1章-4 別れ

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「ごめんなさい!私が悪いんです!!私が…私が……」  母が突然、顔を覆って声を上げて泣き始めた。 「母さん、その話は私たちが墓場まで持って行く約束だっただろう!」  父が母の肩を抱いて、それ以上言わないように止めるが…、 「いいんです!!初めからこの子は緑川に居てはいけない子だったんです!!」  と、叫ぶ。 ――どういうこと? 「蒼がΩに生まれたのは、私がΩの男の人と浮気をしたから。蒼はその人が産んだ子なのよ」  応接室の空気が氷付く。  悟がまだ1歳の時だった。悟を人に預けられるようになったため、1人で出掛けた母は、たまたまヒートを起こしているΩに声を掛けてしまった。そして、その時にその人を番にしてしまったという。  蒼を産んだΩは難産で死亡。母が産んだことにして、緑川の次男として出生届を出し、誰にもバレずにいた…。今まで育ててくれた父とは血の繋がりはなく、兄妹として過ごしてきた悟と雅とは半分だけの繋がり…。  泣きながら叫ぶように母の口から語られたことに、蒼は呆然とする。 「蒼が最近、どんどんあの人に似てくるから怖かった…。Ωだったら出生のことがバレてしまう…。αであって欲しい、このまま誰にも知られたくないって思っていたのに…」  泣き崩れる母とは対照的に、蒼は放心状態で固まっていた。  心臓だけが、バクバクと動き、体が熱い…。    東郷は一晩と半日で、そこまで調べたということなのか…? 「突然のことで気持ちの整理がつかないだろうから…よく考えてみてくれ。決心がついたら、迎えに来る」  ようやく東郷が口を開いた。  それが合図だったかのように、蒼の瞳が決壊し、涙が頬から流れ落ちる。 「ウソだ…ウソでしょ…?なんで僕が…?なんで僕がΩなの?僕は緑川の子じゃないの?父さんの子じゃないの?……僕は、売られてしまうの?αじゃないの?これから…これから僕はどうしたらいいの?」  ソファから立ち上がり、フラフラと背を向けて数歩歩く。 「蒼、お前は俺の弟だよ。どこにも行かせない。誰にもやらない!」  兄の悟が、蒼の肩を抱き寄せた。  その時、蒼の背中にゾクリと悪寒が走る。 ――怖い…!  震える肩から、甘い香りが広がり始める。  蒼が悟を振り払うのと、東郷が蒼を抱き寄せるのと、雅が悟の襟をつかんで二の腕に注射器を刺すのが同時だった。  蒼も悟も、荒く肩で息をしながら汗をかいている。  ショックでヒートを起こした蒼のフェロモンに、すぐ後ろに居た悟が当てられラット状態になっていた。  万が一に備えて、雅がポケットの中にα用の抑制剤が入った自己注射器を持っていた。  雅はそのまま悟を抑え込む。  昨日嗅いだ蒼の匂い。それと同じ匂いを再び吸込んで、自分も欲情し始めているというのに、理性で抑え込む。 「蒼…蒼…、行くな…」  悟は床にうつ伏せの状態で抑え込まれながら、弟の名を呼ぶ。 「連れて行って!この家ではアオ兄を守れない!」  雅の気迫に圧倒される。 「お金はいずれ私がお返しします。兄を会社や家のために売ったとは思いたくない。それまで、アオ兄を傷つけないで!!」  雅は真っ直ぐに東郷を睨みつけた。 「…わかった」  東郷はそれだけ言うと、蒼を抱き上げた。  完全にヒート状態になっている蒼は、東郷の首にしっかりとしがみつく。  東郷家の運転手が運転してきた車に、東郷と蒼と貴良が乗る。  貴良が使っている車は涼が運転して帰る。  後には泣き崩れる母と、抑制剤を打たれて気を失った悟、放心状態の父と、冷静に状況を飲み込もうとしている雅が残された。 「もう少し…納得した状態で連れて帰りたかったが…無理だったな。すまない…」  東郷は蒼をしっかりと抱きしめたまま言うが、理性が飛んでしまっている蒼には伝わらない。  東郷を求めるように首を振っては、唇や首筋に吸い付いていく。  下半身が疼くのか、ずっと足がモジモジと動いて、喘いでいる。 「貴良、抑制剤を使えるのは何時頃になる?」 「19時頃には使えると思います」  抑制剤は過剰摂取にならないよう、1回服用したら8時間空けるように言われた。 「まだ時間があるな……。家に着いたら、ヌイてやってくれ」 「私がですか?!」  はぁ?!と貴良は驚いて助手席から後部座席を振り向いたが、 「俺の理性がもたない」  と、必死な形相の東郷を見て、額を押さえ、「かしこまりました」と言う。  母は蒼がΩじゃなければいいのにと思い続けてきた。かわいくて自慢の息子だった。  それは父も同じだった。  赤ん坊のときから、我が子として育ててきた。血が繋がっていなくても、可愛らしく聡明な蒼を見る度に愛おしさが込み上げて来る。  中学の担任には、天王館高校を勧められた。  しかし、中学校最後の性別検査でも不明と出たため、両親はソフィア学園を受験するように勧めた。  蒼が自分たちの子どもだったら、Ωになる心配などせずに天王館高校を受験させたかもしれない。  だが、2人には「もしも…」と言う気持ちがあった。  高校受験前の「もしも…」と言う気持ちが、まさかこんな形で現実になるとは思ってもみなかった…。    母の目には、蒼を産んで亡くなった相手と、蒼の姿が重なって見える時があった。 「日に日にあの人に似て来る蒼を見ていたら、怖かった…。だからαでいて欲しいって思っていたのに…」  母は、ずっと「自分が悪いのだ。天罰だと」自分を責め続け、寝込んでしまった。  悟は、弟に欲情した自分が信じられず、幼い自分が居たにも関わらずΩに浮気した母が信じられず、部屋に引き籠ってしまう。  緑川家で平常心を保とうとしているのは雅だけだった。 『蒼を今まで育ててきたのは、緑川のご両親だ。落ち着いたら、会って蒼ときちんと話をして欲しい』  東郷からメールが来る。 ――いつの間に連絡先、交換していたかな?  と、思いつつも、これでいい、今は東郷一馬に任せるのがいいんだ…と自分を納得させようとする。  メールの内容から、東郷が無理に蒼を連れ去るつもりがなかったのはわかる。結果として、無理矢理な感じにはなってしまったが…。  雅は蒼の部屋に入り、スーツケースを引っ張り出すと、教科書や参考書類を詰め始めた。 『明日にでも兄の荷物を取りに来てください。とりあえず必要なものを荷造りしておきます』  東郷に返信する。  この家の中で、雅だけが冷静だった。
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