夏カレーとこなつ

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夏カレーとこなつ

真夏のある日。加賀谷史典(かがやふみのり)は勤務中に上司の山村に呼ばれた。 「二週間、休めって…、ことですか」 加賀谷は目の前に座る山村に、思わずそう言ってしまった。山村はその反応が来ることは想定内だといった感じだ。 「先日実施したメンタルケアテストでな、お前の数字がすこぶる悪くてな。本来なら本人には言わないんだが。確かに最近、危なっかしいと感じてたんだ」 机に置いたペットボトルのお茶を一口、飲むと途端に、きつい顔つきになる。 「いいか。これ以上チョンボされたら困るんだ。アタマとカラダを休めてこい。休まないならこのまま一生休みになるぞ」 普段は柔らかな山村だが、たまに凄みを見せる。加賀谷は思わず生唾を飲んだ。  パワハラ紛いのその言葉に反論出来ずにいると、山村は元の顔に戻り、こう言った。 「お前はもっと仕事が出来る奴だと、俺は思ってる。待ってるから実家に帰ってリフレッシュしてこい、加賀谷」 ワハハと笑う山村とは対照的に、加賀谷は苦々しい顔で俯いた。  (今更、体を休めろって言われても) 地元の高校を卒業し、県外の大学に進学後、なんの志もなく入った会社だった。残業は多いし、休みは少ない。パワハラ紛いの言葉はいつものことだ。 それでも何とか数年、食らいついて働いている。上京し、一人暮らしをしている加賀谷は今職を失う訳にはいかないのだ。 実家に帰れと山村は言っていた。しかし、加賀谷はここ数年、ろくに実家に帰っていない。仲が悪いわけではない。頻繁にメールなどで連絡している。ただ地元に帰るのがめんどくさい。特に実家に帰ったからといって楽しみがない。 しかし、今回は休みが二週間もあるのだ。仕方ないか、と加賀谷はため息をつく。スマホを片手に母親にメールをする。二週間ばかり、実家に戻るからと。すると数分後に返ってきた返事は…… 『この日からお父さんとお母さん、海外旅行に行くのよ。だからちょうどよかった。留守番頼むわ』 スマホの画面に向かって、加賀谷は一人部屋の中で『はああ?』と声を上げた。 *** 新幹線で四時間、そのあと電車とバスを乗り継いでようやく加賀谷は実家のある町にたどりついた。町といっても周りは山に囲まれている盆地。田んぼがたくさんの長閑な風景に、盆地特有の蒸し暑さ。 「……あちぃ」 いつも住んでいる街と違う、ムワッとした暑さ。ああ、そういえばこんな暑さだったなと思い出す。 額の汗を拭きながら、バス停から実家まで歩くこと十五分。ようやく実家に着いた。鍵を差し込み、玄関を開けようとした時。 「史典」 後ろから名前を呼ばれて、加賀谷は驚いて振り向いた。視線の先にいたのは黒髪のパーマをかけた男性。一瞬、誰か分からなくて首を傾げた。じっと見てたら、その顔に昔の面影が重なり、ピンときた。 「友也?お前どうしたんだ、その頭と身長」 思い出した彼の名は蓮見友也(はすみともや)。小学生の頃に隣に引っ越してきた彼は、中学生の頃まではかなり背が低かった。そしていつも短髪だったので、今のパーマ姿に驚いたのだ。 「どしたんだって、いつの時代の記憶なんだよ。成長もするし、オシャレもするよ」 笑いながら友也は笑った。友也と最後に会ったのは、高校入学前だろうか。同じ中学校に通ったが高校は別々になった為だ。 「こんな田舎で?」 「こんな田舎で悪かったな。お前の故郷だろ」 蓮見は舌を出しておどけてみせた。加賀谷と蓮見が育ったこの町は過疎地と呼ばれる田舎の集落だ。森と川に囲まれた緑深い町、と言えば聞こえは良いが、若い家族が少なく高齢者ばかり。加賀谷と蓮見が小学生の頃は、在校生は二人だけだった。 「そういえば、おばさん達いないんだろ?良かったら、うちでカレー食べない?」 