1章-4 別れ

4/10
前へ
/260ページ
次へ
 蒼は貴良に連れられて南川総合病院系列のバースクリニックへ向かった。  国内最大のバース研究所に併設されたクリニックは、性別の確定診断から出産まで、第二性に関わるあらゆることを扱っている。  特にΩ男性の出産は、女性と体の構造が違うことから、普通の産院では分娩を断られることが多く、ここでの出産を希望するΩは多い。  南川総合病院は四大財閥の一つ、南川財閥が経営する病院だった。  南川財閥は、ウイルス・ショック以前までは、東郷や西園寺、北山よりも小さく、どちらかというと緑川財閥くらいの規模の小さい医療系グループだった。  それが、多くのβが亡くなるという結果になった新型ウイルス大流行の際、治療薬と予防ワクチンを国内で一早く開発製造することに成功したため、一躍医療業界のトップに踊り出たのだ。  財閥系の家柄にはαが多い。その病院ともなればαの医師やスタッフ、研究者も多く、系列の病院でクラスターが発生しなかったこと、新型ウイルスの研究をしやすかったことが要因として考えられる。  また、第二性が世の中に広く知れ渡ると、いち早くバース科や専門クリニックを立ち上げ、ヒート抑制剤に関しては国内シェアの80%がグループの製薬会社で作られている。  Ωのヒート誘発剤も作ったが、その危険性から医療機関でのみの使用が認められ、それ以外の場所では使用禁止。危険ドラッグ扱いである。  医療系の大学・専門学校経営にも乗り出し、同族に限らず広く優秀な人材を集め、その人材を系列の病院や研究所で活躍させる手腕は、国内の財閥の中でも群を抜いている。  東郷一馬が最近、優秀な若者をピックアップするようになったのは、急成長した南川グループの人材登用のやり方に目を付けたからだ。  貴良がクリニックの受付を済ませると、待合室のソファに腰を下ろし、昨夜の出来事を蒼に話し、どこまで覚えているのか聞いてきた。  ハッキリ覚えているのは、東郷と乃亜がダンスをしているところまで。  エレベーターの中で、乃亜が抑制剤を飲ませてくれたことも、部屋へ運んでくれたことも記憶にない。  ベッドの上で誰かに抱きしめられ、何かされた感触は…何となくある。  だが、気が付いたら朝になっていた。    思い出そうとしても、思い出せない。だが、ハッ!として蒼は首の後ろに手をあてた。 ――よかった…咬まれていない…。 「今は同意を得ないで番にすれば、罰せられる時代です。理性を失ったαもですが、わざとヒートを起こしてフェロモンでαを誘惑したΩも、どちらも罰せられますのでお気を付けください。Ωが未成年でαが成人だった場合は、α側が罰せられることがほとんどですが、未成年同士、成人同士の場合は、裁判でΩ側が負けて罰せられることの方が多いです。番にされた上に、責任逃れされて、罰せられたんじゃぁ~たまったもんじゃありませんけどね。蒼様は高校生ですから、あの場で一馬様が咬んだら…一馬様が捕まります」  貴良が最後は真剣な顔で蒼を見つめる。 「…運命、でも?」 「……。運命でも互いの同意は必要です」  貴良は一呼吸置いて、 「一馬様が運命の相手だと、思われますか?」  と、蒼に聞いた。 「東郷さんを見たときに、心臓がドキドキしたんです。握手をしたときに、ものすごく熱く感じた……。あれは、何だったのでしょうか?」  あの時の熱とサンダルウッドのような、ベルガモットのような香りを思い返すように、東郷の手に触れた自分の手を見つめる。 「動悸がして、熱がこみ上げて、鼻の奥でペパーミントのような香りを感じました。その香りをずっと嗅いでいたいと強く思ったのを今でも覚えています」  貴良の視線が宙を舞う。  蒼は貴良の次の言葉を待った。 「私は天王館高校に首席で入学しました。α至上主義の家で、兄はβ、下の弟はαでしたがどうしようもない悪ガキで。