1章-5 夢うつつ

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 次の日、昼近くになってようやく蒼は目を覚ました。  昨日、散々泣きはらしたまぶたは腫れ、目の奥がズーンと痛んだ。あんなに泣いた記憶は……ない。  感情を抑えて冷静でいることが、感情をぶつけずに笑顔でいることが、自分のあるべき姿と思い続けてきた。  けれど、そんなことはもう、どうでもいいのかもしれない…。  日曜日だというのに、東郷は居なかった。  代わりに貴良が食事の用意をしたり、薬を飲ませてくれる。  休みのはずだろうに、自分の面倒を見させていることが申し訳なくなってくる。しかも、東郷のマンションに泊まり込んでまで。  仕事としてやっているのなら、相当な残業量で超ブラックな業務ではないか? 「残業手当とボーナスで、一馬様からしっかり頂きます」  と、冗談とも本気ともとれる言葉が返って来る。  朝、貴良の番で夫で、東郷の秘書でもある成宮涼が、貴良の着替えを持って来ていたらしく、半袖のTシャツに黒いスキニーパンツ姿。その服装に黒いエプロンをしている。  昨日までのブラックスーツ姿とはえらい違いだが、家事をするにはその方が都合がいいのであろう。何を着ても様になる。 「日曜日なのに忙しいんですね」  ソファに座り、貴良が皮をむいて切ってくれた桃を食べながら蒼が言う。  昼近くまで寝ていたというのに、昼寝をしてしまい、目が覚めたら夕方だった。  昼寝をしている間に買い出しにでも出ていたのか、買い物バッグの中から長ネギが飛び出している。  桃の甘い果汁が、疲れて渇いた体に染みていくようで、おいしい。 「今回は急でしたので、スケジュールの都合が付かず。次回から番休暇を取ってくださいますよ。スケジュール管理もできないαは要らない、というのが東郷グループの考え方です。我が社に務めている番のいるαは大抵、必要以上の仕事をこなして有休を取っています。そうするように勧めている当の本人が番休暇を取らなかったら、部下に示しが付きません」  と、説明する貴良に蒼は「僕、まだ番ではありません」と素っ気なく言う。 「日向様おすすめの桃、おいしいですね」  貴良が話題を変える。 「?」 「ごとうスーパー、ここから近いんですよ。買い出しに行ったら、野菜コーナーのところにいらっしゃったので、おすすめされて、買っちゃいました」  クラスメイトで友人の五島日向は、スーパーを経営するβの両親の元に生まれたαだ。αなのにαっぽくない彼は、ちょくちょくスーパーの手伝いをするために野菜コーナーの辺りをウロウロしている。 「…何か、話したんですか?」 「桃は今が旬でおいしい…という話しかしていません」 「僕の友達も…調べ上げているんですね」 「…日向様はどちらかというと……乃亜様の情報として上がっていました」 「…ん?」  この人たちは、何の目的で自分たちの事を調べているのだろう?おいしそうに桃をたいらげる貴良の横顔を、蒼は目を瞬かせながら見つめる。  すると、インターフォンが鳴った。  貴良が対応すると、「ちょっと下まで行ってきます」と玄関を出て行った。  蒼はその間に桃を食べてしまい、貴良の使っていた皿も合わせて洗ってしまう。  体が少し慣れたのか、薬が効いているのか、たっぷり寝て落ち着いたのか…、昨日よりは動ける。  ヒート発作中の脱力感は、何とも言えない気持ち悪さがある。体に力が入らない。あんな状態でαに襲われたら…、抵抗できるわけがない。  だから強いαに守られていたいのか…と思うと、頭に浮かぶのは東郷一馬の姿だった。  2メールまで行かなくても、190㎝はあるであろう高い身長から見下ろす、威圧感のある目だけで強いαなのだとわかる。  髪をオールバックにしているため、額や顎のラインがはっきりする。その中に、絶妙なバランスで配置された大きな瞳と鼻筋が長く整った大きな鼻、冷笑を浮かべたような口元。がっしりとした肩に広い背中だが、手足がスラリと長いので、横幅をあまり感じさせない体格。  パーティのときに着ていたテールコートも、昨日の三つ揃いも、オーダーメイドなのであろう。東郷の体にピッタリ合っていて、無駄な余裕もきつさも感じられなかった。  大人になったらああいう雰囲気の男になりたい、という憧れを体現しているような東郷の姿を思い出して、蒼は体の中が熱くなってくるのを感じ、頭を振る。  玄関のドアが開く音がして、「あああああ~~~~!重たい!!」と叫びながら貴良が戻ってきた。  蒼にとって見覚えのあるスーツケースと、ボストンバックを置き、ハンガーに掛けた制服を持っている。 「これは一体、何が入っているんですか?!」  スーツケースを指差して、ムッとしている。 「?」  蒼が開けると、  「あ…教科書と参考書です…。こっちは着替え…」  スーツケースにぎっしりと詰め込まれた教科書や参考書、ノート類が出てくる。これは確かに重たい…。 「一馬様を呼び出して、これを持たせる雅様はなかなかな方ですね」  クローゼットに制服を掛け、ボストンバッグに詰められていた蒼の着替えを片付けながら、貴良が言う。 「これを雅が?」 「兄の必需品だからと昨日、荷造りされたそうですよ。他に必要な物があれば一馬様を呼び出して持たせてくれるそうです」 ――家は今頃どうなっているのだろう? ――なぜ東郷さんはマンションの下まで来たのに、僕に会いに来ないのだろう?  いろいろ言いたいことはあったが、答えが返ってきそうにないので、聞くのを諦めた。  黙って、本棚に教科書類を並べていく。  これで学校を休んでいる間も退屈しなくて済みそうだ…。  雅に「ありがとう」と連絡しようとして、自分のスマホがないことに気付く。
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