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「…あ、母さん。涼だけど。年末…そっちに顔出すよ」
次太郎の屋敷から帰って来た涼は、貴良がお風呂に入っている隙に自分の母へ電話をしていた。
いつもなら、母の方から掛けて来るついでに、年末年始の話をしていたのだが、今回は自分から掛けた。
「貴良、妊娠したんだ。来年の7月に生まれる予定」
『まぁ~!ホント?!やっと孫の顔が見られるのね!!』
予想通りのキンキンと弾んだ声が、電話越しに涼の耳に突き刺さる。
「そっちに行く頃には悪阻も治まっていると思うけど…泊まらないかも」
対照的に涼の声は低く穏やかだ。
『あらそう…。体調は?ご飯は食べれているの?来るとき、またエビチリ作っておくわよ』
――貴良の好物をいつ教えただろうか…?
涼は実家に貴良を連れて帰る度に、テーブルにエビチリが載っていたことを思い出す。
そう言えば、両親は甘い物を食べないのに、ケーキだのプリンだの、杏仁豆腐だの…貴良の好きな物が用意されていた。
仕事納めの後、家の掃除や買い出しをして、次太郎の家にも顔を出し、2人が涼の実家へと行ったのは大晦日。
結局、強引な母に押し切られるように、1泊して元旦にお雑煮をみんなで食べてから帰ろう、ということになった。
台所で蕎麦を茹でいた貴良に、涼の妹が話し掛けてきた。
齢の離れた涼の妹は今年、全寮制の高校に入学した。天王館高校やソフィア学園ほど偏差値は高くないが、αが多く通い、Ωは入学できないと言われている全寮制の高校だ。
妹も中学校の第二性検査でαと判定されていた。
親には、
「お兄ちゃんみたいに高校生で突然、運命の番に遭遇するのは嫌だ」
と言ったらしいが、本心は、
「αだからって過剰な期待を押し付けられたくないから」
ということで、家を出たかったという。
「寮に入っていると、朝から晩まで勉強勉強なんだけど、それなりに充実しているよ!お友達もできたし」
と、「学校はいかがですか?」という貴良の問いに、イマドキの女子高生といった雰囲気の妹は答える。
お嬢様な雰囲気は全くない。それが貴良の目には新鮮に映る。
「お鍋、噴かないように見ていてもらえますか?私はネギを…」
と、貴良に纏わり付いて話しかけてくる妹に仕事を振り、年越し蕎麦の準備を進めていく。
母は買い物に出掛けていた。
涼は父と2人で、高い所の掃除をしている。身長の高い涼が帰ってきたらやってもらおうと思って、取って置いたという…。
「お母さん、貴良ちゃんに酷い事言ったって、ずっと気に病んでいた。それでも素直に謝れなくて。…ごめんね。お母さんのこと、許さなくてもいいけど、たまにはこうして元気な顔見せて」
噴いてきた鍋に水を差して、妹はそう言った。
謝れない母の代わりに、「ごめん」と伝えるためにさっきからこの子は自分の側に居たのだろうか…?
きっと、この子が産まれたら、そんなこと気にしないで普通の家族になれるかもしれない…。
貴良は鍋を見つめる妹の横顔をチラッと見て、ネギを小口切りにしていく。
酷い事…。ずっと忘れもしない言葉。でも、もう忘れてもいいじゃないか…と貴良は思っていた。
「…何のことでしょう?…来ますよ。それに、孫の顔を見に……来てくれても構わないですし。あ、場所がα特別居住区内になってしまいますので、来る時は連絡をいただかないと入れませんが」
「うわぁ!うっそ?!私も入っていいの?」
妹のテンションが急に上がる。普通のαでも住むことが難しいと言われる、特権階級のαでなければ住めない地域だ。
「住民と一緒であれば、入れます」
「1度入ってみたかったのよ~!」
ミーハーな妹のリアクションが、可愛いなと思ってしまう。
涼の母は、妹に「αなんだから!」という言葉を掛けるのは止めたのであろうか?
「ただいま~。いや~、寒かったぁ!!雪降りそう!涼、暖房の温度上げてくれる?貴良さん、寒かったら言ってよ~」
母が帰ってきた途端、キンキンとよく響く声が聞こえた。
「母さん、コート脱いで、手を洗ってうがいしてから貴良に近づいて」
涼は暖房の設定温度を上げ、慌てて母を玄関に追い返した。
「ああ~もぉ~、はいはい。あ、これ杏仁豆腐。新しくできたお店のでね、美味しいって有名なのよ~」
洗面所に移動しながらもずっと喋っている。
涼が使っていた部屋は、物置部屋と化していたが、涼と貴良が泊るということで、片づけられていた。
涼が使っていたベッドに貴良は横たわり、涼はベッドの下に布団を敷いて横たわる。
「なんか……今までの集大成みたいな1年だったね」
妊夫が寝不足なのはよくない!と言われ、大晦日なのに早くも部屋に追いやられてしまった2人は、横になったまま喋る。
「あれから…パニックも起こさないしな。将恒さんとは連絡を取り合っているのか?」
「…この前、仕事で会ったから、妊娠したことは伝えたけど……別に。西園寺の次男だったことは…あまり知られない方がいいと思うんだ。お父様のためにも、この子のためにも。だからと言って、将恒兄さんを拒否するのも変だし……普通に接する」
「そうか」
貴良が涼を見下ろして言うと、涼は仰向けになり天井を見つめる。
「お義母さんも…、俺に『汚らわしい』って言ったの、気にしていたんだな。もう10年だし、なんか普通に嫁姑だし…もういいやって感じ。子どもが生まれたら、たまには……家に呼んでやれよ」
「…?」
涼は驚いて、顔を貴良の方に向ける。
「孫ができるの、楽しみだったんだろ?」
「嫌じゃないのか?」
「…うん。気にしているのは涼の方だろう?」
αらしいαになることを求められ続け、両親に嫌気が差しても縁を切ることは出来なかった両親…。
「…なんか、今の方が普通に親子やっている感じ。中学高校生の頃はこの家に居るのが息苦しかったな~。父さん達、今はあまり本家の集まりに顔出していないんだって。自分達には自分達にあった生活があるって…。掃除しながら言っていた」
「お母さんも…ずっと謝りたかったけど言い出せなかったって。…許せなかったら許さなくていいって……。確かにあの時はショックだったけど…、別に今はもう…」
貴良は枕の端をモジモジと弄る。
涼は横向きになり頬杖をついて、貴良を見る。
そして、
「そっち行ってもいい?」
と、1人で寝る寂しさを口にした。
「狭いからヤダ」
だが、貴良は断る。
「1人で寝たら寒いじゃん」
「布団からはみ出た方が寒い」
「…」
涼は貴良と一緒に寝ようとしたが諦めた。
確かにシングルベッドに男2人は狭すぎる。
「10年前、涼は無理矢理番にしたって気にしていたけど、ああでもしなかったら踏ん切りも付かなかったし…、手術してΩでいることをやめていたら、こうして涼の赤ちゃんを授かることもなかったんだよね」
涼が諦めて仰向けになると、貴良はポツリと言った。
「Ωでよかった?」
涼は目を閉じ、眠ろうとしながら貴良に問う。
「うん。涼のΩでよかった」
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