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翌日、明朝。
まだ夜の寒さが抜けきらない朝もやの中、岩壁のように屹立する荒々しい下りの山腹道に、これまた無数の荒い足音が響く。
ギアガロク巨大連山。
人間達の国ベステアを取り囲むようにして存在するその峰々は、数十年前まで魔物達の巣窟であり、登りはともかく下りの道に人間が足を踏み入れることなど、多くの人々が想像だにしていなかった。
それほどに絶望的な数の魔物・魔族が生息した巨大連山を、数十年の年月をかけて攻略し続けた教会騎士団。
その中心人物がテネディア教の教皇、そして教会騎士団長ヒディルである。
彼らの「功績」は、ギアガロク後半の道を歩く傭兵らの目にも無数に飛び込んでくる。
道なき道に整えられた橋。
危険な道を避ける巻き道。
敵の接近を知らせる魔術網。
進軍不可能な二点に敷設された、瞬間移動を可能とする転移魔法陣。
これらは全て、教会騎士団が命がけで整えてきた道であり――この場所が人間の領土となった証でもある。
少年傭兵ファナもそうした道を、武骨な鎧に身を包んだ屈強な傭兵達の中、埋もれるようにして進んでいた。
傭兵達の前後は華美な装飾の無い、しかし機動性にも優れた鉄の鎧と、顔がすっかり隠れる鉄の兜を身にまとった教会騎士団が、白い外套を揺らして進む。彼らは傭兵と違い、数多くの武具や食料、治療具や野営装備など――軍需物資全般を輸送しながらの行軍だ。見方によっては過剰と言えるまでに道が整えられているのも、これら軍需品を一度に大量に輸送するためである。
しかし、それも兵站基地――戦地の後方に展開される拠点の敷設地までの話だ。
そこから先の道。
ファナは、そこかしこから「地獄」の残り臭を嗅ぎ取った。
兵站基地より先の道には仮設の休息所が設けられているのみで、地均しも転移魔法陣の敷設も進んでおらず――折れささくれた大木やえぐり取られた地面、砕かれた白骨などが散乱していた。
何故ならそこが、つい一年前――第十四次攻略戦にて、教会騎士団がやっとの思いで魔族から攻め取った地だからである。
つまり渇き切ってはいるが――騎士達にとっては、仲間達の血と肉が染みこんだ重みを感じられる地。
故に、騎士達の士気は傭兵らより遥かに高く、そして研ぎ澄まされていた。
やがて、戦場は現れた。
山にⅤ字の切れ込みが入ったように切り立った尾根を越えた先に見えたのは、見上げきれないほど高く急な尾根に囲われるようにして存在する、広く浅い巨大な渓谷。
岩盤の上に未だ溶けずに残る雪がファナの足元を濡らしており、足場は万全とは言い難い。
そんな渓谷の果て――――きっとギアガロク巨大連山を抜ける麓へと、ベステアの希望へと繋がる入り口への途上に、その闇は存在した。
距離にして一、二キロほど先に存在する、麓への道を塞ぐようにして立つ歪な巨岩。
(……あれが防衛柵の役割を果たすという訳か)
千里眼の魔法で巨岩周辺を確認したヒディルは、岩の手前に群生する紫の枯れた大木をそう見て取る。
(空中には、巨岩を取り巻くようにして旋回する怪鳥系の魔物の群れ。そして視認は出来ないが、恐らくあの岩城を囲うようにして物理・魔法障壁が展開されている。空の防備も万全だろうな……しかし)
ヒディルは、改めて目をその巨岩へ向ける。
(デカい……あれは岩というよりも、地面に山塊をそのまま突き刺した、とでも言うべきか。それをそのまま城に改造してしまうとは……その技術力を警戒すべきか、はたまた余力の無さと見るべきか。まあいずれにせよ、あの大きさなら、中には……)
