lapse of help

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lapse of help

「ぎっ、…………!?」  熱くて痛くて、遠のきかけた意識が強引に戻される。なんだ、何された、何が起きた……1枚ってなんだよ、なんだ、1枚って?  痛みで視界が安定しない――ちゃんと聞こえてきてくるのは、高橋(たかはし)の愉しげな嘲笑の声だけ。大丈夫、なんて口だけで尋ねてくるが、心配なんてしていないのは明らかだった。 「痛そうだね、芳野(よしの)。今は左手の小指をね、剥がしたよ? 芳野、覚えてないよねぇ……私さ、この部屋で何されたと思う? あんたがネットに書き込んだあの投稿のあと、何が起きたかわかる?」 「なに、って……」  そんなの知るわけない、とは言えなかった。 『芳野! ねぇ! 助けてよ! やだ! やだぁぁっ!! ぎっ、あぁぁ、か、はっ――――、ぁ、ぁっ、う゛っ……』  次々に思い出される、泣き叫ぶ高橋の姿。こっちを必死に見つめて、あらぬ方向に折れ曲がった手を伸ばして、青黒く腫れた瞼を必死に開きながら俺を見つめていた、見るも恐ろしい形相の高橋。  すぐに押さえつけられて、強引に開かされた脚の間で下卑た笑い声が耳障りだった。  でも、俺は……え、どういうことだよ、なんで、けどこの手には高橋の首の感触が、 「何にもしてこなかったくせに、その辺だけは覚えてるんだね……違うか、高校生犯して首絞めて……っ! あのときとおんなじことしたからそれだけは思い出せたんだね、さすが芳野っ!」  ごりぃっ!  苛立ち紛れに高橋が床に思いきり突き立てた杖は、狙いを外して俺の腕を強く叩きつけた――いや、叩きつけるというよりは(えぐ)るような力加減で、俺の腕を蹂躙する。筋肉を押し潰されるような痛みに思わず呻いていると、高橋はあの頃浮かべなかった冷たい笑みを俺に向けながら、呟いた。 「ねぇ芳野、知ってる? あんたの書き込みを見て変な正義感に燃えたやつらが、私の家に火つけたこと」 「……は?」  なんだよ、それ?  だって高橋、そんなこと一言も言ってなかったし、ていうかそれいつのことだよ、そんなことあったなんて知らなかった。 「知らないよね、私言わなかったし。芳野とは関わる気もなかったし、言うだけ無駄だと思ってた……でもね、芳野。それに触発されたからなのか知らないけど、その次は私の弟が襲われたんだよ、まだ小学生だったのに、わざと車で轢いていったの。  そんな顔しないでよ、生きてるから。ちゃんと生きててもう怪我も治ってるけど、あれ以来外が怖いって出掛けようとしないだけだから。昔は外で友達と遊ぶのが1番好きな子だったのにね、何でだろう?」  高橋が悲しそうに瞳を伏せる。  だけど、そんなの知ったことか。  普通に考えておかしいだろ、なんでネットの書き込み見ただけで子ども轢き殺そうって異常者が現れるんだよ? あんなのそこまで真に受けるようなもんじゃないだろ。  高橋は俺を責めるように見つめてくるけど、それだって正直言っちゃお門違いだ、悪いのはその書き込みを見て歪んだ正義感を燃やしたやつらであって、俺はただそうやって文字にしただけだ。その真偽なんて保証してないに決まってる。  それに第一、たかだか高校生のガキが書いたものにそこまで振り回されるやつがいるなんて、想像できるわけないじゃないか! 「原因は私だって家族から責められてさ、(つら)かったけどその通りだし、他にもばら蒔かれてた噂話とかも全部親の耳に入って、もうさんざんだったよ。  全部問い詰められたの、学校終わってから何してたとか、会ってた相手はどんなやつだとか、どんな神経してたらそんなことできたんだとか、貢いだお金のことも出所とか金額とか、全部話すまで寝かせてもらえなくなって、話したら話したで殴られて……あっ、そのときあんたのことも話したから」 「はぁっ!? なんでだよ、俺は関係、」 「やっぱり芳野はそう言うよね。本気だったくせに」 「…………っ、」  本気だったくせに(、、、、、、、、)。  そう嗤った顔には、『まぁそんなわけないけどね』とはっきりと書かれているようで、思わず頭に血が昇りそうになるが、そうならなかったのは、高橋の顔があくまで穏やかだったから。  穏やかな顔のまま、まるで学生時代の思い出でも語り合っているみたいに、高橋は俺への怨嗟(えんさ)を垂れ流し続ける。 「うるさく聞かれたんだもん、どんな男とどんなことやったんだ、って。もちろん心配して聞いてたんだろうけど、信じられる? 娘のセックス洗いざらい問い詰めてくる親とか、普通あり得ないよね。  ……でも、あのときはもう家族全員普通じゃなかった。当たり前だよ、毎日知らないやつから襲われないかビクビクして、帰ったら家に変な落書きされてるんじゃないかって怯えて、殺人犯扱いされてるんだよ? 近所の人もあからさまにうちを避けるようになって、どんな噂してるかわかったもんじゃなかったし。そんな状態が1週間、2週間? 続いたらさ……誰だっておかしくなるよ」  高橋の話し方は、まるでひとつひとつを確認して思い出すような口ぶりだった。あえて俺に言い聞かせるようにそんな話し方をしているのだろうか、そう思うと、こいつの底意地の悪さみたいなものを感じて寒気がする。  だけど、そのお蔭で……いや、そのせいで思い出した。  俺は、高橋の首を絞めた――それも、事実だ。だけど、それは高橋から俺の気持ちを否定されたあの日ではない。  もっと最悪の状況で、もっと最低な状態で、俺は高橋を殺すことになったのだ。
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