1章-5 夢うつつ

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 貴良が涼と一緒に自宅へ帰り、代わりに東郷がいる。  何を話したらいいのか、どう過ごしたらいいのか、戸惑う夜…。  貴良が用意してくれた食事を温めて2人で食べ、東郷と2人で食器を洗って片付け、蒼が風呂に入った後に、東郷が風呂に入る。  ほとんど会話は無い。  蒼が次の日の予習と授業道具の準備をしてリビングに戻ると、東郷が1人でタブレットを操作しながら1日のニュースをチェックしていた。    無造作に乾かした洗いざらしの髪を見ると、一馬はまだ20代半ばなのだということに納得する。普段のオールバックでは30代くらいの印象になる。あえて老けて見えるようにしているのだろうが、蒼には前髪が下りている方が親しみやすくて好きだった。  「おいで」と言われ、ソファの隣に座る。 「初めてのヒートは疲れただろう。明日学校で辛くなったらすぐに連絡しなさい。迎えに行く」  2人きりになって、改めて感じる包み込まれるような優しさ。  鋼色の瞳で覗きこまれると、ドキドキと心臓の鼓動が強くなる。 「匂いも可愛らしいな。カモミールみたいだ」  蒼のフェロモンは、ローマンカモミールのようなリンゴを思わせる香りに似ている。  発情期を終えたばかりだか、わずかに匂いが残る。終わっても、発情中じゃなくても、刺激に反応して匂いが漏れることもある。東郷がクンクン匂いを嗅ぎながら項に口付ると、蒼の肩がビクッと震える。 「ああ…すまない。つい…」  と、言って体を離す。  震えた蒼の姿に何かを思い出したように部屋に行き、小さな箱を持って戻ってきた。  蒼を抱き上げるとソファに座り、向かい合うように自分の膝の上に乗せる。  何だ?!この体勢は?!と、狼狽(うろた)える蒼の姿が可愛らしくて、東郷は笑いを堪える。  そして、持ってきた箱を開け中から出したものは、午前中に貴良が言っていた首輪だった。  肌馴染みのいいシャンパンゴールドの布に金の留め金が付いた首輪。薄い布のように見えて、咬んでも刃物で切ろうとしても切れない代物だろう。 ――うっ…絶対、メチャメチャ高いヤツだ…。  この首輪で『東郷一馬以外、誰も咬むことができない』と主張できる気がする…。 「まだ若い君の項を咬んで番にするつもりはない」  そう言って、蒼の細い首に首輪を付ける。 「αは一方的に番を解除できても、Ωから解除することはできない。蒼にとっては一生に一度の相手だ。自分の将来を決めた時に、私を選んでくれれば番になりたいし、他の番を見つけるならそれはそれで仕方のないことだと思っている」  東郷は蒼からスマホを受け取ると、パスワード『000000』を入れて、ロックを掛けた。「パスワードは自分で設定しなさい」とスマホを返す。 「まだ自分の性別も、私のことも受け入れられていないのに、私がうっかり咬んでしまわないように家ではこの首輪を付けていてくれ。ただ、これを付けていたらΩとすぐにわかってしまう。それが嫌なら学校へは外して行っても構わない」  首輪はほとんど制服の詰襟の中に隠れてしまう。目立たない。しかも色が肌になじむシャンパンゴールド。遠くから見るだけだと首輪をしているように見えない。  昔は黒い革のベルトが主流で、付けていればすぐにΩとわかった。  だが東郷が用意したのは目立ちにくいけれども、品がよく、付けていて負担の少ないもの。  これに、体調管理用のセンサーを埋め込んで、スマホとタブレットで体調管理ができるのであろう…。  『首輪なんて…ペットみたいだ』と気が重かったが、東郷が精一杯蒼の気持ちを考えてくれたのだろうと思うと、嬉しかった。 「体温や血圧、脈拍、フェロモンを感知するセンサーを埋め込んであるから、体調管理に役立つ。