蓮見がそう誘ってきたので、腹の虫が鳴いていた加賀谷は大きく頷く。 「お前、何でウチの親がいないの知ってんの」 「おばさんから言われたんだよ、留守中に史典が帰ってくるからって」 どうせ自炊しないだろうからなんか食べさせてやってくれってさ、と笑いながら言った。 「もう、何でも筒抜けなんだな」 苦笑いしながら、加賀谷は玄関先に荷物を置き、鍵をかけた。 加賀谷は蓮見が料理上手だと言うことを初めて知った。手作りのカレーには夏野菜がゴロゴロ入っている。ナスにオクラ、パプリカ……見た目にも鮮やかだ。 「このカレー、うまいな」 「そお?少し隠し味を入れただけだよ。ねえ、彼女のカレーより美味しい?」 コップに水を入れながら、いたずらっぽく蓮見が笑う。 「彼女ねえ……半年前に別れたよ」 「へえ、何で?何で?」 「そういうお前は、彼女いないのか?」 「うん。出会いがないからねえ」 こんな田舎だからね、と皮肉たっぷりに言ってくる蓮見。長年、会ってなかったのにあっという間にその時間を飛び越えて笑いあえるのは、きっと蓮見の人当たりが良いのだろうと加賀谷は感心した。 カレーを平らげて、後片付けをしながら蓮見に駅前へ散歩に行かないか、と誘われた。結構景色が変わっているから、と言われて加賀谷は不思議に思う。それは寂れた、と言うことだろうか。 (そんな景色見せてどうするんだ?) 蓮見の意図は分からなかったが、特にやることもないし暇なので一緒に行くことにした。 玄関先で靴を履いていると、横の和室から『ニャア』と猫の鳴き声がした。加賀谷が振り向くとそこにいたのは、少し貫録のある三毛猫。そういえば蓮見の家で昔、猫を飼っていたなと思い出しふと名前が浮かんだ。 「みかん?」 「わー、よく覚えてたね。でも残念、この子は違う子だよ。みかんはだいぶ前に亡くなったんだ。この子はね、こなつ」 名前を呼ばれてこなつは再度鳴いた。蓮見が頭をなでると嬉しそうにしている。 小学六年生の夏休み、加賀谷が拾ってきたのがみかんだった。自分の家で飼うことを咎められ、困っていると蓮見が家に連れて帰ったのだ。暑い日だと思っていたが今の気温のほうが何倍にも暑い。汗だくで遊んでいたあの頃が少し懐かしく蘇ってきた。 「こなつ、ちょっと留守番しててね」 駅前までは、蓮見の車で行った。小回りが利く軽自動車で、かわいらしいブルーの塗装だ。蓮見の身長では少し窮屈そうで、加賀谷は思わず笑ってしまう。 「この車は母さんの車だよ。僕のは車検中なの」 ふくれっ面をして運転する蓮見。駐車場に車を止め、駅前の商店街の方へと歩く。 街路樹から蝉の大合唱が聞こえて、体感温度をさらに上げている。 昔はよく日用品を買いに来ていたなあ、と思いだす。中学生の時にスーパーが出来てから商店街には行かなくなった。その頃からすでに寂れていたから、現在さぞかし寂れているのだろうと覚悟はしていたのだが。 「あれ?」 商店街に入ると確かに寂れてはいるものの、所々に真新しい店舗が点在していた。カフェがあったり、手づくり雑貨屋があったり。居酒屋や、小さなアートギャラリーまである。 どの店舗もきっとオーナーが若いのだろう。木をふんだんに使った店舗はSNSの『写真映え』しそうな感じだ。 「蓮見、ここどうしたの」 「やっぱり知らなかった?今ね、この町は移住者が増えてきているんだよ」 「へえ……」 田舎で若い夫婦が起業し移住しているのが、少し前から流行っているという記事を、加賀谷は雑誌で見たことがある。まさか故郷もそんなことになってるとは。 「友っちーー」 奥から声が聞こえ、その方向に視線をやると、カフェから眼鏡をかけた茶髪の男が手を振って近寄ってきた。 「ああ、ちょうどよかった。久保さんのことでコーヒー、頂こうとしてたんだ」 蓮見はその男性に話しかけた。そして隣の加賀谷を紹介した。 「加賀谷だよ。