1章-6 新しい生活

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1章-6 新しい生活

 朝、蒼が目を覚ますと、隣に東郷一馬の姿は無かった。  キングサイズベッドの白いシーツの上に、ポツンと1人取り残され、隣には昨日まで抱きかかえていた枕が残されている。  飛び起きて一馬の寝室を出てリビングへ行くと、キッチンにその姿はあった。  Yシャツとスラックスに着替え、貴良が使っていた黒いエプロンをして、朝食の準備をし、蒼のお弁当を詰めている。 「おはよう。着替えて顔を洗っておいで。朝ごはんにしよう」  …と言う。 ――…夢か?  蒼はしばし、瞬きをしながら呆然と一馬を見る。 「どうした?立ったまま、また寝ているのか?」  蒼はハッとして、「おはようございます」と言うと自室に行ってパジャマから、制服のスラックスと半袖のYシャツに着替えた。  Yシャツの襟からのぞく首輪を見つめる。  詰襟の制服を着れば目立たないかもしれないが、夏は校舎内ではYシャツでいることが多い。 ――やっぱり目立つよな。  と思ったが、学校へ付けて行く決意を固める。 ――やっと性別が判明したんだし…。Ωだって、堂々と生きてやる!  そう、自分を奮い立たせる。 「今日の卵焼きは甘くないぞ!」  一馬は、細かく刻んだ長ネギを入れて焼いた卵焼きの上に大根おろしを乗せて、テーブルの上に置いた。  味噌汁をよそって、「ご飯はどれくらい食べるんだ?」と蒼に聞いてくる。  お弁当は既にお弁当包みに包まれ、小さな水筒と一緒にランチバッグに入れられている。 ――…夢???  キュウリとカブの浅漬けをつまみ食いしながら、お茶を入れて蒼の席に置く一馬は、一馬であって…貴良ではない。 「一馬さんが…作ったんですか?」  蒼はポカンとしていたが、ようやくそれだけ言った。 「貴良が作り置きしてくれたおかずもあるし、味噌汁作って米ぐらい炊ける。簡単なものは作れるぞ」  「座れ」と促され、蒼は席に着く。 「蒼は食が細いからお弁当を詰めすぎるなと貴良に言われた。だから少なめに入れたから、足りなかったら購買で何か買って食べなさい。せめてそれくらいの量は残さずに食べるんだぞ」 「あ…ありがとうございます」  オドオドしているうちに、大根おろしにチョンチョンと醤油がかけられる。  蒼は恐る恐る卵焼きを口に運んだ。出汁の効いた薄い塩味に、ネギの香りと大根おろしのさっぱり感がおいしい。  驚いていると、 「こういうのもいいだろう」  と、ニマニマ笑っている一馬の顔があった。先日の甘い卵焼きを根に持っているのだろうか…?あれはあれで、おいしいのだが。 「一馬さんは…いつも自分で食事の用意をするんですか?」 「接待や付き合いでどうしても外食が増えるからな。家で食べる時くらい、気を付けないと体に悪い。私が倒れると大変なことになるから健康管理は重要だ。それに…私が狸っ腹の中年オヤジみたいになってもいいか?」  蒼は口に入れたご飯を吹きそうになった。 「…狸は……嫌です」 「食事の用意をするのは、楽しい。自分がロボットじゃなく、生身の人間なんだってことを自覚できる」  蒼も一馬の人間臭い部分に触れて、少し嬉しくなった。 「夜、会食になる時は貴良と一緒に夕食を済ませてくれ。涼を連れて行くから、あいつも1人になる。貴良を連れて行ったら行ったで…嫌な思いをさせることも多いしな。蒼も貴良が居たら寂しくなくていいだろう?出張の時は泊まってもらってもいいし」 「…はい」  またここで貴良と一緒の時間を過ごすこともできるんだ。昨日が最後じゃないんだと思うと嬉しかった。  『東郷の冷徹王』と2人で暮らすなんて、どんな殺伐とした生活になるのだろう?ずっと貴良が居てくれたらいいのに…と思っていたのに、意外に温かい雰囲気に拍子抜けした。  このマンションに連れてこられ、意識を取り戻したあの時に感じた、この部屋の生活感のある空気は、一馬の日々の生活から溢れてくるものなのだろう。 ――ここでやっていけるかもしれない。  朝食を終えて、片付けを済ませ、学校へ行く準備が整った頃、玄関のドアが開いた。 「おはようございます。蒼様、お支度できましたか?」  と、貴良が入ってくる。  その後ろに涼もいる。  相変わらず、2人でブラックスーツに黒いネクタイ。 「一馬様、お弁当作ってくれましたか?」 「ああ。そんな小さい弁当でいいのか?」  ネクタイを結びながら一馬が部屋から出てきた。それを見て、貴良が手を伸ばし、一馬のネクタイを手早く結んで整える。 「一馬様と体格が違うでしょう。食べ過ぎてお昼から学校でお腹を壊したらどうするんですか」  と言いながらベストを着せ、ジャケットを着せる。 「あ、お茶椀洗ってくれたのですか、ありがとうございます」  一馬の準備が終わると、キッチンを一通り見回す。 「うん。蒼が洗ってくれた」  そう一馬が言ったところで、部屋から制服を着てリュックを背負った蒼が出てきた。  薄いグレーに紺色のラインが入ったファスナー留めの詰襟の制服を見て、一馬と涼は、貴良をじっと見る…。 「無理ですよ」  何を察したのか、貴良は2人を睨んだ。 「…?」  蒼が首を傾げると、 「蒼様のその制服、懐かしくて、私に着させようと考えてます、この2人。サイズ的に無理ですし、朝からコスプレに付き合うつもりはございません」  貴良は不機嫌そうに説明した。 「うっ…、朝から貴良を怒らせてしまった…」 「発情期前ですから、気を付けてください。一番危険な時期です」  涼の耳打ちが貴良に聞こえ、さらに険悪な空気が漂う。  乃亜もそうだが、貴良も発情期が近付くとイライラしてくるんだ…自分はどうなのだろう?と蒼は思った。  涼は険悪な空気から逃げるように、 「行きましょうか、一馬様」  と言って、一足先にマンションを出発した。  一馬と涼は会社の運転手が社用車でマンションまで迎えに来る。
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