発情期間中に体温や血圧を入力していたアプリがあるだろう?あのアプリに自動的に入力してくれる。何かあればGPS機能も付いているから助けに行ける」  貴良に説明されたアプリを思い出す。 「感情もキャッチできるようにしようとしたら、貴良にメチャメチャ怒られた。もう少し人の心が理解できるようになれよ!って。そのために、感情がわかる機能を付けようとしたのに」  突然思い出したように不貞腐れる。 「ひーちゃんと同じこと言われている」  と、蒼は急に能天気ゴリラと罵声を浴びるαの友人、五島日向を思い出し、笑い声をあげる。  ああ~、この人も日向と同じで鈍感なんだ…と、親しみが湧く。 「心の整理が付いたら、お母さんときちんと話をしなさい。君たちの家族関係を壊してまで君を奪うつもりはない」  笑顔になった蒼の顔を覗きこんで、東郷は真面目に、でも優しく言った。 ――そうか…そうすれば……僕が番になれなかった時は…帰れるのかな? 「僕はΩとしては出来損ないです。東郷さんは当主として後継ぎを作らなくてはいけないから運命の相手を探していたんですよね?このまま、僕をここに置いておいてもいいんですか?」  子どもはまだ作れないと言われたことを思い出す。  蒼の目が不安で揺れる。  なのに、 「君の発育が遅い原因はおそらく雅だ」  東郷の両手で蒼の両頬をそっと包み、真っ直ぐ見つめて言う。    蒼は驚く。それはどういう意味なのだろう? 「私を恐れずに睨み返せるαはなかなかいない。雅はかなりの最上級αであることは間違いない」  そういえば、東郷もいつの間に「雅」と呼び捨てで呼ぶようになったのだろう? 「Ωはより強いαに惹かれる。だが、それが血縁者となると本能が警戒してΩの発育を遅らせることがあると最近わかってきた。兄弟姉妹で番になってしまうことは度々ある。だけど、それを本能的に回避しようとする個体もいるらしい。蒼の場合はその症例に近いんじゃないだろうか?って言うのが伊予の考えだ」 ――僕と雅が? 「だから雅と少し離れていれば大丈夫じゃないか?私も子作りを急かされなくて済むから寧ろありがたい。なかなか番や番候補持ちと結婚してくれるα女性はいなから、結婚を急かされることも減るだろうし…。何せ君は運命だから。そう言ってしまえば、私の両親のこともあるから無理に引き離せない」  子どもを作れない、蒼自身が子どもであることが好都合と言わんばかりだ。 「蒼がヒートを起こしたとき、兄の悟はラットになったのに、雅はそれを止めてα用の抑制剤を打ち込むだけの余裕があった。そして私に蒼を売り渡したと思いたくないから、緑川グループへの融資は彼女が会社を立て直して返済すると宣言してきたよ。ああいうタイプは私の部下に欲しくなるね」  頬を包んでいた手を離して、目が鋭く光る。  同じαとして魅力を感じる者へ向ける光。  優しい眼差しを向けられるのも嬉しいが、有能な者として鋭い視線を向けられたかった…という気持ちも湧く。 「蒼はΩである前に1人の人間として非常に有能だ。我がグループとしても逃したくはない人材でもある。せっかくの運命だ。おおいに利用する価値はあると思うが?飼われるんじゃない。君が私を飼いならしてもいいんだぞ」  蒼のプライドを傷つけないように選ぶ言葉。 「番になる相手は、運命ではなく、本当に好きになった人を選んだ方がいい。自分の人生を捧げられる人なんて、まだ選べないだろう?」  蒼の不安を察するように、東郷が言う。  でも、蒼は心のどこかで「運命だから仕方なく僕を守ってくれるの?」と思うと、モヤモヤした感情が湧いてくる。  「愛している」と言って激しく求められたい…のか?  自分の気持ちを整理するには、もう少し時間がかかりそうな気がした。
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