1章-6 新しい生活

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 蒼の登下校の送迎に使う車は、シルバーのセダンタイプ。  普段、貴良が一馬から頼まれた用事を足すのに使用している一馬の所有車だった。 「貴良さんも…この制服だったの?」  出がけに蒼は貴良に聞いた。 「はい、そうですよ。詰襟なので首輪が隠れてちょうどいいですが…夏は校内では半袖のYシャツになります…よね?」  首輪を付けたままでいいのか?と聞きたいのだろう。 「うん、いいの。受け入れて、生きていく」  「すごいんですよ!これ」と、首輪の機能を語る蒼の顔が発情期中と打って変わって明るかった。  一馬と少しは話ができて落ち着いたのかもしれない、と貴良は安堵する。  東郷家や会社の運転手が運転すると黒塗りのゴツイ高級車になるため、蒼は貴良の運転する車を選んだ。通学にそんな仰々しい車を使うお嬢様は……いなくもない。が、それは恥ずかしくて断った。  後部座席に座り、初めてマンションの周りの街並みを見た。  高級マンションが立ち並び、大きな公園もある。  川を挟んで橋の向こうに『ごとうスーパー』の看板も見えた。歩くには少し距離があるが、車や自転車であれば本当に近い。  川の向かいの再開発が進んでαが住むようになってから、βばかりだったスーパーの客層が変化していると日向が昨年言っていたのを思い出す。  学校へ行くには川を渡らない。新しい街並みを抜けると、古いお店や屋敷が立ち並び始める。その街並に蒼は見覚えがあった。  乃亜の暮らす北山家の本邸がこの辺りにあったはず…。  みんな、徒歩で行ける範囲に住んでいることが少し嬉しかった。今までは、蒼だけが電車での移動が必要だったのだ。  通学に利用していた駅を過ぎると、通い慣れた道に出る。  グレーの詰襟の制服を着た男子、グレーと白のセーラー服を着た女子が、重たそうなリュックを背負い、お嬢様学校だった名残りを感じるソフィア学園の正門と東門に吸い込まれていく。  西門だけは、次々と車が入っていく。  学校の西門から入ると駐車場があるのだが、その手前に乗降スペースが設けられている。朝、一斉に登校してくるとちょっとした渋滞になるのでやむを得ず作ったスペースらしい…。  徒歩の生徒たちは、東門と正門から入ってくる。  蒼も先週までは正門を通っていたので、転校生のような気分だ。  空いている場所に車を停め、貴良がドアを開ける。 「いってらっしゃいませ、蒼様」  と、見送られる。 「行ってきます」  と、蒼が校舎に向かって歩き始めると、他の生徒たちの視線が痛かった。  この時間の西門はΩの生徒ばかり。いつもは「おはようございます、会長」「ごきげんよう」と、誰からも声を掛けられる蒼だが、皆一様に驚いて、声を掛けない。  玄関まで来ると、ようやく「蒼、おはようー!」「もう調子はいいのか~」と、いつものように気さくに声を掛けてくれるクラスメイトに会う。  会うのだが…、どの生徒も、蒼の首を見て次の言葉を失う。  蒼の顔を見れば必ず抱きついてくる男子生徒も、腕を広げて声を掛けるがすぐにその腕を引っ込める。 ――あれ…?僕、Ωになったって、伝わってない?  露骨に驚かれると、蒼も苦笑いするしかない。  首輪は詰襟の中に隠れて目立たないので、気付かずに通り過ぎる生徒も多い。  気付かずに「今日は何で西門の方から来たの~」なんて声を掛けてくるのもいる。 「緑川~!おはよう!大丈夫か?」  靴を履き替えると、担任の小田がそこに居た。 「先生…。おはようございます」  ソフィア学園は、自家用車での登下校が禁止なのだが、Ωだけ自家用車の使用を認められている。登下校には誰かが付き添わなければならないことになっていた。発情期中の欠席は公欠扱いとなり、欠席にカウントされない。…良家のΩが多く通うだけに、いろいろと優遇されている数少ない学校でもあった。  それらは、病院での診断書を持って行き、手続きをすることで認められている。蒼が学校を休んでいる間に、貴良が全部手続きを済ませていた。…もちろん、引っ越しをして、今後蒼を養育していくのが東郷一馬になることも連絡済みだった。 「……なんか…、怒涛の1週間だったようだけど?」  小田も、何と声を掛けたらいいかに困っているようだ。 「あはは~。一生分、ジェットコースターに乗った…感じ?」  と、言って笑ってみるものの、顔が引きつってしまう。 