1章-5 夢うつつ

9/13
前へ
/260ページ
次へ
 昼過ぎ。  ヒートも起きず、眠くもならず、 「終わったのかな…?」  と、蒼は体温を計り、貴良に話しかける。  貴良は荷造りしたバッグを玄関先に置いてリビングに戻ってきた。 「体温はどうですか?」  昨日までは、お昼を過ぎると37.5度を超え、微熱が続いていたものの、今日は何度計っても36度代にとどまっている。 「終わったようですね」    蒼がタブレットのアプリを開いて自分で体温を記録する。  その姿に、貴良はサラサラの蒼の髪を撫で、頭に頬を寄せて軽く抱きしめた。 「…貴良さん?」 「……辛かったですよね」  慈しむように抱きしめられると、心地よかった。 「これ…慣れるのでしょうか?」  蒼が問うと、貴良の返事には間があった。 「………慣れません。慣れませんが…Ωに生まれた以上、ずーっと付き合っていくしかありません。αの子どもを孕むためにΩが居て、発情期があるのなら、私たちΩはαを利用して生きていけばいいんです。辛くても、1人で抱え込まないで。一馬様は不器用ですが蒼様を大切にしたいと思っています」  貴良には蒼の不安がわかるのだと感じた。 「発情期は成長過程の一つだとか、子どもを作るのに必要なことだとか、恥ずかしいことでも何でもない……と、αやβはキレイ事を言いますが。本音では匂いを振りまいて誘っているだの、淫乱だの…散々なことを言って発情期のあるΩを蔑みます。何を言われたって、発情期を繰り返すたびにパーソナリティを崩壊させられて、αに従順な体に作り変えられていくものだとしか思えない」  貴良の言葉に、やっぱりそうなのか…と気が重くなる。 「それに(あらが)いたかったら、パートナーとよく話し合うことです」  貴良も涼とよく話し合っているのだろう…。  3ヶ月に1度襲ってくる辛い発情期を乗り越えるには、東郷とよくよくコミュニケーションをとれということなのだと蒼は受け止めた。 「αであってもΩを1人の人間としてきちんと向かい合ってくれる人はいます…。私はαが嫌いだし、Ωに見られたくはない。その気持ちを理解してくれるのが涼です」  抱きしめていた腕を離して、蒼の顔を覗きこむと、フフッと笑う。  その笑顔が、カサブランカやシャクヤクのような大輪の花が1輪、ふわっと広がるように咲くようだった。  貴良と蒼が話をしていると、インターフォンが鳴り、玄関のドアが開いた。  東郷が南川を連れて帰宅した。  南川の務めるバースクリックは木曜の午後は休診となる。外来担当の南川は、クリニックが休みになれば、そのまま休みとなる。…時々、南川総合病院の救急外来を手伝うこともあるらしいが。 「こんにちは!体調はどう?」  と蒼に聞いておきながら、 「貴良ちゃーん、ケーキ買ってきたんだ。後でお茶しよう」  と、軽いノリで言って、貴良にケーキの入った箱を渡そうとする。 「これはこれは…ありがとうございます」  と言って、手を出して受け取ったのは東郷の後ろに控えていた涼だった。  貴良はササッと涼の後ろに隠れる。 「南川先生は、なんで貴良さんに嫌われているんですか?」  蒼はストレートに聞いた。  発情期中の様子や、薬の飲み方などを確認するために、蒼の部屋に2人きりになる。東郷達が居ては、相談したくても相談しにくいだろう…と思って、部屋に入ったのに、開口1番に言われたのがその質問だった。 「ははっ!貴良ちゃんは、僕が嫌いなんじゃなくて、αが全員嫌いなの。嫌いって言うか…憎んでいるレベル。涼と一馬だけは許している…って感じかな?」 「…何かあったんですか?」 「貴良ちゃんは自分の事を何て?」 「親に捨てられて、東郷家に買われたって…」 「だけ?」 「あと…天王館高校を退学になったって」 「ふ~ん…。…まっ、僕の口からは言えないかな。世の中にはね~、知らない方がいい世界もあるんだよ」  南川にうまくはぐらかされて、問診に切り替わる。  タブレットで体調管理用アプリを開いて、 「これ首輪か腕輪で自動的に測定すると便利なんだよ~。つけておいてもらうと、ホント助かる」  と言いながら、土曜日から今日までの状態を確認していく。 「抑制剤は大丈夫だった?」  使った抑制剤の数と、残りの数を確認しながら聞く。 「眠くなるくらいで…大丈夫でした。ただ、次の薬が飲める時間までもたなくて…」 「ああ~、弱いからね…」  「飲み方を変えようか?」とブツブツいいながらメモを取っていく。 「こっちは?使わなかったの?」  小さな内用薬袋の中を見て言う。 「…?」  蒼は首を傾げる。 「一応、アフターピルは出しておいたけど?」  蒼は顔を真っ赤にした。 「と…東郷さん、昨日の朝しかここにいなかったから…」  と、答えると南川が驚く。 「発情している番を放っておいてどこ行っていたの?!」  蒼は「まだ番じゃないし」と突っ込もうとしてやめた。 「僕が発情しているのに、αの自分がいたら怖いだろうからって…」  蒼がモジモジ答えると、 「おぉぅ…禁欲生活…」  と南川が引く。 「やっぱり…、こういう時って一緒に居るのが普通…なんですよね?」  耳まで真っ赤にしてモジモジしているということは、何をするかくらいはわかっているのだろう。 「本来は、Ωがαを受け入れて、子どもを作るための期間だからねぇ…。その方が自然だし、抑制剤で抑えるのは不自然っちゃぁ…不自然だから。まぁ……αの本能すら抑え込めちゃうのが一馬君の凄いところでもあるけれど。よっぽど本能に押し流されていくのが嫌なんだろうね…」  聴診器を出して胸の音を聞く。それで一通り診察は終了した。 「どうして欲しいかは、ちゃんと言うんだよ。君をここへ連れてくるのに、かなり強引なことをしたようだけど…基本的にあいつは蒼君が望まないことはしない」  「お茶にしよう」と言われ、蒼の部屋を出た。
/260ページ

最初のコメントを投稿しよう!

3251人が本棚に入れています
本棚に追加