1章-4 別れ

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 貴良が連絡を取り合っていたのか、緑川邸に着くと丁度よいタイミングで東郷と涼も着いたところだった。  梅雨明けのアスファルトから立ち昇るムワッとした暑さを感じないのか、紺色のピンストライプ柄の三つ揃いスーツをきちんと着こなしている東郷が、黒塗りの車の後部座席から出て来る。  パーティ会場で会った時と同じ、威圧感のある雰囲気と鋭い眼差し。  蒼を見つけ、 「疲れたか?」  と、声を掛けてくる。乃亜と踊っていた時に見せた柔らかい、優しい眼差しに変わる。 「だ…大丈夫です」  他にも言いたいことはたくさんあった。昨日からどれだけ迷惑を掛けているのだろうか?自分の部下を付き添わせ、何もかも面倒を見てもらっている…。なのに、今言えるのはそれがやっとだった。  心臓の鼓動が高鳴り、視線を合わせなられない。口を開ければ心臓が出てきてしまいそうだ。  緑川邸の応接室で、東郷と涼がソファに座る。ソファの横に貴良が立って控えている。  向かい合う位置に蒼と両親が座り、その後ろに妹の雅と、兄の悟が立っていた。  空気が重い…。  貴良がカバンの中から診断書を取り出し、両親の前に置く。  家族全員の表情が曇る中、母は 「ウソよ…」  と、声を詰まらせ、顔を覆って泣き始めた。  蒼はそっと顔を反らせる。 「緑川様としては、今後、蒼様をどのようになさいますか?」  涼が、淡々と話を始める。 「どのようにも何も…」  父が口籠る。息子が突然Ωだと言われ、一晩経っても全く心の整理も何もついていない。しかも、抑制剤が効いているため、昨日までの蒼と変わりない姿が、隣にあるというのに…。 「高校3年生ということは、そろそろ進路も決めなければなりません。進学や就職はどのようにお考えでしたでしょうか?」  ソフィア学園に通うΩは、高校を卒業すると家が決めた相手と結婚していく者が多い。偏差値のさほど高くない大学へ進学する者もいるが、将来的にはαへ嫁ぐ。それが良家のΩの進路であり、厳しい受験戦争を勝ち抜いて、やりたい仕事をして活躍する、ということはあまり考えない。嫁ぎ先で困らない程度の教養を身に付けようと、残りの高校生生活を過ごす。  だが、蒼は学年トップの優等生。どこの大学も狙えると言われている…。 「大学に行きたいと言っているので、行かせようとは思っていますが…。でも…」  「でも、Ωなら、行ってもしょうがない」と言われるのではないかと思い、蒼は肩をこわばらせて、膝の上で(こぶし)を握りしめた。 ――もう、父さんは僕に期待をしてくれない…。 「こちらとしましては、蒼様を東郷家でお預かりし、希望する道に進ませてあげたいと考えております」  両親の息を飲む音が聞こえた気がした。 「当家にはΩの使用人もいるので、発情期中でも面倒を見ることができますし、隔離しておける部屋もありますので安全にお過ごしいただけます。蒼様には、お年頃のお兄様と妹様がいらっしゃる。このままこの家に居るのは、お互い望ましい環境でないことはご理解いただけるかと…」 「そっ…それは、蒼を嫁に欲しいということですか?それとも…」  「愛人として囲いたいということですか?」と父は言いかけて、言葉を飲み込んだ。 「今すぐに、と言うことではありません。東郷家に嫁ぐも嫁がないも、時期が来た時に蒼様がご自身で決めることかと。進学も、就職も、結婚相手も、蒼様の希望する通りで構いません。蒼様のこれまでの成績は非常に優秀なものがあります。αが多く在籍するソフィア学園で、その学生たちを押さえて成績は常に学年トップ、生徒会長も務め、人望の厚さは歴代の生徒会長とは比べものになりません。我が東郷グループとしては、そのような人材を、Ωだから、と言う理由だけで潰してしまうには忍びないのです」  『番にするΩ』が欲しいのではなく、『緑川蒼』が欲しいのだということを説明しているのだが、α至上主義で育ってきた両親は理解ができていないようだった。 「タダで…とは言いません」  涼の目が鋭くなる。 「近年、緑川グループの財務状況はよくありませんね。廃村再開発事業失敗の影響が関連会社に波及している状態。もし、よろしければ東郷グループから支援させていただくことも可能ですが…?」  両親は青ざめながら涼の顔を見つめる。そこまで調べられているとは思ってもいなかった。  緑川財閥は、ウイルス・ショック以前から不動産関連の事業で財を成してきた財閥だった。  急激な人口減少、都市郊外の縮小化などで、厳しいなりにも経営を続けてきた。しかし、近年、大きな事業の失敗によって苦しくなっていたのは確かだ。  子どもたち3人にとっては寝耳に水だった。両親の会社がそんなことになっているとは全く知らずにいたのだ。 ――あれ?僕は会社のために売られるの?  どんどん家には居られない状況になっていくことに、蒼は焦りを感じる。  さらに追い打ちをかけるように、涼は話す。 「お父様、お母様は共にαでいらっしゃいますよね。そして、お二人のご両親…つまり、祖父母もα。悟様と、雅様もα…。これだけαが揃った家族の中で、蒼様だけがΩ…。なかなか稀な状況ではあります。しかも、α同士では子どもが授かりにくいと言われているのに、蒼様は3人兄弟…」  そこまで言って蒼の母親に視線を向けると、涼は言い淀んだ。
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