親は私がαであることを期待していました。身長もあったし、見た目も成績も良かった。αで間違いないだろうと言われ続けながら、第二性の検査結果はいつまでも不明のまま。なのに、夏休み前の学校祭の時、出逢ってしまったんですよ、運命の番に。否応なしにΩとして目覚めさせられて、ヒートを起こしました」  「ああ、一緒ですね」と、ここで一端話を区切り、蒼の顔を見つめる。  天王館高校。αと優秀なβだけが通える国内トップの偏差値を誇る私立の男子高校。毎年国内最難関のT大に3年生の半分以上が受験し、そのうちの6,7割が合格していくという超進学校だった。  Ωは入学できず、性別不明で入学してもΩと判定されれば即退学。  蒼も天王館高校を受験しようとしたが、受験前の性別判定検査で不明と出たため、万が一を考えてソフィア学園に変更した経緯があった。 「学校は退学、家からはΩは要らないと捨てられ、まぁ…いろんなご縁で東郷家に買われて、今、ここにいます。あ、私もソフィアの卒業生ですよ」  ニコッと笑って話を終える。 「…高校生の時に出逢った運命の相手って…」 「涼です。まぁ…ちゃんと運命の相手と番になったので…、結果オーライってことで」  貴良の視線が再び宙をぼんやりと漂う。何を思い出しているのだろう…?   不安で不安でたまらなかった。その不安を数年前に経験して、運命の相手と結婚し、普通に(?)仕事をしている人が目の前に居る。  自分の気持ちをわかってくれるかもしれない人が目の前に居ることが、今の蒼にとって少し心強かった。 ――僕も家族から捨てられるのだろうか?学校は?これからの生活は? 「Ωと診断が出れば、一馬様が蒼様を緑川家から引き取られることを希望されております」  蒼の心の声が聞こえたかのように、貴良は言った。 「あ、即結婚というわけではございませんのでご安心ください。運命の相手だとわかった以上、他のαに狙われる危険がある状態で放っておくわけにはいきません。一馬様の扶養に入っていただき、今後一切の生活の支援は一馬様がしていくことになるかと思います。その手続きも含めて…成宮が準備しています。午後はご自宅でそのお話になると思いますので、蒼様のお気持ちを少しでも整理しておいていただければと思います。蒼様のご両親は子どもを売り飛ばすことなど、なさらないとは思いますが…ご家族全員αですよね?ご自宅で今まで通り暮らすというのは……かなり危険です」  家から捨てられた、という貴良の言葉は重い。 ――そうだ、自分だってαだと期待をされていた。でも違った。兄も妹もαだ。自分のフェロモンを兄妹か嗅いだら…。  そう考えると、背筋がゾクゾクした。 「学校の方の手続きは、月曜の午後にでも私が行ってまいります。夕方、小田先生はお時間ありそうですかね…?」 ――あ、学校はそのまま通えるのか…。 「月曜は…個別懇談の予定ですが…。あ、僕の懇談の予定の日でした…。夕方空いていると思います」 「では、月曜の朝、欠席の連絡をするので、アポもとっておきます」  貴良がいてくれることがありがたかった。冷静に色々言われると、気持ちが落ち着いてくる。  もし、横に座っているのが貴良ではなく母だったら…。気が動転して、こんなに今後のことをどうするかなんて話は出来なかっただろう。  なぜ、担任の名前まで知っているのかは不思議だったが、パーティ会場で助けられたことは不幸中の幸いと思うことにした。 「…あ……。蒼様とお呼びしてもよろしかったでしょうか…?」  貴良が首を傾げながら、呼び方を確認している姿が面白くて、蒼は笑ってしまう。  照れくさそうに蒼は頷いた。もう既にそう呼んでいるじゃないかと思いつつ。  2歳年上の、大学2年生の兄、悟とは全然タイプの違う兄ができたようで、くすぐったかった。
/260ページ

最初のコメントを投稿しよう!

3251人が本棚に入れています
本棚に追加