「先生…Ωの子の担任になるのは嫌だって言っていたのに…ごめんね」  3年B組の教室に向かいながら、蒼はいつもと変わらない小田の顔を見上げて言った。 「なぜそれを知っている…?…まぁ、いいや。東郷さんは緑川の進みたいところへ行かせてあげたいようだよ?………東郷さんは…本当は優しい人?テレビとかで見ると、メチャメチャ怖そうじゃん。この前も、どこの会社だったか買収して、バッサリリストラしまくったとかなんとか…。やり方が強引だとか、非情だとか言われまくっていたけど…実際はどうなん?」 「ん~?よくわからないです。乃亜は一馬さんのことを優しいって言うけど。普段は貴良さんが僕の身の回りの面倒をみてくれるので…」  小田と会話をしながら廊下を歩くと、通り過ぎる生徒が驚きながら振り向くのに気付かない。 「ああ~、貴良さんね。久しぶりに会って、ビックリしたよ…。先生、彼とここの同期生なんだ。同じ学年だったけどクラスが違った。1年の夏休み明けに編入してきて、メチャメチャ美人で凄い騒ぎだったんだぞ~。まぁ…あの頃は怖くて全然話かけられる雰囲気じゃなかったけど。月曜日電話もらって、会って話したら、雰囲気変わっていて驚いた」 「そうなの?!」 「東郷さん…じゃなかった、今、成宮さんだっけ?貴良さん。優しそうだよね~。今、幸せなんだろうなぁ…」 「東郷って…?!貴良さん、高校生の時の苗字『東郷』だったんですか?」 「え?だって、東郷家の出じゃん」  「東郷家に買われた」って言っていたのを思い出す。そうか…東郷家の誰かの養子になっていたんだ…。そして、小田は貴良が編入してきた経緯(いきさつ)を知らない…。 「ほら、天王館はΩ通えないだろ~。あの頃、東郷家の人はみんな天王館行っていたから。最近になってだよ~、2年の東郷悠馬みたいに、ソフィアに入ってくるようになったの。緑川も、ここに入っておいて良かったよな~」  中学時代、天王館高校をめざしていた自分を思い出して、背中を冷や汗が伝う。 ――ほんとだ…。ここじゃなければ、こうして学校に通うこともできなくなっていたかもしれない。 「いや~、いいよなぁ…貴良さん。ステキだよなぁ…。先生も、貴良さんって呼んじゃおうかな…」  小田は貴良を思い出し、うっとりしている。 「先生…貴良さん……結婚しているから!」 「わかっているよぉ~」  先生と生徒の会話と思えないくらいフランクなのは、蒼が休む前となんら変わりなく、蒼をホッとさせた。    話をしているうちに、教室に辿り着く。  久しぶりに教室に入ると、クラスメイトの視線が一斉に蒼に集まる。 「あぁ、そうだ!隠して通学するのかと思ったから、まだ…みんなには何も言っていなかったんだけど…、緑川が首にそれを付けて登校してくるから」  と先生は苦笑いをした。 「やっと性別が判明したんですから……隠しません」  蒼は照れ臭そうに笑って、クラスメイトの輪の中に入っていった。  驚きながらも、蒼の体調を心配し声を掛けるクラスメイトを見て、小田は ――ホント、いい仲間だよなぁ…。  と、目を細めた。  乃亜が蒼の首にしがみついて頬ずりしながらじゃれ合っている姿は、子犬がじゃれ合っているようで微笑ましい。今までさんざん蒼にじゃれ付いていたβ男子たちは、流石に遠慮するようになったが、Ω同士の乃亜だけは遠慮しない。 「ひーちゃん、ノート、もうちょっとまともに取れよ~。読めなーい!」 「アオ―!宿題やった?見せてー!!」 「ちょっと待って、僕休み明け初日ー!」  と、いつもとなんら変わりのない仲のいい声が響く。  昼休み、蒼のお弁当を覗き込む乃亜。 「貴良さんが作ってくれたの?」  という質問に、蒼は首を振り、「一馬さん」と答える。箸でつまみ上げたウインナーはタコの形になっていた。 「えっ…」 「朝ごはんも、一馬さんが用意してくれた…」  乃亜がビックリし過ぎて引いたまま固まっている。 「あの東郷一馬にメシ作らせるなんて…」 「うん…僕も、朝起きて、夢かと思った」  乃亜は使用人が作ったとおぼしきお弁当を広げている。  そこへクラスメイトが声を掛ける。 「アーオイー!今度は2年のαが呼んでるぜー!!」  今日で何人目だろうか…?  3年B組のクラスメイトも「あいつら、何(さか)ってんだよ」と笑いを堪えるのに忙しい。  蒼は「まぁ…笑うなよ。しかも後輩なんだし」とクラスメイトをたしなめつつ、廊下に出る。  今度は2年のα女子2人。用事があるのは1人で、1人は付き添いなのであろう。 