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「いやァぁぁああ゛あ゛あああアッ!!!」
空気を裂く絶叫。
ビグン、ビグン、と拘束された母体が――その大きく膨らんだ腹部が脈打つ。
女性の首はまるで別の生物であるかのように蠢動し、器具により拘束された分娩台もどきの台の上で顔を、髪をのたうち回らせる。
涙が幾筋にも流れ、精一杯体を痛みと絶望に反り返らせた顔を額に向かって伝っていく。
拷問のようなその光景に、二人の男は言葉を失うより他無かった。
――――血に濡れ光るその肉を、力任せに食い千切る。
「ヒ……ヒディル様、これはっ……?」
「……この状況は何なのですか、教皇」
鋼を基調に、金の縁取りが為された輝く重装を身にまとう壮年の男、ヒディル。
彼は垂れ下がる触角のような前髪の奥で、光る灰色の両目に静かな怒りを湛え、教皇と呼んだ人物を見据えた。
視線の先には、嘲るように二人を薄ら笑う八人の男女。豪奢な青のローブに埋もれるようして老獪な顔を並べている、そんな彼らの中心。ローブの留め具に手の平大ほどの漆黒の宝石を光らせた白い長髪の老人――――教皇と呼ばれた男はゆっくりとヒディルを、そして彼の傍らの金髪の青年を見る。
「……。出産だよ」
「そんなことは見れば分かります。私が訊いているのは――――それが何故この生体実験室で行われているかということです」
ヒディルの声に合わせるように、どこかで巨大な生物が息の塊を吐き出す音が聞こえた。
ヒディルの傍らにいる金髪の青年が眉根を寄せ、嫌悪を込めて付近の飼育箱を睨め付ける。
その無機質な空間は、生体実験室という名の魔物の飼育箱。
まかり間違っても、人間の出産が行われて良いような場所ではなかった。
――――力の限り咀嚼し、その肉を、血を喰らう。
母体が再び悲鳴を上げる。
その声が孕むのは痛みと、何故か恐怖。
母体は生まれ出でようとする我が子に――――断末魔の如き恐怖の叫びをあげているのだ。
「いつまで黙っているつもりですかッ! この国の頂点、最高統治会ともあろうお方々が、もしや余人に言えない後ろ暗いことをやっているのでは――」
「これは後ろ暗いことではないよ、エクター君。痛ましくはあるがね」
「後ろ暗くないと仰る? 妊娠した女性を、こんな設備も何もない魔物どもの飼育箱で秘密裏に出産させることがですか!?」
「抑えなさい、エクター」
血気にはやる金髪の青年――エクターをヒディルが制する。
ヒディルの腰の飾らない剣帯が、提げられた細身の鞘が高い音を鳴らした。
教皇は「よいのだ」と一言置き、再び口を開く。
「エクター君の言う通り、出産が実験室で行われることなど無い。これは出産ではなく『実験』なのだ。大丈夫、母体は十分に衰弱させてある。恐らくこの出産を乗り切れまい」
「貴様等――まさか人体実験を行ったと!!?」
「エクター。……教皇。彼女はもしや――」
「本来、人間と魔族とでは生殖は不可能であるとされてきた。……いくつもの悲しき実例が、それを証明していた」
――――背後には、獣の屍の山。足を浸すのは獣の血の海。
「…………待ってください教皇っ。その言い方はまるで、」
「エクター君。そしてヒディル」
教皇の、そしてヒディルの目が、ゆっくりと母体へ向けられる。
「よく見ておきなさい。人間と――」
――――雷鳴。雨。木々の騒めき。
――――血だまりに映るのは、
「ァああああぁああ゛あ゛あッッッ!!?? あぁあ゛あ゛あ゛あ゛ッッ――――!!!」
――――巨大な口から唾液と血を零す、醜悪なる己の姿。
「孕ませたのは――――ゴブリンですって!!?」
