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『こちら第二隊一班! ゴブリン共、副団長の魔術を受けると……爆発せずに倒れました!』
「……解った。副団長に付き従い、そのまま進軍せよ」
『はっ!』
通信が途切れる。眼前に数多の敵を認めながらも、ヒディルは小さく笑みをこぼした。
(これだけ離れていても、尚輝かしいまでの魔波……お前は自慢の息子だ。エクター)
ヒディルが目を開ける。
同時に魔波が波紋のように広がり、嬉々としてヒディルに襲い掛かろうとしていたゴブリン達の足を止めた。
「全隊聞け! 光属性の攻撃を用いればゴブリン共の自爆を不発に出来ることが分かった! 光属性を得意とするものを主軸に展開せよ!」
『了解ッ!!』
言いながら、ヒディルは右手に持った鉄剣を体の正中に構える。
「負けてはいられんな――私も」
閃光。
弾けるような光が、鉄剣の刃を根元から切っ先まで覆う。
輝く剣身をまとった無銘の鉄剣を、ヒディルは左手にした質素な色味のカイトシールドと共に構え――ゴブリンらへゆっくりと駆け始めた。
それは先の傭兵らの突撃と比べれば、あまりに地味な侵攻。
ゴブリンの一体もそれを知ってか高笑いしながら、錆び欠けた短刀などを振りかざして――倒れ、それきり動かなくなった。
『!!?』
驚愕。
それは周囲の傭兵や騎士だけでなく、対峙するゴブリン達も同様に。
斃れたゴブリンに走り迫っていたはずのヒディルは気が付けばゴブリンの背後に移動し――一太刀でその個体の首筋に一閃、首の骨を通う頚髄を断ち、一瞬で殺してみせたのである。
そして当然、その骸は起爆しない。
光属性を前に、起爆剤たるゴブリンの血は、その体は塵と消えるのみである。
「――決して相容れぬ魔なる者とはいえ。その命に、出来得る限り苦痛を与えたくはなくてな。戦いには華も過度な力も必要ない。ただこうして、的確に命を奪える技があればよい……それが我が騎士道だ――願わくば、魔族諸君」
剣を持つ手で、ヒディルは外套の留め具に触れて目を閉じる。それは始祖神テネディアに抱かれる者を象ったテネディア教の紋章。
「せめて彼の世でテネディアに抱かれよ」
剣光が、閃き。
「エクター副団長に続けぇッ!!」
――――発射された輝く剣が突き刺さったゴブリンは、片端から浄化され消滅していく。
エクターの背後に装填され敵を向いた無数の聖剣は次々に魔を射抜き、戦線を押し上げつつあったゴブリンの群れの右翼にあっさり風穴を開ける。
と――
「ッ――副団長ッ!!」
「ヒディル様ッ!!」
ヒディルの足元で突如ひび割れ、岩盤が盛り上がる。
団長の危機を悟った新米騎士の叫びはしかし、轟音と共に全くの杞憂に終わる。
「不意打ちとしては悪くない。だが――私を狙ったのが運の尽きだ」
新米騎士が体をふらふらさせながら目を見開く。
彼の足元には、砕け飛び散った岩盤の欠片。
ヒディルは、真後ろから迫った鋭利な鉤爪を右手の剣を逆手に持ち替え、あっさり防いでしまったのである。
ヒディルの周囲の岩盤は、残らず砕け吹き飛んでいる。
それは不意打ちを仕掛けた魔族――――オークの中でも一際筋張った腕をした屈強な個体の一撃が、いかに並外れた威力を持っていたかを物語る。
「オ――オーク!!? 馬鹿な、この硬い岩盤を魔波も感じさせず進むなど――」
「貴様の後ろを見るに――ずっとそこに潜んでいたという訳か?」
オークの背後に見える地下の空洞に目を遣りながらつぶやいたヒディルが逆手のまま剣を振り上げ、
「暗がりばかりでは気が滅入ろう。真の安息を受けよ」
一突きで、オークの首根を断ち切り。
輝く聖剣は、背後から伸びたオークの槍と腕を串刺しにした。
四年に渡り、極限まで鍛錬し続けたエクターの魔術聖剣の剣速は、最早並の魔族では対応しきれぬ域の神速。
「惜しかったな。その距離は既に聖剣の錬成領域だ。領域内ならば――魔力と意志ひとつで、我が剣は軌道無限に貴様を襲う。逃れる術は無いッ!」
オークの額に聖剣が突き刺さり、緑の巨体は完全に沈黙した。
周囲から歓声が上がるが、エクターはそれにも鋭い目を向ける。
「歓喜する暇があったら行動しろ! こんなもの局所的な勝利に過ぎん――いよいよ真打、ゴブリン以外の魔族達が動き出したというだけだ。戦いはここからだぞ!」
『はっ!!』
「では任務遂行を再開しろ! 戦えぬ傭兵共は本陣治療房で傷を癒せ!……ゴブリン共の自爆で、我らの出鼻は完全に挫かれた。押されているのは我々だということを忘れるな!」
◆ ◆
