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◆ ◆
「いつも以上に殺気立っていたな。彼らも……お前もだ。エクター」
「…………妻を辱められたのです。それさえ貴方は許容しろと仰るのですか、ヒディル様」
「……そういう事情だったか。その行動には非があるな」
「……非があるのは彼らの行動であり、彼ら自身には非はない。そんなことでも言いたげですね」
「お前の言動は時に攻撃的過ぎる。もう少し柔らかく接すれば、彼らとも――」
「何故です」
エクターが切なる目で、前を歩くヒディルに問いかける。
「何故ヒディル様は、あのような無法集団を野放しにしておくのです」
「ベステアの総人口に比しても、教会騎士団の総数は少ない。彼らの力は、総数の読めない魔族の軍勢に対抗するためには必要不可欠だ。……そしてまた、彼らも我々と同じ人間だ。過つこと、意図せぬ道を余儀なくされることもある。そうした鬱積を宿す彼らを、ただこの瞬間、目の前で表出した言動だけで存在までも否定することは間違いだ」
「彼らはあのような生活を望んでいる。望んで傭兵という職に就き、ハイエナと呼ばれる身に留まっているのです!」
「そうとは限らない」
「教会騎士団への門戸は広く開かれている! 彼らの実力ならば突破など容易だ! 奴らは教会の戒律に服したくないがためだけにその道を捨て、血と金と酒と女に生きる道を選んだ惰性の存在なのです! そのような者達に、我々教会騎士が譲歩し、あまつさえ歩み寄る必要などあるのですか!」
「ある。別けてもテネディアに祈る我々教会騎士団にはな。そう信じている」
「……彼らの卑しさを知って、なおそれを言うのですか」
「何度も話してきたことだよ。エクター」
二人との分かれ道にさしかかり、ヒディルは足を止めて振り返る。
「確かに、彼らは悪に見える存在だ。だがそれでも、彼らも人間であることには変わりないのだ。そも人間とは善悪、清濁を持ちあわせる生命だ。善なる者が気紛れに起こす悪意があるように、悪なる者が気紛れに起こす善意もある。故に我々は上から彼らの気質を決めつけるのではなく、ただ人間の善性を信じ続けなければならない。悪性を認め向き合っていかなければならない。罰するとしても、赦すとしても。それがヒトという種族の持つの業であり、背負っている原罪だ。ヒトの罪を受け入れられるのは、同じヒトだけなんだよ」
「……理想論です。その理想に、少しの現実主義さえ取り入れてくれれば、貴方は……貴方ほどの人なら、教皇になることさえ可能だというのに。あなたにはその力があるのです。その力を余すことなく使い、貴方自身の手でこの国を律せば、彼らも貴方に――」
「私は地位など望まない。元よりな」
「民衆が求めているのです! この数十年、貴方という騎士がいたからこそ、ベステアはギアガロクの制覇目前にまで迫ることができていることを、よもやお忘れですか? 魔族に壊滅させられた村にたった一人で潜入し、生まれたばかりだった私を救った戦いを皮切りに――魔の者達に怯え、専守防衛するばかりだったベステアを鼓舞、ギアガロク攻略を進言・実行し、無数の武功を立てた貴方の存在があってこそ、今のベステアがあるのではないですか!」
「……お前の言葉は嬉しいよ、エクター。だけどそれも、物事の一面に過ぎん。お前によく見えた側面に、私が居たというだけだ。殊更言い立てることでもない」
「ですが……」
「志に、私心を混同したくないんだ。出世欲などが先に出れば、テネディアはきっと私を許すまい」
「…………」
エクターは、無言のままヒディルからわずかに視線を下げ――首から下がる片翼を象った銀のネックレスを握り、目を閉じる。
それは教会騎士団入団の記念に、彼が父から贈られた大切なもの。
「…………本当に、貴方は昔から……聖人を体現されたような眩しさを放つ。私のような者では及びもつかないような……」
「だからこそ、私達はヒディル様に魅せられているのですよね。あなた」
黒髪の奥で藍色の目を光らせ、テレリアが言う。