「教皇、とするとこの女性は例の、」
「そうだ。南方支部管轄の区域にある村が、数ヶ月前に魔物を率いた魔族により襲撃され壊滅した。あの母体はそこで発見された。数体のゴブリン共に犯し尽くされた後でな」
「何故その場で殺さなかったのです!? 魔物かもしれない者を産み落とさせるなど人道に――」
「あと少し」
――――その姿が嫌で嫌で嫌で、嫌で。でも、
「この四方を魔物から囲われた世界から脱するまで、我々人類はあと少しの所まで来ているのだ、エクター君。そこに異分子が入り込む余地があってはならない。絶対に――絶対にだ!」
「教皇の仰る通りだ」「我々は勝利しなければならない」「あの母体はその為の犠牲じゃて」「そんなことも解らんのかあの小童は」「実験動物を冷静に見ることも敵わんで」「こりゃとてもヒディルの代わりなど務まるまい」「愚か愚か」
「っ……」
――――でも、食べないといけなくて。
「あ゛a゛ッ゛ッ゛ッッ――――!!!!!!」
慟哭の断末魔と共に。
緑ばんだ体液と血が、膣口から弾ける音。
『!!?』
無機質な鉄の空間にいる全員が、ガラス窓の向こうにいる母体へと目を向ける。
母体は四肢を力無く垂れ下げて事切れ、その股から――――大きな赤いまだらの袋を産み落とす。
「……胎盤……馬鹿な、人間の子どもなら……ッッ!?」
――エクターの声は、胎盤を突き破る小さな手により断ち切られる。
その手はヒディル達が――――人間達が最も見慣れた赤子の手。
赤黒い胎盤を破り、母体の肉と血にまみれて転がり出てきたのは人間の赤ん坊だった。
「――――……」
誰知らず、安堵の息が漏れ聞こえる。
次いで聞こえ始めたのは産声。それも人間の赤子のものだ。
赤子は床を赤黒く染めながら、へその緒がつながったままで泣きもがいている。
教皇。これで心配は杞憂に終わりましたね。
そうヒディルが発しようとしたときだった。
赤子の顔が、体が――――ぐにゃりと深緑色に変形し始めたのは。
「な――」
絶句するエクターの眼前で、赤子は粘土細工のように姿を変えていく。
尖った耳。
骨ばった体。
ぼこりとした餓鬼腹。
枯れ枝のような手足。
小さな鷲鼻。
――――そんな醜悪な姿で。
ゴブリンの赤子は、相変わらず人間のような産声を上げ、鳴き続けている。
「……常々思っていたのだ。魔に孕まされた人間は何を産み落とすのか。しかしこれは紛れも無く……人と魔の間を行き来する力を持った――」
「――――――『半魔』――――――!!!」
教皇の言を次ぎ、ヒディルがつぶやく。
そして、
「殺せ。ヒディル騎士団長」
その命令は、最高統治会により下された。
「見よ、さも我等人間の子のように泣き叫びおって」「なんと恐ろしい……」「見るのも汚らわしいわ」「呪われてしまう、おおお」「見るに堪えぬ、騎士団長ッ! いつまで突っ立っておるのだ」「早うそのバケモノを殺せ」「このためにお前達を呼んだのだ!」「殺されてしまうぞ」「殺せ」「殺せ!」「殺せ!!」「殺せ!!!」「それが――――我らが始祖神テネディアの託宣である!!!」
泣き声は。
命令は。
ヒディルの鼓膜を、視界をずっと、揺らし続けた。
――――滂沱の涙が、緑色の岩肌のような頬を落ちる。
――――美味なる肉が、慟哭に開いた口から落ちる。
「…………早く…………」
――――涙と唾液と血の液だまりの中、その低い声で。
――――闇を斬り裂き、哭いた。
「――――早ク人間ニなりタあぁァ――――――いッッ!!!!!!!!」
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