恋する幽霊バンド

2/17
1人が本棚に入れています
本棚に追加
/17ページ
 歌おうとすれば歌えるし、そばに楽器があればそれを弾くこともできる。生きてるときにできたことは幽霊になった今でも一通りできると知って、じゃあ生きてる意味はねえのかって思ったけど、道行く人はおれがここにいることに全然気づかない。  でもたまにすごい顔でギョッとされることもある。たぶんその人は霊感が特別強いのだろう。大多数の人たちはおれの存在に気づかない。やはりおれはもう死んでいる。歌えたって楽器が弾けたって、その事実だけは今さらどうしようもない。  でもいろいろ実験して分かったことがある。おれが意識して自分の姿を見せようとすれば、霊感がない一般人にもおれの姿が見えるようなのだ。まあ今のところ一般人におれの姿を見せなければならない場面に遭遇したことがないから、実験以外でそれを試したことは一度もない。  おれはその日、久々に〈素敵な音〉を聞いた。この街に来たのは偶然じゃない。おれを殺したヤクザは如月組の組員だった。如月組は大阪が本拠地だが、数年前に東京にも進出してきた。主に、法外な金利を取る闇金で収益を上げている。まあ、おれもその客の一人だったわけだが。  最近、如月組の組長の一人娘が死んだと耳にした。幽霊になって静岡県の東の片隅にある袖野とかいう聞いたことない小さな街に滞在してるそうだ。如月組の末端の組員がおれを殺したことに対して一言文句を言ってやりたくて、おれは袖野の街へ旅に出た。  なんでおれを殺したヤクザ本人や如月組の組長に文句を言わないか、だって? そんなの恐ろしいからに決まってるだろ。おれは紳士ではないが、かといって野蛮人でもない。口喧嘩はしょっちゅうだったけど、殴り合いなんて子供のとき以来やったことがない。  暴力では何も解決しない。おれはおれの作った曲で世界を平和にする。おれの曲にはそれだけの力がある。  〈松島〉という表札のかかる家が目の前にある。ここだ! 如月組組長の一人娘といっしょに暮らしてるのは生きてるのも死んでるのもいるが女ばかりらしい。おまえの父親のせいでおれは殺されてしまったんだ、とさんざん難癖をつけた挙げ句ここをおれのハーレムにして居座ってやろう、というのがおれの魂胆だ。従順で美人な女幽霊たちを奴隷にして、なんでも言うことを聞かせて、たまに曲を書いて、おもしろおかしく暮らしてやるんだ。そんな情景を想像するだけで胸が踊った。  幽霊だから家に入るのに了解なんか取らない。勝手にすっとドアを通り抜けて家の中に侵入する。階段を上がる途中、ピアノの音が聞こえだした。誰かが二階で弾いている。弾いているといってもピアノを弾いてるわけじゃない。おれくらい音楽を極めれば一秒聞いただけで分かる。これはポータブルキーボードを鳴らしたときに出る電子音だ。ただしキーボードといってもライブハウスでの演奏にも耐えられそうな88鍵の本格的なキーボード。弾いている曲はどうでもいいクラシック。おれはロック以外のジャンルを音楽とは認めてないが、なぜかそれにソウルを感じた。音自体は静かなのに、それはおれの心の琴線にびんびん響いた。弾いているやつの顔が見たいと思った。  話し声が聞こえる。二階にいるのは一人ではない。何人いても関係ない。全員おれの奴隷になるんだから。  「牡丹さん、そのキーボードどうしたんですか? カツアゲでもしたんですか?」  「そんな野蛮な真似はするもんか。さっきケンカした不良が持っていた。命とキーボード、どちらを私にくれるのかと聞いたら、笑顔でキーボードを差し出してきた」  「笑顔ねえ……」  「それにしても、うまいっすね」  「一応お嬢様育ちだからな。ピアノもバイオリンもやらされた。好きなのはギターだったが」  「ピアノか。あたしもお嬢様育ちだから教わってた。まあ、あたしの場合、実はお嬢様なんかじゃなかったんだけどさ」  「あたしはベースなら弾ける。ユリウスに教わったんだ」  「みんなすごい。あたし弾ける楽器なんてないよ。歌うのは好きだったけどさ」  会話しながらもピアノの音は続いている。なかなかうまい。もちろん、おれほどではないが。  階段を上りきって、ピアノの音のする部屋の前に立つ。若い女たちの笑い声。久々に豪華なごちそうにありつけそうだ。食欲のついでに久々に性欲の方も処理させてもらうとするか。おれは迷わず天国へのドアを開けたが、それは実は地獄への扉だった。入ったら最後二度と出られない本物の地獄への扉だった――。
/17ページ

最初のコメントを投稿しよう!