コンプレックス

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一字目を開けないことに関してコンプレックスがある、私はそこに存在する余白の神を信じている。もうそれ以上やせなくったっていいじゃん、と私がダイエットをしていることを言うとたいていの人に言われるし、もうそれ以上がんばらなくていいよとたいていの人に言われる。それが大きな大きなコンプレックスで、自分でも他の人の言うことを素直に聞けなくて、自分の信じていることを間違っていようが素直に通すのがコンプレックスでした。どうして家族との時間を作るために起きていなきゃいけないのか、積み重なる仕事と自分の時間の確保と必要な無駄の時間の確保に追われて、私は疲弊しきっている。穏やかに暮らしたいし穏やかな人になりたい。もっと言ってしまえばもっと落ち着いた大人になりたい。そんな自分の理想像を片手に、スマホのロック画面には「がんばれ!」と書いてあるイラストを設定してしまった。ああ腹が立つ。理想の自分に全然近づけていなくて、体重だけ少し減ったことに一喜一憂して、稼げない絵の仕事をストイックに積み重ねて、ストレス、ストレス、ストレスがたまって、私は詩に逃げた。逃げるのはそれでも偉いよ、と周りの人は言ってくれるけれど、頑張っている自分にまた「がんばれ」と言われてしまうことがきもくてスマホを見る時間を減らした。ほーら、思った通りだ。お風呂を出たらスマホの時間。それまでは「がんばれ!」こんなへろへろに疲れ切ってのしいかのようになりたい今でもキーボードをたたき続けているのは、コーヒーのカフェインが原動力です。早く疲れ切って一日を終えてしまいたい。人間という仕事、と考え始めた時点で私はもう疲れ切っている。どうこのストレスを発散したらいいのかわからなくて、とにかく描いている。描いている、書いている。書いている。私のストレス発散や趣味は全て仕事のようになってしまって、なぜかそれで心が豊かになるはずなのに、なんだか毎日へとへとで情けない。穏やかにのほほんと生きたい。毒なんか持ちたくない。それでも毒々しくこんなものを書いてしまっている。愛しい人に抱かれれば根本的な欲望は満たされるのか、他の人が作ったとても美味しい料理と、豊かな睡眠がしっかり毎日とれたら楽になるのか、そんなことばかり考えている。性欲・食欲・睡眠欲。ああ、足りてないな、足りてないな。人とかかわらなければいけない時点で、私はそれらをあきらめることも時には必要で、そうしてそれらをばーっと満たすことも必要で。だから人間であることが嫌だし人としてどうかしてるということをずっと作品にすることで落ち着けてきた。本当はもっと仏の顔をした残忍な悪魔なんです。悪魔のような顔をした仏の方がずっとずっといいじゃんと思うけれど、笑顔で、今日も疲れたね、あはは、私のことはいいよなんてきもくてうざいことを言ってしまう人間なんです私は。あと三キロやせればこんなひどい文章もゴミ箱に捨てられるんだろう。だからダイエットはつらいんだろう。がんばれなんて今の私に言わないでほしい。がんばらなくていいよと誰かに言ってほしい。とにかく寝せてくださいと、もっと寝ていいのに世界に対して怒っている。やさしく他の人に「お疲れ~」なんて言ってしまう。ああ、そういう私自身がコンプレックスの塊で、どうにかしたいと思っているわけなんですがどうでしょうかね、みなさん。
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