「一切の私心なく、なのに教会騎士団の団長にまで昇り詰めたその人徳と力――それらをヒディル様は、ベステアだけでなく人間全ての幸せのために振るっている。ヒディル様のその在り方が、私達を捉えて離さない――そうでしょう?」
「……そうだったな。ありがとう、テレリア」
エクターが小さく息を吐いて苦笑し、テレリアと共にヒディルを見る。
「貴方はあなたのまま、描く理想に向け邁進してください。俺達は傍でそれを支えます。父さん」
「ありがとう。我が子達」
「ふふ……なんだか照れ臭いですね。我が子だなんて」
「何を言う。君はエクターの妻となったのだ。堂々としていればいい」
「はいっ。私も教会騎士団副団長の妻として、恥ずかしくない実力を身に付け、居住まいを正します」
「期待しているよ。君は既に、教会治癒術師として十分な実力を備えている。後は前線での経験を積めば、術師長となる日もそう遠くないだろう」
「父さん……自分では地位なんていらないと言ったのに、貴方は」
「ははは。老婆心か親心か……子らの雄飛と躍進は、私にとって一番の楽しみごとだよ。私を支えるばかりでは足らんぞテレリア、そしてエクター。お前達はいずれ私など超え、魔なる者から解放されたベステアを――人々を導いていく人間となるのだ。私も力の限り、お前達を見守ろう」
「ありがとうございます。父さん」
「ありがとうございます……ですが、ヒディル様。私はこうも思うのです」
「ん?」
テレリアが、片手で胸の上で揺れるテネディアの紋章へと触れ、目を閉じる。
「私はテネディアに祈る者として、命あるもの全てにアイを注ぎたい。――――魔物や魔族と、破壊や殺戮だけの生を生きる彼らと……手を取り合い、共に歩むことは出来ないのでしょうか」
『――――――、』
二人の騎士が動きを止める。
あっけにとられた二人の表情の意味を読み取れず、テレリアは小首を傾げた。
◆ ◆
〝魔物や魔族と――――共に歩むことは出来ないのでしょうか〟
耳に残るその言葉を、ヒディルは襲う頭痛と共に眉間にシワを寄せて追い出した。
暗闇の中に一筋の月明かりが差し込み、ヒディルの精悍な顔を照らす。
最奥に講壇を構えた、薄暗いステンドグラスが妖しく光るその場所――ベステア最高統治府、礼拝堂。
最高統治会は、教皇を中心として左右に並び立ち、騎士団長の到着を待ちわびていた。
「準備は整ったのか。ヒディル」
「万全です、教皇。今のベステアが集められるだけの軍備と戦力を整えました。考え得る限り最高の状態で、明日の最終攻略戦を迎えられるでしょう」
「ご苦労。……いよいよ来るのだな。ベステアが広く外の世界と関わるその時が」
「そちらも心配無用です。外界にいるはずの人々との交わりこそ、新たなベステアの発展と繁栄をもたらすものだと確信――」
「浅い考えだ。揃いも揃って」
ヒディルの声を笑い飛ばす最高統治会の声。
月明りの差す口より下の部分だけを動かし、男はしわがれた声で続ける。
「我らベステアが外界と隔絶されてより、百数十年の時が流れておるのだぞ。外に交わることのできる人類なぞ、とうに存在せぬ可能性もあるであろうに」
「そこまでを想定した軍備になっております。最終攻略戦を勝利し、万が一ギアガロクの向こうに更なる魔なる者との戦いが待っていた場合、すぐにも専守に切り替え、このベステアを守る算段を付けています」
「そんなものは当然だ、馬鹿がッ」
「私達はその先を言っているのよッ」
「……現状、外界の人間との戦闘が想定できる国力は、ベステアにはありません。そう何度も申し上げたはずです。ともかく最終攻略戦後は守勢に入り、敵の侵攻を防ぎつつ再軍備、及び各国との巨頭会談のための交渉を――」
「それが甘いと言うのだ童が!」
「外界の人類がこの百数十年で退化し、民度など推し測るべくもない蛮族に堕していた場合どうする!」
「我が身さえ顧みず特攻してくる可能性もあろうが!」
「そこまでくれば何とでも言えてしまいます。見える敵ならいざ知らず、まず存在するかも判らない者に対し万全を期すなど不可能です。そんなことでは攻略はままなりません」
「その通り!」
