ぼくのなつやすみ

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「あ゛ーーーー、あっちぃ」  着ていたTシャツの首元に指をかける。中の熱気を逃すように、俺はパタパタとその布地を扇ぎながらそう呟いた。 『17:37』  何の気なしに、左手でズボンのポケットからスマホを取り出す。画面を見れば、今日の日付とともにその数字が表示されていた。  時間だけみれば夕方といえる。冬場などではすでに辺りが暗くなって家路を急ぐ時間だろう。しかし、この時期ではまだまだ明るく、その分うだる様な暑さも残っていた。 「あー、アイス食いてぇー……」  木陰に入り幾分かはその暑さも和らいだ気はするが、やはり暑い。スマホ片手に、家にアイス残ってたっけか、などと考えながら呟いていると。  ガフガフ、バシャリ、ガフガフッ  不意に激しい水音が聞こえて。視線を上げれば、トーヤが水面に顔を突っ込み何やら暴れていた。  ――何やってんだコイツ?  トーヤはウチで飼っている柴犬だ。普段は室内で飼っているせいか、散歩の時はいやにテンションが高いヤツである。 「なんかいんの?」  尋ねながら少し身を乗り出し、トーヤが顔を突っ込んでいるところをジッと見る。すると、揺れる水面の下にシュルリと何かの影が素早く動くのが見えた。 「お。魚じゃん」  流れる水は昔と同じくらいきれいだなとは思っていたが、そこにいる小魚たちも昔と変わらずちゃんといるようだった。  ここは、家から徒歩で30分ほどのところにある小川。  その小川の途中に設けられている、6段程の階段を降りれば川に入る事ができる場所で、俺はトーヤと共に散歩の休憩をとっていた。  階段に腰掛けビーサンを履く足を浸ければ、程よい冷たさの水が一時の涼を与えてくれる。階段の端、西側に植えられた木が、ちょうどいい感じに影をつくってくれているのも良かった。  周りが田畑で囲まれていて、もう少し上流に行けば未だに蛍が見られるとも聞く。  それだけきれいな水だ。昔、友ダチとともによくこの周辺へと遊びに来ていた頃は、この場所で野菜の土を洗い落とす人の姿を見かけていた。そしてそれはきっと今でもそうなのだろう、階段には真新しい土が落ちていた。 「……ははっ。おちょくられてやんの」  ガフガフ。ガフガフ。  シュルリシュルリと足の間を抜けていく影を追いかけ、トーヤが顔を振る。捕まえようと口も動かしてはいるが、まぁ、普通に無理だろう。魚たちにとっては必死に逃げているだけなのだとしても、ハタから見れば、おちょくり、おちょくられているようにしか見えない。  水しぶきが地味にかかる事を除けば、ヒトリ白熱しているトーヤを観察するのは面白かった。 「ま。俺もお前の事は笑えねーけど」  俺の場合はダチと一緒だったから、一人ではなかったが。網とバケツを持ち、この場所で、魚たちにおちょくられた記憶が俺にもある事を思い出す。 「懐かしいな……」  そのダチとも高校が別となり、そもそも近所の川に遊びに行くという年頃もすっかり卒業してしまった。ましてや、こんな風に川に足を浸けるなんて、久しぶりもいいところである。  部活動の自粛によりこの時間に家に居て、母親から散歩を頼まれるなどしなければ、もしかしたらあの頃を最後にここへと来る事もなかったかもしれない。  スンと、鼻から息を吸う。感じるのは、雨上がりとはまた少し違った、泥と水が混ざる田んぼ特有の湿った匂い。その匂いもまた懐かしい。 「たまにはお前と散歩するのも悪くねーかもね」  熱中症だ、外出自粛だと、最近ではクーラーの効いた部屋に篭ってばかりいる。  たしかに熱中症には気を付けたいところだが、やはり、たまにはちゃんと外に出た方がいいかもしれない。そう思いつつ、ふと目が合ったトーヤの頭を右手で撫でれば、そこはぐっしょりと水で濡れていて。  あ、やべっ。と思った時には柴ドリルが発動し、大量の水しぶきを食らっていた。 「どわーーっ!! ちょ、おま、サイテーかよっ!!」  慌てて左手のスマホを確認し、濡れなかった腰の部分で画面を拭く。  叫びながらトーヤを見れば、気が済んだのか川から上がろうと階段に足を掛けていて。 「あ! 待っ!! あ゛ーーー!!」  避ける暇など与えられぬまま。もう一発、柴ドリル。頭から、尻尾の先まで思い切り。 「……ほん、おま。……あー、くそ濡れた……」  顔に飛んできた水滴をTシャツで拭きつつトーヤを睨めば、満足そうな顔でワフッと鳴かれた。  お前ねぇ!と言いながら、その鼻先を摘んでやろうかと右手を上げた瞬間、左手に握られたスマホが震えて。  眉間の皺はそのままに画面を覗けば、母親からの『今どこ? スイカ買ってきたから食べよ!^ ^』とのメッセージが見えた。 「スイカかよ」  川遊びをして、家に帰ったら母親が切ってくれたスイカを食べる。なんて。 「小学生かよ」  そんなことを呟きながらも、懐かしい記憶に思わずちょっと笑ってしまって。  本当はアイスの気分だったが、まぁ、たまにはスイカもいいか。などとそんな事を思う。  きっとこのビショビショの服も、あの頃と同じように、どうせ家に帰り着くころにはすっかり乾いているだろう。  そう思い直し、摘むつもりで持ち上げた手をそのまま伸ばしてトーヤの頭をひと撫でする。 「帰るか」  立ち上がった俺がそう言えば、再びトーヤがワフッと鳴いて。  正直、もう少しだけ、懐かしくも気持ちいい、このゆるゆると流れる水に足を浸けていたい気持ちもあったが。  ハァと一つ息を吐いて川から上がると、俺たちは家路につくため歩き出したのだった。
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