喀血した傭兵の血が、テレリアの頬へと飛び散った。
『!!』
周囲の治癒術師たちがぎょっとするも――血は赤い。
「起爆する血液はオレンジ色」――伝わっていたその情報とは違う色でであることを認め、彼らは知らず安堵の息を吐いた。
「て……テレリアちゃん……」
「大丈夫ですか。今治療していますよ。もうすぐ助かりますよ。だから気をしっかり――」
「たすけてくれぇ…たすけ、て」
――簡易ベッドに寝かされた傭兵の手が重力に負け落ちる。
テレリアが治療に当たっていた、ゴブリン爆弾により欠損した臓器の修復が間に合わなかった傭兵が、また一人命を落とした。
テレリアの治療の腕が、特段悪かったわけではない。
治療に当たった者、或いは治療が遅れた者が甲斐なく亡くなる――野戦治療房ではいつでも起こり得ることなのだ。
テレリアは落ちた傭兵の両手を取り彼の胸の上で重ね、自らの胸元にあるテネディアの紋章に静かに触れる。
テレリアにとっては初めての前線だ。次々指の間を零れ落ちていく命、そんな現実を突き付けられる彼女に――一人の治癒術師が歩み寄り、その肩に手を置く。
「気に病まないで、テレリア。あなたは最善を尽くして――」
「? いいえ、気に病んでなんていませんよ?」
くるり、と振り返ったテレリアが、黒い前髪の向こうでにこやかな――にこやかな笑顔を浮かべ、頬の血を拭う。
固まってしまったのは話しかけた治癒術師の方だった。
「む――無理しなくてもいいのよ? 精神的に、」
「いえ……何ともありませんよ? だって彼はもう、私のアイを必要としていない。テネディアの腕に抱かれたんですから」
……その言葉が正確に聞こえた者達が、残らず真顔でテレリアを見る。
当のテレリアは求めに応じ、既に次の患者へとそのアイを向けていた。
◆ ◆
大量のゴブリン達が跳躍し、飢餓に満ちた目と口でエクターに飛び掛かる――雑食であるゴブリンは、ひとたび飢えれば人肉を貪ることも厭わない。
周囲から飛ぶ危機を知らせる声にも応じず、エクターは自らの周囲全方位に無数の聖剣を展開し――一斉掃射。
空中で逃げ場のないゴブリン達は残らず光の剣に貫かれ、地に落ちる前にただの黒ずみと化し、霧散していく。
そんな勇姿を見た者達の鬨の声――中には彼を敵視していた傭兵の姿さえ見える――は、最早エクターとて抑えられようはずも無かった。
「すげぇぞナンバーツーの野郎ッ!!」
「辺りのゴブリンを一匹残らず消しちまいやがった!!」
「英雄だぜぇ!!」
「行くぞッ!! 上級魔族共に我らの強さを思い知らせるのだッ!!」
『おおうっ!!』
――既に戦況は拮抗に戻ったと言っていい。
大半の後送は終わり、戦場の戦闘不能者はそう目立った数ではない。
しかし、当のエクターの顔は曇っていた。
『エクター。聞こえるか、エクター』
「――ヒディル様。副族長らしきゴブリンを見ましたか」
『いや、見ていない。各所から、既にゴブリンはほとんど駆逐したとの報は受けているが』
「……どこにいるのでしょう、奴は。私は奴を――」
『そんなものより、今見えている現実に目を向けた方がよい――と、普段のお前なら一蹴する所ではないか? その思考は』
「………………」
ヒディルの言葉にエクターが黙り込む。
ややあって、次に口を開いたのはヒディルの方だった。
『……エクター。君には本陣の警護についてもらいたい』
「…………今何と言われました?」
『聞こえているはずだ』
「っ、ゴブリンに固執し、目的を見失っているように聞こえたのなら申し訳ありません、ですが私は決して――」
『今の言葉だけで判断しているのではない。――ただ危惧しているのだ』
「危惧……ですか?」
『敵は、我々が予想もしなかった戦法――ゴブリンであるとはいえ、同族の命を犠牲にした玉砕攻撃を仕掛けてきた。先の地面に潜伏していたオークも然り……この戦い、敵は今後もこちらの想像だにしない手段で意表を突いてくる可能性が高い。そして、そんな奇襲に一番脆いのが本陣だ。本陣だけは、万が一が起こってからでは遅いんだ』
「それは総大将のいる前線も同じことではないですか? 前線の戦況も決して芳しくはありません。加えて私は魔族の致命的弱点である光属性の魔術を持っているのです。私を前線から遠ざけてしまうというのは、」
『本隊は既に大きく進軍している。これから別の隊を本陣に戻すとなれば、敵からの追い打ちは免れない。それだけで我々の被害は甚大となる』
「…………」
『騎士団随一の実力を備え、機動力に優れる「軍隊」――君だからこそできることだ』
「…………」
――正論だった。
