1章-5 夢うつつ

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 東郷と涼はソファに座り、貴良はキッチンでお茶を淹れている。  蒼が貴良を手伝おうとキッチンに向かい、南川は空いているソファに座った。 「どうだ?」  と、東郷は南川に言う。 「うん、終わったね。明日から学校へ行っていいよ」  蒼が南川に紅茶を出す。  その姿を愛おしそうに東郷が眺めているのを見て、南川は、 「なんだ、ちゃんと可愛いと思ってんじゃん」  と、東郷に言った。 「…ん?」 「一馬は、何考えているのかわからなさすぎる」  南川は仕事モードの時は「一馬君」と言うが、プライベートモードになると「一馬」になるんだと、蒼は気付く。  蒼は貴良と一緒にケーキを食べようとダイニングテーブルの席に着こうとして、東郷に呼ばれる。  涼がササっと立ち上がって、蒼の紅茶とケーキを運ぶと、涼が代わりにダイニングテーブルの貴良の隣に座った。  貴良と涼が、互いのチーズケーキとイチゴタルトを味見しながら仲のいい番よろしく食べている。  『いいなぁ…』と蒼は思いながら、フルーツタルトに載ったシャインマスカットを1粒食べて紅茶を飲んでいる東郷をチラッと見る。 ――それはないな。  蒼は緊張しながら東郷の隣に座り、生クリームのたっぷりついたイチゴのショートケーキを1口食べる。 「発情期って、疲れるから甘いもの食べたくならない?」 「…?」 「…って、うちの奥様は言う」  南川は、生クリームの載ったシフォンケーキを食べながら蒼に言う。 「先生の奥様もΩなんですか?」  と、聞いた後にプライベート過ぎる話題かな?と思い、後悔した。 「Ωだよ~。番持ちだからバースクリニックの医者やっていられる~。でなきゃ、この仕事はαには無理でしょ!」  と言ってケラケラ笑う。  …確かに。  南川はαだ。  蒼のように突然ヒートしたΩに来られたら、たまったものではない。  クリニックの医師は基本的に、ΩはΩを、αはαを、βはΩを診ることが多い。  南川のように、番持ちだと両方を診ることもある。  蒼の場合、学校での検査でΩと言われていれば違う医師が担当したのであろう。性別不明で受診していたから、たまたま南川に当たっただけらしい。α家系の子だから…という理由もあったかもしれないが。 「貴良ちゃんも甘いもの好きだしね」  と、嫌われているのをわかっていて、貴良に話しかけるが……ダイニングテーブルの方はすっかり2人きりの世界になっていて、南川を気にする様子はない。 「うーわ。…仲のいい番を家に帰らせないし、自分の番はほったらかしで、一馬は一体どこで何をしていたのかしら?」  貴良に話しかけてもダメだとわかると、東郷に向き直る。 「…仕事」 「あっ…、あのテレビでさんざん叩かれていたやつね。ホント、お前、強引だよね。急ぎ過ぎるから反感買うんだよ。それがよかったとしても結果が出る頃にはみんな忘れていてね…」 「もたもたしていれば、それだけ傷は深くなる。時間を掛ければいいというものではない」 「だから冷徹王って言われるんですよ」  蒼は最近、テレビを見ていないことに気付いた。そういえば、ここのリビングにはテレビがない…。ネットニュースも全然見ずに過ごしていた。    先週のパーティに参加する前も、度々東郷一馬はテレビやネットのニュース、雑誌や新聞で見ていた。  東郷に会うまでは、こんなにも東郷に遠慮なくものを言う人たちがいるとは思いもしなかったし、自分の横でフルーツタルトを食べている姿など、想像もできなかった。  ただただ、笑わない冷徹無慈悲な大財閥のトップとしか…。  会社の二つや三つ潰しても吸収しても、顔色一つ変えない冷酷さは、各方面からヒンシュクを買って嫌われている…のは、メディアを通して見るイメージ。 「このマスカットおいしいぞ。あーん」  東郷が最後の1粒をフォークに刺して、蒼の口元に運ぶ。 「?!」  蒼は思わず口を開けて食べたが、驚いて固まってしまった。 ――うっ…テレビで見る東郷さんは…ニセモノ?  蒼にマスカットを食べさせてニコニコしている人と、テレビの中で批判されている冷徹王が同じ人物とは思えなかった。 「あっちでもこっちでも、イチャつくなよ…」  南川のイラッとした視線に気づいた東郷が、「あ、ごめんね」と言って、姿勢を直す。 「これ、頼まれていた抑制剤。いいか、今度連用したら処方しないからな!」  テーブルの上に、即効性のα用抑制剤の箱を置く。自己注射器が2本入っている。  蒼の突然のヒートで、2日間で2本とも使い切ったものと同じものだ。  雅が悟に打ち込んだものも、おそらくこれであろう…。 「これ、使いすぎたら…どうなるんですか?」  蒼が恐る恐る聞いた。 「ん?心不全起こしてぶっ倒れるよ」  南川がツラっと説明すると、東郷が余計なことを言うなよ、と言う顔をする。 「雅も持っている?」 「うん、出したな…先週のパーティの前くらいに…」 「…サト兄に、打っちゃったみたいなんだけど…、大丈夫ですか」  土曜日のことはあまり記憶にない。だが、蒼のフェロモンにあてられて、兄の悟がラットになった時、雅がこれを打ったという話を聞いていた。 「用法容量を守れば大丈夫です。2人とも体格いいしね」  蒼はホッとした顔をする。 「それでも、まだまだ抑制してくれるαは少ない。学校でも油断してαにくっ付いて行ったりしないんだよ」  安心している蒼に釘を刺す。
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