1章-4 別れ

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 先に性別判定用の血液をわずかに抜かれ、待合室で待つと、名前を呼ばれる。  診察室に入ると、4月に会った主治医の南川が笑顔で迎え入れてくれた。  南川伊予(みなみかわいよ)。  南川財閥の当主の親戚にあたるという20代半ばの男性。  やわらかい雰囲気はβっぽいがαだ。αらしいαでいたらΩの子が怖がるから、なるべく優しく見えるように心掛けているという…。耳周りや襟足は清潔そうにきちんと刈り上げているが、前髪はふわっと癖っ毛でやや茶色っぽい。  αは美術室にある石膏像のような彫の深いハッキリとした顔立ちの人が多い。南川はいつもニコニコしているので、あまり石膏像っぽさがない。真顔でいたら…石膏像だけど。  この国の18歳以上のαには飛び級が認められている。才能があれば飛び級ができ、南川も飛び級を勧められたがそれをせず、大学を6年、研修医を2年、きっちりこなし、時々南川総合病院の救急外来を手伝いながら、今年の春からバース専門医として、このクリニックの医師をやっていた。  …とは言っても、研修もこのクリニックにいて、研修医時代から蒼を診ているので、かれこれ2年以上の付き合いになる。  「急いで学ぶよりも、ひとつひとつをじっくり深く学んだ方がいい。人間を相手にする仕事なんだから人間性を磨く時間だって必要だし」というのが、南川の言い分だ。 「突然でびっくりしたね。今は落ち着いている?」 「はい…」  蒼が、向かい合うように椅子に座ると南川は4月の段階での検査結果と今回の検査結果を見比べながら話しかける。  蒼から少し離れるように、貴良は立っている。  その姿に南川は気付き、思わず二度見してしまった。 「あれ?貴良ちゃん?なんでいるの?」  東郷からクリニックに予約を入れたことが伝わっていなかったらしく、蒼と緑川の母が来るとばかり思っていた。 「えっ?この予約入れたのって…緑川からじゃなく、東郷から…?」  貴良と蒼の顔を代わる代わる見て、頭の中でしきりに情報処理をすると、 「あぁ………、そういうことですか」  と、1人で納得する。  空いている椅子を貴良に差し出し、 「まぁ、貴良ちゃんも座んなさいよ。一馬君のお使いなんでしょ」  と、椅子の座面をポンポンと叩いた。 「あ、僕ね、東郷一馬の幼馴染。1つ歳上だけどね」  貴良が椅子に座るまでの間に、蒼に東郷との関係を話す。  状況を納得した途端に南川がフランクになった。  「本当に見つけちゃったのね~」とブツブツ言いながら、何やら紙にサインをしている。  そして、蒼に向き直る。 「さて、性別ですが。もうわかっていると思うけど…Ωです」  診断書の用紙を蒼に差し出す。 「…お母さんたちにも…説明できる?」  蒼は無言で診断書を見つめたまま頷いた。  ここで、驚いたり、泣き崩れる親子は何人も見てきた。  しかし、こんなに静かにΩであることを受け入れようとしている子を見るのは珍しい。 「昨夜のヒートは…市販のお薬飲んだの?」  南川は静かに質問をする。 「…そうらしいです。僕は、何を飲まされたのか記憶にありませんが」  あっ!と貴良が思い出したかのように、飲ませた抑制剤の箱をカバンの中から出した。 「高校生に即効性の強力なヤツを安易にぶち込まないなんて、流石。あれやられたら僕、緊急呼び出しくらってたね~。でも、一馬君は自分に即効性の使ったんでしょ?」  貴良が渡した箱のラベルを見て、成分を確認する。 「使いました」 「ちゃんと1週以上間空けるように言ってね。あれ、連用すると危ないから」 「はい」  南川は大きめの付箋に何やら走り書きをして、パソコンモニターの端に張り付けた。  どうやら東郷の主治医もしているらしく、彼にα用の抑制剤を処方しているのは、この南川先生なのだと蒼は思った。  そして何より、東郷は自分を襲わないために、α用の抑制剤を使ってくれたのだという事を今頃知る。 「ヒートを抑える薬は何種類かあってね、人によっては効かなかったりアレルギー反応を起こすから、判定が出た時点で抑制剤の耐性検査とアレルギー検査を受けてもらっています。ついでにホルモンの数値も調べていい?これは検査用の血液をもう1回採らせてね。あとは…超音波で子宮の状態を確認したいけど…」  南川はカタカタ…とパソコンのキーを打ちながら検査をオーダーしていく。 「子どもが産めるのか産めないのかは、Ω性の人生を大きく左右する。ましてや東郷一馬の運命の番ともなれば、否応なしに後継ぎを産むことを求めれる。一馬君が君の自由にしていいと言っても、周りがそれを許さない環境なのは容易にわかるよね。性別判定が遅かった子って、けっこう生殖能力の発育が悪い子が多くてね。早くにわかっていれば治療できたのに、遅れて取返しのつかないことになった症例もままあるんだよ。必ず受けなきゃいけないものではないから強制はしないけど…僕は受けておいた方がいいと思うよ」  真剣な話なのだろう…トレードマークの笑みを消して、蒼の顔を見つめる。 「運命の番…。先生も、そう思うんですか?」  蒼は真剣な南川の目から、真っ白なドクターコートの中に着ているロイヤルブルーのスクラブに視線を落とした。 「一馬君が、運命も何も感じない相手にわざわざ貴良ちゃんを付き添わせたりなんかしない。君だって運命を感じたんだろう?だから、昨日パーティで出会って、何の前触れもなくヒートを起こした。大抵の子は、初めて発情期を迎える前に、発熱が続いたり、だるくなったり、眠気を強く感じることもある。そんな症状が出たらすぐおいでねって言ってあったよね?でも、そんな前駆症状はなかった…」  いつもはニコニコと明るい南川の真剣な表情に、蒼はただ頷いた。  南川は「突然のヒートだったのに、無事でよかったよ」と、蒼を励ますように微笑みかける。  そして、検査の説明をして、処置室で採血してもらうように言う。  採血の結果は1時間後。  その前に超音波検査をするから、検査室の前で待つように言われる。  検査室の前で椅子に座って呼ばれるのを待ちながら、蒼は『男 第二性:Ω』と書かれた診断書をじーっと見つめた。 「お預かりしてもよろしいですか?」  貴良がそっと診断書に手を伸ばすと、蒼は無言でうなずいて貴良にその紙を渡した。  眺めていたら、涙が出そうだった。天井を見上げて、瞬きをすると、鼻の奥にツーッと流れるものを感じた。 ――ここでなんて、泣かない。  検査室へは1人で行くと言って、蒼は貴良をドアの外で待たせた。  貴良は心配そうに蒼を気遣うが、頑なに拒まれては無理に入ることもできない。  スマホの画面を見ながら、1人、廊下の椅子に座っていると、どうしても高校1年の夏を思い出してしまう。 ――ちょうど、同じような季節だったな…。  家の使用人に病院へ連れられ、1人で検査を受けて、1人で結果を聞いて、涙をこらえたあの時…。  思い出したくないのに、記憶の奥へと封じることもできない記憶…。  スマホの画面は涼とのメッセージのやり取りを表示していた。 『今、病院』 『こっちは情報収集中』 『一馬は、来ないの?』 『ごめん(>人<)頼む!って』 『バカ、って言っておいて』 『了解』
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