万が一本陣――ベステア有数の治癒術師・魔術師が結集している場所が陥落するようなことがあれば、戦争の敗北どころか――下手をすれば全滅の憂き目を見ることになる。ベステアの現状では、人類滅亡さえ見える事態となってもおかしくない。
もちろん、あらゆる事態を想定した防御策が、本陣には講じられている。
しかし、この戦いは魔族にとっても興亡のかかった一大決戦。
そして現状は――使い捨てられる魔族が、ゴブリンだけで終わる確証も無い。
「……了解しました、団長」
『……エクター、』
「本陣へ向かいます」
エクターが通信を断ち、目を閉じる。
(……戦局と敵の覚悟をうかがっての判断だ。しくじれば滅亡への道が開かれてしまう。異論を差し挟む余地など――)
〝う……うわあぁぁぁああぁっっっ!!〟
〝やめてくれ……こ、殺さないでくれっ……!!〟
(――余地など、微塵も無い)
金砂の前髪の奥で、私欲を押し殺した碧眼が輝く。
遠く、鬨と共に前進しているであろう仲間たちを置き、エクターは一人身を翻す。
その先に、宿命の相手が待つことになるとも知らず。
◆ ◆
「うっひょー! 見ろよ、とうとうお出ましだ!!」
「第十三次攻略の時に出たコボルトの王だ!」
「コボルトの族長が出たぞおおぉぉっっ!」
強敵の出現に沸く戦場。
しかしヒディルの心は、今も尚息子の元に在った。
〝ゴブリンに固執し、目的を見失っているように聞こえたのなら――――〟
(…………。そうだ。エクター、お前は稀に、そうして――……)
風。
毛を逆立て、牙を剥き出して放たれたコボルト族長の遠吠えが、ヒディルの意識を戦場に引き戻す。
彼はひとまず、私的な思索を意識の外に追いやることにした。
〝死ねッ……半魔ァッ!!!〟
(……いずれも、杞憂であってくれればよいが)
「ヒディル様ッ!!」
新兵の叫びと共に。
コボルトの牙が――危なげなく構えた、ヒディルの首を狙って迫る。
◆ ◆
荒い息、ガシャガシャとうるさい足音。
一人の教会騎士が本陣へと駆け込んできた。
その鎧と兜は戦塵のためかすっかり薄汚れ、故に騎士はそのただならぬ気配を存分に全身から迸らせており――本陣に詰める魔術師長が帰還を知るまでに、そう時間はかからなかった。
「な――なんだ、一体どうした? 伝令か? なぜかなめの御声を使わない? もしや前線で敵の通信妨害があったのか?」
騎士は兜の中で息を荒げたまま、無言で魔術師長の男を見つめる。
大きな薄いカーキのローブを身にまとった魔術師長はとにかく彼を休ませようと、手近に居た魔術師隊の者に水を持ってくるよう指示を出す。
それが、致命的な隙だった。
「――――――――――▒░▊▒▒██」
「――え?」
悪寒。そして確信。
振り向きざま、無詠唱で放てる最強の魔術を繰り出す魔術師長。
しかし最強を放った男の眼前で、
「――――――げ、ァ゛、」
騎士は、男の喉笛に必殺の斬撃を見舞っていた。
『――――!!?』
その光景を目撃した魔術師・治癒術師たちが揃って目を剥き、硬直する。
魔術師長の反撃を兜に受けてよろめく騎士が右手に持つのは、魔術師長の血が滴る、歪な突起や返しが不規則に付いた、紫色の異様な細身の剣。
左手には――今しがた握られた、これまた歪に曲がった紫色の杖。
その杖を、騎士が強く握ったかと思うと――暗色の魔力が杖に収束し、右手と同じ刃を持つ剣へと変容した。
「……▊▎▎▂▒▓……」
魔術師長に撃たれた最強の魔術を受け、兜が真っ二つとなり血だまりに割れ落ちる。
ヒディルと同じく、歴戦の勇士であった魔術師長を一太刀で屠った謀反人の顔が露わになる。
「な――――!!?」
「ひっ―――」
――尖った耳。
毛髪の少ない頭。
曲がった腰に低い背丈。
手と同じくらいの大きさの目。
歪な鷲鼻。
そして――
「……▊▒▒▊▎▓▅▒▇▂▒▓ッッ、」
――同族の顔の皮を幾つも繋ぎあわせたモノで顔と片目を覆う、隻眼のゴブリン。
人々は直感する。
「ゴッ――――ゴブリンの族長だあぁァァァァァッッッッ!!!!!!」
本陣は今、陥落の危機に瀕しているのだと。
「█░▊▊▒▎▎▊▒▒▊▎▓▊▊▊▊▊▊――――――――ッッ!!!!」
◆ ◆
「……ぇ……?」
遥か遠方からのその咆哮を、ファナは敏感に察知し――立ち尽くした。
(……なんで? 待ってよ、だって、この方角は……あっちには、テレリアが……!!)
――悪寒と、絶望と。
傷だらけの身体など忘れ、ファナは弾けるように本陣へ走り出した。
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