1章-3 初めての…

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「あの……、うちの蒼はどこに…?」  パーティ会場となったホールと同じ階にある控え室に呼ばれた蒼の両親と雅は、ソファに座り、目の前に居る東郷と秘書の成宮涼と向かい合っている。 「こちらが伺っていた話によりますと、ご子息は今年の春も病院での検査にて性別不明と言われたとありますが…間違いないですか?」  秘書の涼が、10.2インチのタブレット端末に目を落として質問する。 「…はい。大学進学のこともあるので、夏休みにもう1度詳しく検査を受ける予定ではいますが……」  母親がおずおずと答える。  東郷はソファにもたれるように座り、腕を組んで微動だにしない。  その姿が威圧的に見えて、両親と雅はより一層不安になる。  なんてことはない、先程までの蒼の姿が頭の中をぐるぐると巡っているのと、抑制剤の副作用で頭が重いというだけのことなのだが、そんな事情は目の前に居る蒼の両親と妹にはわからなかった。  ただ、蒼に何かあって、今日のパーティの主催者である東郷一馬に別室へ通されたとしか…。  そんな東郷の姿に、涼は溜息をつき、話を続ける。 「急な話で驚かれるとは思いますが…。蒼様は先程、ヒートを起こされました」  蒼の両親は青ざめて固まる。  雅は息を飲んで、大きな瞳をさらに大きく見開いた。   「抑制剤を飲んで、このホテルの最上階の部屋で休んでおられます。ご学友の北山乃亜様と、うちのΩの部下が付き添っています」 「蒼がヒート?!そんな!うちの子がΩだというのですか?!」  母親は、肩を震わせ今にも気を失いそうな顔になる。。 「…!…申し訳ありません。大変なご迷惑をお掛けし…」  父親も震えながら頭を下げる。  知らなかったとはいえ、息子の突然のヒートで東郷家のパーティを混乱させるところだったのだ。怒りを買っても何も言えない状況に変わりはない。  α家系の緑川家に生まれた優秀な子。αに間違いない。  そう信じてきたのに、まさかのΩ。  しかも、家格が上の、財閥のトップという雲の上の存在が主催するパーティを危うく台無しにするところだった責任は逃れられない…という恐怖。  蒼がまさか! 「北山様のおかげで混乱は避けられました。突然のヒートにも関わらず蒼様がご無事で、何よりではございませんか?」  放っておくと土下座までしかねない両親に顔を上げるよう、涼は促す。 「当家の掛かり付け医も南川先生ですので、明日、診ていただけるように連絡を取りました。こちらで責任を持って病院を受診後、お自宅までお送りいたします」  涼は淡々と説明を続ける。 「病院への付き添いはご両親に…と言いたいところではありますが、緑川様のご家族は、皆様αだと聞いております。大抵のΩのお子さんは初めて発情期を迎える前に小学校や中学校での検査で判定されるため、家族がαであっても来るべき時に備えて準備ができます。しかし、蒼様の場合はそうではない。…今後のことは、明日、改めてご自宅へ伺った時にでも話をしたいと考えておりますがよろしいでしょうか?」  両親は項垂(うなだ)れならが頷くが、何を言われているのか、ほとんど頭に入らない。  対照的に雅は東郷を真っ直ぐに見つめていた。 「パーティの中盤あたりから…」  言葉が出ない両親の代わりに、雅が口を開ける。 「兄から甘い匂いがしていました。初めはどこのΩに付けられたんだろう?って思ったのですが、あの匂いは兄のもの…」  東郷も真っ直ぐに雅を見つめ返す。 「あなたから兄の匂いがするのはなぜですか?」  αとαの気迫がぶつかり合う。  部屋の空気が凍る。 「…運命だった?だから、あなたに出逢ってしまった兄は突然、Ωとして目覚めてしまった。急なヒートの原因は……東郷一馬様、あなたですよね?」  雅は東郷を睨みつける。  今まで、この最上級αであり東郷家の当主でもある東郷一馬を睨みつけてくる高校生がいただろうか?グループ会社の役職に付いているαでさえ、東郷の気迫に恐れをなして目を反らせるというのに。 ――いい()だな。  兄に負けず劣らずの存在であることを感じる妹に、誤魔化しはきかないと思わせる眼差し。 「君の言う通り。お兄さんのヒートの原因は私だ」  ようやく東郷が口を開けた。 「兄を番にしたんですか?」  雅の声は低く冷たく、冷静だった。ここで感情的になってはいけない、と、普段の冷静で物静かなアオ兄の姿を思い浮かべる。  誰よりも優しく、聡明で、みんなから慕われ、控え目な性格だからこそ側にいて心地いいと思わせてくれる、雅にとって自慢の兄。 ――アオ兄が獲られる!  αとしての力の違いなど、勝負にすらならないことはわかっている。  でも、このまま兄が東郷に奪われるなんて納得がいかない。  それが運命だとしても。 「…番にはしない」  東郷の視線が緩む。  予想していなかった言葉に、雅も気を緩める。 「…今のところは」 「でも、いずれは番にすると?」 「…彼が望むなら。選択権はリスクを背負うΩ側にある。賢い君なら番を持とうとした時にわかるよ。安易に咬むことはできない」    東郷一馬と秘書の成宮涼に見送られて、蒼の両親と雅がホテルを去ったのはパーティがまもなく終わることだった。  力のあるαが、希少種であるΩを何人も囲っていたのは昔の話。  だが、古い家柄や、大きい財閥の一族ともなると、未だにΩを愛人にしていたり、妻であっても自由を奪っている話は聞く。  車の中から、流れる街のライトを見ながら、兄の行く末を心配する雅。  東郷家の籠に入れられてしまったのか?  蒼はどこまでも飛べる自由な鳥だったはず……。  『安易に咬むことはできない…。』  東郷が言っていた言葉を頭の中で反芻する。 ――アオ兄は自由なまま、ということ?じゃぁ…自由でいられるなら、東郷一馬に守られている方が安全?  いやいや…と雅は思考を巡らせる。  隣で、ただ、メソメソと泣き続ける母のすすり声が鬱陶しかった。  泣いても仕方がない。  これから蒼をどうやって守っていくか?  その方が重要だということを、両親はわかっているのだろうか?  雅はアクアブルーのクリスタルビーズで飾られた小さなバッグのがま口を開け、中からPTPシートに包まれた錠剤を1粒出すと、水もないのに口に入れ、奥歯でかみ砕く。  ローマンカモミールのような、リンゴのような甘い香りが、いつまでも鼻の奥に残っていた。
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