雷鳴。
『!!』
――――否。
雷鳴のように聞こえたそれは、きっと敵襲を知らせる陣鐘のようなものであったのだろう。
山塊を魔改造した岩の要塞に開く、無数の大小様々な穴。
そこから、まるで攻撃態勢を執った蜂の群れのように、肌色を持たない人型の魔――魔族が次々と姿を現したのである。
身構える騎士達に対し、ここで興奮の上擦りをあげたのは傭兵達だった。
「おいおい……久しく見なかった腰抜けコボルトの族長がいやがるぜ!」
「こんな奥地まで引っ込んでいやがったか!」
「見ろ! 鬼の奴らもあんなに生き残ってやがる!」
「顔も声もうるせェ奴らがよくあんな廃墟みてーなところに潜んでられたもんだ……!」
「他にもいるぜ――低級悪魔族にアンデッド共、トロールに吸血鬼までッ……!!」
「魔族共が勢揃いだッ」
「宝の山だぜええぇッッ!!!」
傭兵達が口々に吼える。
その汚い歓喜に顔を歪めるエクターだったが――しかし、彼らの高揚も当然だ。
傭兵達は騎士達と違い、戦果に応じた報酬が約束されている。
特に魔物と異なり、比較的高い知能と知性を備えた者達――魔族の長、「族長」と呼ばれる個体を討ち取れば、数年は遊んで暮らせるほどの金を得られるのである。
「陣を敷け!」
口元に展開した魔法陣で拡大されたヒディルの声が戦場に響き渡る。
呼応し、兜をしていない騎士団の各部隊長が陣立てを指示。
陣への攻撃を防ぐ障壁の展開、教会魔術師隊の詠唱装填、後方での治癒術師隊の展開――――と、瞬きの内に陣容が整えられていく。
そんな、誰しもが与えられた役割に奔走する中――――微動だにせず敵を見据える長身痩躯が、ただ一人。
「……動かないねぇ。さすがナンバーツーってところか」
皮肉っぽくそう言う傭兵の目に映るのは、教会騎士団副団長エクター。
彼は部下を率いることも無く、文字通りたった一人で戦場を見つめ、魔族をけん制し続ける。
「けっ……どうせあの野郎は今回も独立遊軍なんだろうよ」
「『たった一人の独立遊軍』――――ここ四年、ベステアに破竹の勢いで勝利をもたらし続けた『聖剣』を、今日はしっかり拝ませてもらおうじゃねーか」
「面白くない見世物だな」
「全くだぜ。だから精々……俺達にウサ晴らしさせてくれよ。ボク」
エクターに向いていた傭兵達の憎しみと羨望の眼差しが、彼らの隣にいるファナへ向く蔑視に変わる。
しかしファナは、まるで聞こえないかのように無反応なまま――――目を見開き、悲痛な顔で敵陣を見つめるのみ。
すっかり戦場に呑まれている――そう判断した傭兵は、無視の腹いせも兼ねて背の低いファナの爪先を誤って踏み折ってやろうと足を振り上げ――――ようやく、少年が何に釘付けになっていたかを知った。
遠くから聞こえる甲高い声。
ざわり、と蠢く敵の群れ。
傭兵が千里眼で目を凝らしたその先で――――最底辺の魔族が、あふれ出るように姿を見せ始めていたのである。
『……あ?』
遠く岩城の穴という穴から現れた新たな敵影。
尖った耳。
毛髪の少ない頭。
曲がった腰に低い背丈。
手と同じくらいの大きさの目。
歪な鷲鼻。
人の親指の爪ほどの大きさの歯から、唾液の糸を滴らせながら――――一匹一匹が喉を鳴らして声を張り上げる。
「………………ゴブリン?」
一瞬、静まり返る傭兵達。
しかしやがて、彼らはファナが思わず我に返るほどに――鼓膜が割れんばかりの、ゴブリン達にも負けない哄笑を吐き出した。