高校までここに住んでたんだ」 紹介されて一礼した加賀谷を、久保はじっと見た。 「ああ、加賀谷の奥さんの息子さん?似てるねえ!」 ギョッとしたのは加賀谷だ。久保は人懐っこい笑顔を加賀谷に見せた。うちの自慢のコーヒー、飲んで行ってよとカフェへ案内してくれた。 ブルーとグレーで統一されたインテリアに、観葉植物が所狭しと並んでいる。それでいて窮屈さが出ないのはきっとインテリアの配置のセンスがいいのだろう。 手にしたコーヒーカップもオリジナルのマークが作られていた。 「俺がやったんだよ。デザインで食ってるから」 「へーー」 コーヒーを飲みながら、加賀谷は感心した。こんな田舎にいながら本格的なコーヒーを飲めたことに。そして久保の手腕に。 「向かいの雑貨屋の達ちゃんは本業はカゴ作家。向こうの日本茶屋のとっさんは、普段は大工さんだよ」 久保と蓮見が話しているのを聴きながら、すごいなと思いつつ、ふと自分の仕事のことを思い出した加賀谷。きっとここの移住者たちは自分より歳下だ。それなのに、自分の道を見つけて歩んでいる。それに比べて自分はとりあえず入った会社で惰性で働いて、挙句に上司から休めと言われる始末。 気づかないうちに小さくため息をついた加賀谷を見て、少しだけ蓮見の顔が曇った。 それからというもの、加賀谷は日中に駅前のこの商店街に足を運ぶようになった。蓮見と一緒に出向く時もあれば、一人で行くこともある。自宅の父親のセダンを使って出向いた。久保のカフェもお気に入りだが、いちばんのお気に入りはいちばん奥にある、オーナーの気に入った本が壁一面にあるカフェ。洋書から小説まで色々あって退屈しないのだ。 蓮見が仕事している間、ここで本を読むのに没頭しすぎて、蓮見が迎えにきたこともあった。 「もーー、晩御飯冷めるじゃんか」 ブツブツ文句をいう蓮見に加賀谷が謝り通したのは一、二回だけではなかった。 ある日いつも通りに本を読んでいたら、後ろから久保に話しかけられた。 「ああ、久保さん。こちらに来ることもあるんですね」 「オーナーの南田は俺の後輩だからね。たまに遊びに来てる」 先輩が後輩の所に来るなんて、と加賀谷は苦笑した。二人で本を読みながらコーヒーを飲む。数分した時、久保がふと話始める。 「そういえばさ、ここがいいとこだって評判になったのはさ、友っちがキッカケって知ってた?」 「そうなの?」 「うん。あいつ、ボランティアで地域おこしみたいなのやってたんだよ。その時にSNS駆使してさ」 「へえ……地元想いなんだな」 「なんでも、初恋の幼馴染みがここを出て行ってさ。いつか帰ってきた時に寂れた町だとがっかりするからって。かがっちも知ってる子かなあ?」 『かがっち』と言われて面食らったが、もっと面食らったのは『初恋の幼馴染み』という言葉だ。 なぜなら蓮見にとっての幼馴染みは加賀谷しかいないはずだ。あの頃、子供は同じ地区に二人しかいなかったのだから。 その日の夜、少しだけ蓮見を意識して見ていたが、そんなそぶりは全くなくいつもの通りだ。もしかしたら久保の勘違いかもしれない。だけどもし本当に『初恋の幼馴染み』だったとしても、この関係を崩したくない、と加賀谷は感じていた。 もし蓮見が自分に気持ちを言うつもりがないのであれば、こちらも知らないふりをしよう、と加賀谷は決意した。 長く感じていた二週間は、過ごしてみるとあっという間だった。 蓮見の家で食べる最後の晩御飯は、鶏の南蛮漬け。これで美味しい料理も食べられなくなるのかあ、と加賀谷がいうと、蓮見は真っ赤になっていた。 「なあ、庭で花火やらないか?」 食後に加賀谷がそう言うと、蓮見は嬉しそうに笑った。 バケツに水を入れて横に置いておき、買ってきた花火にライターで火をつけようとしたとき、こなつが縁側から庭に降りてきた。 「ああ、こなつ。そっちいっちゃダメだよ」 こなつを抱きかかえて蓮見は縁側へと逃がしてやる。