事はそこそこ出来るが私生活は退屈なものだった。独身で友人もいない。もちろん恋人もいない。趣味も無い。休日というと、こうしてテレビを見るとかネットで動画を見るとか、せいぜいそんなところしかやることが思いつかない男だった。 『ピンポ~ン』ドアベルが鳴った。男はインターホンに出た。 『カタクラ様ですか?わたくし、ヤマサキ様にご紹介いただいて参りました。ヨシダと申しますが』  穏やかなことばつきの男の声だった。そういえば忘れていた。会社の同僚に「話を聞いてみて損は無いぞ」と云われて話を聞くことになっていたセールスマンだ。  ヨシダという男をリビングに通してソファに座った。座るとセールスマンは早速話し始めた。 「きょう、お伺いしたのは、こちらの商品をオススメに参りました」セールスマンはパンフレットをカタクラに差しだした。 「人生レコーダー?」 「はい、そうなんです。聞いたことも無いと思われるでしょうが、そのとおりでございまして、これは特別な方にしか販売しておりません。今回はヨシダ様のご紹介で、ぜひということで」 「そう。彼から話は聞いてるんだが、とにかくいいものだからって、それだけしか云わないんだ」 「そうでしたか。これは販売条件として、みだりに他言なさらないようにという条項がありまして、それでヤマサキ様もお話にならなかったのだと思います」 「厳しい条件だねえ。で、どんなものなんだろう?その人生レコーダーって」 「はい、それでは説明させていただきます。この装置は体内に埋め込む人生記録送信機と据え置き型再生機とで構成されております。ご契約いただきますと、まず人生記録装置を体内に埋め込む手術受けていただきまして、その後当社にあります施設で人生高速展開装置に入っていただきます」  ここまで聞いている段階でカタクラは、まるで意味がわからずポカンとして話を聞いていた。セールスマンはカタクラの顔を見て、 「すみません、特殊な用語ばかりで。一応、まず説明だけお聞きください」そういって話を続けた。 「それでですね。人生高速展開装置に入ってご自分の人生を最期まで展開いたしまして、それを体内に埋め込んだ人生記録送信機から記録器に送りまして、その記録メディアを据え置き型人生レコーダーで再生する。と、そういう仕組みになっております」  ここでセールスマンは一息ついた。  セールスマンはここでカタクラが出したコーヒーを一口飲んでまた話し出した。もちろんカタクラはいまだに彼の話がちんぷんかんぷんだ。 「簡単に言いますとですね。カタクラ様の人生を全てメディアに記録しまして、それをレコーダーで再生するというものです。操作は簡単、一般のテレビ番組録画機などと変わりません。人生の早送り早戻し、リピート再生、ブックマーク付加などいろいろ出来ます」 「ははぁ。なんだかおもしろそうには思えるけど、もう少しメリットのようなものを教えて欲しいな」 「はい。カタクラ様、人生の幸せな瞬間というのを思い出としてビデオに撮るということはおわかりになりますよね。例えば結婚式などです。私どもの装置では、その瞬間を実際の人生として何度でも体験できるということでございます。人生の充実した期間、幸せの期間など、お好きな期間を指定しての人生繰り返しや、その指定期間の連続再生など、多彩なトリック再生もできます。『人生のイヤなところは早送り、好きなところを何度でも』それを実現したのが、この『人生レコーダー』なのです」 「なるほどぉ。でも、何度も体験したい幸せが来なかったら寂しいなあ……」 「カタクラ様。ですから、これからはいろんなことに挑戦なさってみてください。そうすればいいことも必ずあると思いますので」 「でも、悪いこともあるだろうってことだよねえ」 「はい、そこは再生機で飛ばしてしまえば苦痛も少なくて済みます。そこがいいところです」 「ふむ、イヤなことは早送りかぁ。まあ、それだけでもけっこう価値はある気がする」 「ただ、勘違いなさらないでいただきたいのは『人生を再生するレコーダー』でございまして、「やり直せる」わけではございません。人生自体への干渉はできませんので」 「ふむふむ。そういうことか」 「はい。で、こちらがお値段表でございます」 「ああ、やっぱりスゴイ装置だけあるな、いい値段だね」 「それだけの価値は必ずおわかりいただけると存じますよ」 「年契約なんだね。契約が切れたらどうなるんだ?」 「はい、その場合は、現時点より前の全くこのレコーダーのことを知らないところまで戻させていただきます」 「厳しいな」 「レコーダーのことはご存じないわけですから、そういう意味での負担はないかと思います。もちろん、ご縁があれば再度のご契約も可能ですし」  カタクラはこの『人生レコーダー』をまず1年間契約することにした。1年契約といっても、彼の人生は『人生高速展開装置』で一度最期まで記録される。今後は、その記録された中から選んだ部分の人生だけをじっくり体験できるというわけだ。  彼の人生の記録では、これから3年後に結婚することになっていて、1年半後に男の双子が生まれ、幸せな日々が数年続く。その後しばらくは特筆に値することは起こらず平凡な日々が続き、老後にさしかかったころ妻に先立たれる。子どもたちは独立し孫の顔を見ることになる。そして82才で病気で他界した。  彼はその人生の中からいくつかの恋愛と結婚生活、子どもが生まれたころ、孫が生まれたころ、その他に会社での昇進や大きな仕事の成功時期、ひいきのプロサッカーチームの優勝年などの人生期間を連続再生するようにして、日々幸せいっぱいな状態になっていた。  だがこの人生レコーダーの契約にはけっこうな金額が掛かる。3年して一度契約解除しなければならなくなった。そう、結婚を間近に控えてお金が必要になったためだ。彼は契約切れとともに人生レコーダーを知らない時点まで戻された。3年後に結婚するとは思っても居ない時点までである。  そんなカタクラにある男が声を掛けてきた。その男はセールスマンで『人生レコーダー』というものを売っているという。彼はそのセールスマンにいろいろ説明を受けた。その内容は、かつて彼がヨシダというセールスマンから売り込まれたあの『人生レコーダー』とほとんど同じだった。そのときも興味がわいて契約したカタクラは、今回もやはりその気になって契約した。  彼が送る人生に変わりは無いから、再生される人生も内容は同じである。だが、今回彼が契約した『人生レコーダー』は格安だった。前のに比べて5割くらい安かった。安いものにはワケがある。前に契約していた装置は、装置の故障もあり得るためバックアップ装置が付いていたし製品自体の信頼性も高かった。ところが今回のものは、いわゆるバッタ物で、ただ再生する機能といくつかの特殊なオプション再生にしか対応しておらず、安全装置が無かった。  契約後、初めての再生をしたときだった。彼はワクワクしながらレコーダーの再生スイッチを入れた。 『プツン……』  彼の人生はその時点で再生が止まってしまった。装置の初期不良だったようだ。
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