「この期に及んでまだゴブリンかよ?!?!」
「あんな数生き残ってたのか! とっくに絶滅したと思ってたぜ!」
「ここ数年姿も見なかったってのによぉ!」
「テメーらなんぞいくら倒してもメシにありつけねーってんだ!」
「必死だなァ魔族の奴らも!! 人手不足でカワイソーなこった!!」
「相手を舐めてかかるな! この戦いは奴らにとって背水の陣――」
「何だよ、もしかして数にビビってんのか腰抜け副団長さん! 俺らは族長級を殺す覚悟で来てんだぜ? 拍子抜けもいい所だっつーの! なァみんな!!?」
ここぞとばかりにエクターへ汚い言葉と戦意を投げつける傭兵達。
「馬鹿共が」とつぶやかれたエクターの毒は、彼らの耳にもはや届かず。
『無駄口だぞ、エクター。戦場でいらぬ感情を昂らせるな』
通信魔法――かなめの御声で繋がっていたヒディルのみに届いた。
「……すみません」
『お前の唯一の欠点だな。どうも潔癖でイカン』
「しかし……!」
『持たない訳ではないんだぞ、私も。お前と同じ思いを』
「でしたら!」
『だがなエクター。彼らの思惑がどうであれ、この戦いの勝利には彼らと我々との共闘が不可欠だ。それを忘れるな――魔族共のこの戦いに賭ける思いを知る正規軍だからこそだ』
「――――はい」
「敵来ます!」
『!!!』
ヒディル、エクターがお互いの通信を瞬時に打ち切り、意識を前方へと集中させる。
同時に空気を震わせ聞こえてくる高くザラザラとした鬨の声。
圧となって押し寄せる空気を作り出すのは――雄叫びを上げ、人間達の陣へと猛進してくるゴブリンの群れ。彼らはめいめいに粗雑な剣、槌、鎌、或いは無手を振りかざし――ただひたすらに戦場を迫り来ていた。
「雑兵で小手調べってところか――舐められたモンだぜぇェッッ!!!」
「肩慣らしだ、やっちまうぞォォ!!!」
おおおおぉぉぉぉおおおぉぉぉ!!!!!!!!
地を揺らす鬨。
傭兵達はゴブリンの群れを圧倒する戦意に満ちた声を張り上げ、我先にと戦場に突っ込み始めた。
「なっ……待て!! 誰がお前達に突撃を指示した!?」
「誰がお前らの指揮下に入るっ言った!!?」
騎士団部隊長の制止にも耳を貸さず、次々に地を揺らし駆けていく傭兵達。
その光景に苛立ちを覚えながらも、エクターの目は――全く違う方向を捉えていた。
「……ヒディル様。聞こえますか」
『傭兵達は勝手に動き出した、第二陣形を組め! 魔術師隊撃ち方用意!――聞こえている。そして見えている』
「そうでしょうね……あまりに異様過ぎる。あのゴブリン共が陣形を組んでいます。ただ本能のみに従うあいつらに、過去そんな知恵は無かったはずです。それに、あの個体数も……」
『繁殖周期一ヶ月……魔族一の繁殖力の面目躍如といったところか。この数年、ただひたすらに力を蓄えていたという所か』
「……そんな理知的な行動を、既に族長を失っているゴブリンという種が起こせるはずがありません」
『族長はお前が仕留めたのだったな。三年前、第十一次攻略戦で』
「はい。つまり今の奴らは、わずかに残っていた統率力さえも失った残党でしかない……はずです。それが本能である動物的振る舞いを抑え、繁殖だけに徹するなど……不自然です」
『……ゴブリンは知能が低い。たとえ魔族の間であっても上下関係を理解することなどできん。となれば可能性は――』
「――――生きているかもしれない」
エクターが、知らず拳を握り締める。
「あの、『副族長』と目された二体のゴブリンが……!!」
◆ ◆
戦場の中ほどで、ゴブリンと傭兵の群れは激突した。
