3251人が本棚に入れています
本棚に追加
「ごめんなさい!私が悪いんです!!私が…私が……」
母が突然、顔を覆って声を上げて泣き始めた。
「母さん、その話は私たちが墓場まで持って行く約束だっただろう!」
父が母の肩を抱いて、それ以上言わないように止めるが…、
「いいんです!!初めからこの子は緑川に居てはいけない子だったんです!!」
と、叫ぶ。
――どういうこと?
「蒼がΩに生まれたのは、私がΩの男の人と浮気をしたから。蒼はその人が産んだ子なのよ」
応接室の空気が氷付く。
悟がまだ1歳の時だった。悟を人に預けられるようになったため、1人で出掛けた母は、たまたまヒートを起こしているΩに声を掛けてしまった。そして、その時にその人を番にしてしまったという。
蒼を産んだΩは難産で死亡。母が産んだことにして、緑川の次男として出生届を出し、誰にもバレずにいた…。今まで育ててくれた父とは血の繋がりはなく、兄妹として過ごしてきた悟と雅とは半分だけの繋がり…。
泣きながら叫ぶように母の口から語られたことに、蒼は呆然とする。
「蒼が最近、どんどんあの人に似てくるから怖かった…。Ωだったら出生のことがバレてしまう…。αであって欲しい、このまま誰にも知られたくないって思っていたのに…」
泣き崩れる母とは対照的に、蒼は放心状態で固まっていた。
心臓だけが、バクバクと動き、体が熱い…。
東郷は一晩と半日で、そこまで調べたということなのか…?
「突然のことで気持ちの整理がつかないだろうから…よく考えてみてくれ。決心がついたら、迎えに来る」
ようやく東郷が口を開いた。
それが合図だったかのように、蒼の瞳が決壊し、涙が頬から流れ落ちる。
「ウソだ…ウソでしょ…?なんで僕が…?なんで僕がΩなの?僕は緑川の子じゃないの?父さんの子じゃないの?……僕は、売られてしまうの?αじゃないの?これから…これから僕はどうしたらいいの?」
ソファから立ち上がり、フラフラと背を向けて数歩歩く。
「蒼、お前は俺の弟だよ。どこにも行かせない。誰にもやらない!」
兄の悟が、蒼の肩を抱き寄せた。
その時、蒼の背中にゾクリと悪寒が走る。
――怖い…!
震える肩から、甘い香りが広がり始める。
蒼が悟を振り払うのと、東郷が蒼を抱き寄せるのと、雅が悟の襟をつかんで二の腕に注射器を刺すのが同時だった。
蒼も悟も、荒く肩で息をしながら汗をかいている。
ショックでヒートを起こした蒼のフェロモンに、すぐ後ろに居た悟が当てられラット状態になっていた。
万が一に備えて、雅がポケットの中にα用の抑制剤が入った自己注射器を持っていた。
雅はそのまま悟を抑え込む。
昨日嗅いだ蒼の匂い。それと同じ匂いを再び吸込んで、自分も欲情し始めているというのに、理性で抑え込む。
「蒼…蒼…、行くな…」
悟は床にうつ伏せの状態で抑え込まれながら、弟の名を呼ぶ。
「連れて行って!この家ではアオ兄を守れない!」
雅の気迫に圧倒される。
「お金はいずれ私がお返しします。兄を会社や家のために売ったとは思いたくない。それまで、アオ兄を傷つけないで!!」
雅は真っ直ぐに東郷を睨みつけた。
「…わかった」
東郷はそれだけ言うと、蒼を抱き上げた。
完全にヒート状態になっている蒼は、東郷の首にしっかりとしがみつく。
東郷家の運転手が運転してきた車に、東郷と蒼と貴良が乗る。
貴良が使っている車は涼が運転して帰る。
後には泣き崩れる母と、抑制剤を打たれて気を失った悟、放心状態の父と、冷静に状況を飲み込もうとしている雅が残された。
「もう少し…納得した状態で連れて帰りたかったが…無理だったな。すまない…」
東郷は蒼をしっかりと抱きしめたまま言うが、理性が飛んでしまっている蒼には伝わらない。
東郷を求めるように首を振っては、唇や首筋に吸い付いていく。
下半身が疼くのか、ずっと足がモジモジと動いて、喘いでいる。
「貴良、抑制剤を使えるのは何時頃になる?」
「19時頃には使えると思います」
抑制剤は過剰摂取にならないよう、1回服用したら8時間空けるように言われた。
「まだ時間があるな……。家に着いたら、ヌイてやってくれ」
「私がですか?!」
はぁ?!と貴良は驚いて助手席から後部座席を振り向いたが、
「俺の理性がもたない」
と、必死な形相の東郷を見て、額を押さえ、「かしこまりました」と言う。
母は蒼がΩじゃなければいいのにと思い続けてきた。かわいくて自慢の息子だった。
それは父も同じだった。
赤ん坊のときから、我が子として育ててきた。血が繋がっていなくても、可愛らしく聡明な蒼を見る度に愛おしさが込み上げて来る。
中学の担任には、天王館高校を勧められた。
しかし、中学校最後の性別検査でも不明と出たため、両親はソフィア学園を受験するように勧めた。
蒼が自分たちの子どもだったら、Ωになる心配などせずに天王館高校を受験させたかもしれない。
だが、2人には「もしも…」と言う気持ちがあった。
高校受験前の「もしも…」と言う気持ちが、まさかこんな形で現実になるとは思ってもみなかった…。
母の目には、蒼を産んで亡くなった相手と、蒼の姿が重なって見える時があった。
「日に日にあの人に似て来る蒼を見ていたら、怖かった…。だからαでいて欲しいって思っていたのに…」
母は、ずっと「自分が悪いのだ。天罰だと」自分を責め続け、寝込んでしまった。
悟は、弟に欲情した自分が信じられず、幼い自分が居たにも関わらずΩに浮気した母が信じられず、部屋に引き籠ってしまう。
緑川家で平常心を保とうとしているのは雅だけだった。
『蒼を今まで育ててきたのは、緑川のご両親だ。落ち着いたら、会って蒼ときちんと話をして欲しい』
東郷からメールが来る。
――いつの間に連絡先、交換していたかな?
と、思いつつも、これでいい、今は東郷一馬に任せるのがいいんだ…と自分を納得させようとする。
メールの内容から、東郷が無理に蒼を連れ去るつもりがなかったのはわかる。結果として、無理矢理な感じにはなってしまったが…。
雅は蒼の部屋に入り、スーツケースを引っ張り出すと、教科書や参考書類を詰め始めた。
『明日にでも兄の荷物を取りに来てください。とりあえず必要なものを荷造りしておきます』
東郷に返信する。
この家の中で、雅だけが冷静だった。
最初のコメントを投稿しよう!