ニャア、と抗議の声を出していたがやがて家の中へと入っていった。 火花が赤く飛び散って、サアアと音を立てながら輝く。手で持つタイプの花火なんて何年振りだろうか。花火を見ながら話をしているうちに、こんなことを蓮見が言い始めた。 「加賀谷さあ、仕事、きついんじゃないの?おばさんに聞いたんだけど」 「……ん?ああ今回の休みのこと?」 手元の花火が消えたので、加賀谷は線香花火に火をつける。 「うん。なんか、大変そうだからさ。……辛いなら、帰ってきたらいいのに」 ポツリと小さな声で呟いた蓮見。こいつが後ろ向きなことを言うのは珍しいなと、加賀谷は少し驚いたがすぐ笑顔になる。 「確かに辛かったよ。いつも今日はついてないなって。いいことがあったとしてもそれがなんだ、って卑屈になってた。でもお前や久保さんたちと出会ってさ、なんか元気もらえたんだ」 会社を辞めてこっちに戻って来ることも、全く考えなかったわけではない。ただ、それはなんだか逃げたようで、悔しい。もう少し、頑張ってみよう。そう加賀谷は前向きな気持ちにいつの間にかなっていた。 「だから、俺は向こうで頑張るよ。ああ、だけど、今度からは頻繁に帰るようにするよ。お前の料理も食いたいしな」 ジジ、と音がして線香花火の先端が膨らみ、ポトリと落ちた。 いつの間にか蝉は鳴かなくなっていた。 *** 二週間振りに出勤したのち、数日後に山村に呼ばれた。 「リフレッシュできたようだな。以前より目つきが違うし、仕事にも反映されてるぞ」 「ありがとうございます」 まさか直接、そんな褒め言葉がもらえるとは思っていなかったので、加賀谷は驚いた。山村はふっと口元を緩めながらこう言う。 「俺もな、お前と同じような体験があったんだ。その時の上司が、休みをくれてな。あれがなかったら俺はとうに仕事辞めてたかもしれん」 「そうなんですか……」 「まあ、もう次はこんな休み無いからな。心して働けよ」 ワハハと笑う山村に、加賀谷もつられて笑った。 気がつくと季節は秋になっていた。緑が眩しかった木々もだんだんと茶色い景色となっている。 久保のカフェでコーヒーを飲んでいた蓮見のスマホにメールが入る。それは加賀谷からだった。来月の頭に二泊三日で帰って来るという。 『あの時作ってくれたカレーに負けないようなカレーを作ってやるから、楽しみにしておけよ』と付け加えられていたので、蓮見は思わず笑う。 「なになに、かがっちから連絡?」 後ろにいた久保に突然声をかけられて、驚く。急に声かけないでよ、と非難の声を上げるが全く久保は聞いていない。 「そうそう、かがっちにさ、友っちの初恋の話したんだよ」 「へ?」 「初恋の幼馴染みがいつか帰って来る時のために、友っちが地域おこしボランティアしてたって話。かがっちはその子、知らないみたいだった」 その言葉を聞いて、大きく目を見開く蓮見。幼馴染みは加賀谷しかいない。その本人によりにもよって、そんな話をしてしまうなんて。 (もしかして、バレちゃった……?) どんどん顔が赤くなってきているのがわかる。来月、加賀谷が戻ってきたときにどんな顔して迎えればいいんだろう、と蓮見は頭を抱えた。 (まあ、でも……いっか) 料理を作れるほど、加賀谷が元気になっているのなら、それで自分は幸せなのだ。この気持ちがもしバレていたとしても…… (それはそれで、押してみようかな) 久保の話を聞いても加賀谷は、蓮見に態度を変えることなく接してくれて、まだ一緒にいてくれようとしている。少なくとも自分を嫌っていないはずだ。 口元を少し緩めた蓮見に、久保が不思議そうな顔を見せた。 来年も再来年も、夏野菜入りのカレーを食べて、こなつと遊んで、庭で花火をしよう。 了
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