「そらそらそらァァァッ!!!」
巨大な斧槍を振り回す筋骨隆々の巨漢が先陣を切り、自分の半分以下の背丈しかないゴブリンを両断。魔力で切れ味を強化された斧槍はまるで稲穂を狩るようにゴブリンを只の肉片と化させていく。
「!…………?」
共にわずかに進軍していたファナは、舞い上がるゴブリンの血と肉片を見上げ――――そしてその場に立ち止まった。
斧槍の傭兵の周囲でも、傭兵達はそれぞれ得意の武器でゴブリンを圧倒。
瞬く間に戦場中間は、傭兵達による戦果の奪い合いの場へと変わっていた。
「思った通りだ、物の数にも入らねえぜ!」
「新兵器でも引っ提げてきてるかと思ったらよォ!」
「学ばねえ奴らだ!」
「ゴブリンにンな知能はねーよ!」
「とっとと蹴散らして進むぜ! 俺らの狙いは――奥でふんぞり返ってる上級魔族共だァッッ!!」
ゴブリンの群れを突き破るようにして、傭兵達の隊列は自然、縦に細長く展開されていく。
左右に逃れたゴブリンの群れなどお構いなしに、傭兵達は突き進む。
故に気付かない。
何処からか放たれた際立って大きな咆哮の意味に。
「!!」
「――この魔波は――」
ヒディルとエクターは咆哮と共に、声の主の魔力の波動――魔波を感じ取る。
しかしそんな魔波への衝撃は、
「――攻撃停止だッ!!!」
戦場中央で突如立ち昇った、濃密な魔破の圧に吹き飛ばされた。
「――あ? 何――」
斧槍の傭兵が、体中に飛び散ったゴブリンの返り血がオレンジ色に発光するのを見て立ち止まる。
そして傭兵達の進軍は、
「お、おい。なんか、ゴブリン共の死体が光り――」
空へと伸びた無数の爆炎に、阻まれた。
「――各部隊、及び後送部隊出陣準備ッ!!」
かなめの御声を用い、ヒディルが叫ぶ。
「戦闘不能に陥った傭兵と接触、転移魔石にて野外治療房へ後送! 一人でも多くの者達を救出するんだ!」
『了解!!』
「各部隊は後送部隊を護衛しつつ進軍、及び敵が使用した魔術の痕跡を伝令に託し持ち帰らせよ! 一刻も早く効果的対処法を見つけるんだ!」
『了解!!』
通信を終えたヒディルの周りがにわかに騒がしくなる。
騎士たちは各所で大声を飛ばしながら、早々と出撃準備を整えていく。
その間にも次々と、戦場にはオレンジの爆炎が立ち昇っていた。
ヒディルは一人、爆心地に目を凝らし――千里眼を走らせる。
(他の魔族によって、爆弾や爆破する魔術が投げ込まれている様子はない。無論ゴブリンに自爆能力など無いし、自爆する魔術を使える知能も無い。とすれば地雷か――)
そしてその目は間もなく捉える。
傭兵達に群がるゴブリン達がその体をオレンジ色に明滅、体を歪に膨張させ――爆発、傭兵諸共に自爆していく姿を。
――ヒディルは。
ファナは、苦い顔で奥歯を噛み締めた。
「……起爆させているのか……同族を……!!!」
「……やはり生きていたか、副族長共……!!」
爆炎立ち昇る戦場へ一人風のように駆けながら、エクターは強い瞳を光らせる。
彼らが、ゴブリンたちの自爆前に聞いた咆哮、感じた魔波。
それは紛れも無く――四年前、騎士たちが相対したゴブリン族の副族長と目されたゴブリンの個体のものだったのだ。
「逃がさん……今度こそ……!!」
満ち満ちた魔力が魔波となり、疾走するエクターの気迫が周囲に可視化する。
その顔に知らず笑みが浮かんでいたことは、彼自身でさえ気付いていなかった。
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