「み…緑川先輩!お話が…。あのっ、2人で話せませんか?」  と言う。 「ああ…ごめんね。君、A組ってことはαだろ?2人きりっていうのは…」  女子だから…と油断してはいけない。  αに人気(ひとけ)の無い所へ連れて行かれるな、と耳にタコが出来るくらい聞かされて学校へ来た。それを忘れて、ホイホイ付いて行くほど馬鹿ではない。 「そっ…そうですよね~。スミマセン!あの…先輩はお付き合いしている人とか…いらっしゃるんですか?」  周りを気にしながらも、かなり直球に来るな…と、蒼は苦笑いしつつ、答えに困る。  今までの人生、あまり失敗を経験してこなかったであろうαの女子高校生。αは総じて見た目が華やかな美人が多い。雅がそうであるように…。  α女性と付き合って結婚したいα男性は多いのだから、『こんなところで何も僕なんかに声を掛けなくったって…』という気持ちになってくる。 「あ~、ダメだよ~。蒼先輩はコワ~イαの運命の番だから。手を出したらおウチまるごと潰されちゃうよ~」  乃亜がB組の教室から顔を出して、女子に言う。  女子は、乃亜の言葉にギョッとしている。 「人聞きの悪いこと言うなよー」 「こういうのは、ちゃんと断らないと後が大変なんだよ。何ならお前が告られているところ、写メって一馬さんに送ってあげようか?」  乃亜がスマホを構える。 「それは絶対にやめて。明日から僕、監禁生活になりそう」  蒼が真剣に拒否する。  乃亜との会話に何かを感じたのか、2年生の女子2人は「失礼しまーす」とそそくさと帰った。 「番になる予定の恋人がいます、ってハッキリ言えばいいじゃん」  α女子の質問に躊躇を見せた蒼に、乃亜が言う。 「…だって、まだ、番になるかどうかもわからないし…。恋人じゃないし…」  蒼は口籠る。 「でも、大切にされてんじゃーん」  と、乃亜は言いながら、蒼のお弁当に入っていたパセリを摘まんで自分の口に入れた。  蒼は少し顔を赤くして、 「うん……まぁ」  とモジモジする。確かに、かなり大事にされていると感じることは多かった。でも、それは自分が運命の相手だからということであって、好きとか…そういうことではないと思っている。 ――好きな人ができたら、自分を選ばなくていいって言っていたし…。  その日は蒼の人生最大のモテ日となったかもしれない。  3年と2年のA組の女子が次々と告白をしてくるし、もらった手紙は5通ほど。  蒼がΩと判明した途端に、どういうことだろう…?と思ったのだが、なんてことはない。ただ単に、今まで性別不明ということで遠慮していた人たちが、「Ωなら!」と告白してきただけの話だった。  1年生は、雅に蒼の事を聞いた時点で思い(とど)まったようだ。 「兄の番候補はあの東郷一馬。それでも告白したければすればいい」  そう言われて、思い止まることができない世間知らずは流石に居なかった。 「首は一馬さんが守ってくれているけど、尻は自分で守れよ。あと、α女子は理性あるけど、α男子は獣だ。呼び出されても人気の無い所には絶対行くな」  あまりにもαに呼ばれる蒼を心配して、乃亜が真面目な顔で言う。 「お…おう」  乃亜の気迫に、引く。 「あと、ちゃんとマーキングしてもらってこいよ。雑魚は一掃できる」 「マーキング?」  何のことか理解できず聞き返した蒼の首筋に、乃亜は吸い付いてキスマークを付けた。 「なっ!何するんだよ!!」  蒼が首筋を押さえて、顔を赤くする。 「マーキング」  乃亜が唇を尖らせて言う。  蒼の右耳のすぐ下、首筋に赤紫色の小さなアザがくっきりと浮かぶ。  自己顕示欲の強いαは自分のものだと主張したいΩに匂いを付ける。そうすると弱いαは匂いだけで恐れてΩを襲わなくなるという。もちろん、自分のΩに他のαの匂いを付けられたら、激しく怒るのだが。 「絶対それ見たら、自分ので消そうとするから。一馬さん、所有欲メチャメチャ強いよ~。絶対ひーちゃんの匂いを付けて帰らないでね!ひーちゃんがこの世から抹殺されちゃう!」  2人の会話を聞いていた、クラス唯一のα、日向が跳び上がる。 「アオに不用意に触るなよ~」  乃亜が日向に忠告すると、日向が頷く。  他のβのクラスメイトも頷く。 「βは大丈夫だよ」  乃亜はクラスメイトの反応を見て、笑った。  完全に乃亜のおもちゃにされている…。
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