「つまり時期尚早だと言っているのだ我々は!」
「ではどこまでの国力の充実を以て、最終攻略が可能だとお考えになるのですか」
「ハン! そんなことも自分の頭で考えられんとは!」
「決まっておろうが――――我がベステアが、世界全土を手中に収めるだけの国力を手にしたその時だ!」
「魔だけでなく、外の者達をも十分に叩きのめせる戦力が必要だ!」
「…………」
……視線を遣った先で、教皇は目を閉じている。
ヒディルは眉間に数本の指先を当て、静かに揉み解した。
「……なんだその態度は!!」
「我々が間違っているとでも言いたげな顔ね!!」
「数十年も魔物共と相対しておいて、未だ獣風情の相手で手一杯な貴様自身の采配を疑うことはせぬ癖に!」
「テネディアに最も近く祈りを捧げた我々を軽視するか!」
「何故ですか」
強く放った声に、最高統治会の面々が言葉を切る。
「何故あなた方最高統治会は、そう外へ出ることに消極的なのですか」
「何だと!?」
「そうとしか読み取れん思慮の浅さ!」
「貴様が騎士団長どまりな理由よのう!」
「私には、貴方がたが――外の世界を恐れているだけに見えて仕方ない。何をそんなに恐れているのですか。恐れに立ち向かうことなど、ベステアは魔との戦いを通して散々やってきたではないですか」
「黙れ小僧!」
「孤児院育ちの成り上がり者めが!」
「貴様の地位が我々に担保されたものであることを忘れるな!」
「私は地位など望まない! 私が望むのは――」
「人類の幸福」
その声に、全員の視線が講壇を向く。
ヒディルの言葉を継いだのは、講壇の前に立つ教皇だった。
「『ギアガロクを攻略すれば、ベステアは世界に戻れる』。それはベステアに住まう全ての民の生きる希望であり、ベステアという国を『国』として生かす名分でもある。その名分を捨て、攻められるにも関わらず守りに徹するというなら……それはベステアの民から生きる理由を奪い去り、その心を絶望に染める行為に他ならぬ。望む望まないという話ではない。ベステアに元より選択肢など無いのだ」
「…………!」
ヒディルにあれほど息巻いていた最高統治会の面々が押し黙る。
教皇は憂いを帯びた目で数度瞬きし、小さなため息とともに再度口を開いた。
「だがなヒディル。私は、最高統治会の苦悩も解らんではないのだ」
「え……」
「人間は得てして、閉じ込められていれば外に出たくなる。出ていける外の世界があれば、それを求めるのは人間として当然の生理だ。ギアガロクの外、テネディアの外、そして……ベステアの外へと」
『!!』
ヒディルは、最高統治会が顔色を急変させたのと敏感に察知した。
同時に、彼らが何を恐れているかにも見当がついた。彼らは――
「――もし仮に。ギアガロクの外を知った人々によって、結果ベステアという国が前向きな形で消滅するのであれば……それも人類の幸福のため、必要なことであろうと考えているよ」
……ヒディルは、強い目で教皇を見た。
彼に見えたのは、たくわえられた白い眉と厚ぼったい目蓋と目元のシワに埋もれながらも、なお穏やかで光を失わぬ、強い金の瞳。
(……ありがとうございます。父上)
生体実験室での一件から、父の志を疑いかけていた自分を改めて恥じるヒディル。
ついに教皇となった父の目は、彼がその在り方に憧れたその時から何も変わってはいないのだ。
「……何にせよ、勝たなければ始まらない。外がどんなところであろうと、少なくとも、魔の者に抑圧される現状よりは数段マシな世界である筈だ。解ってくださいますな?」
教皇に目を向けられた最高統治会が、残らず視線を逸らす。
次いで視線を向けられたヒディルは腹と拳に力を込め、深々と教皇に頭を下げた。
「ベステアの――――人類の勝利を約束します。必ずや」
〝魔物や魔族と――――手を取り合い、共に歩むことは出来ないのでしょうか〟
(……何故、このタイミングであのような言葉を私に投げかけるのですか。テネディアよ)
――頭を過った個人的な感傷は、そっと懐に押し隠した。
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